第24話 あの日の夜

あの前回グラスが割れた時とは違う。

冷静な姿にある種の勘が働いた。


もしや?……


オレは最悪の想像をしながら別れの訳を尋ねた。


どれだけ愛し合っても所詮不倫。

許されない関係。世間は許してくれない。

愛するオレに会えない辛さに耐えられないと。


いくつかの理由を並べて、もう会えないと言う。

こんな時、耐えきれず涙したのに

淡々と語る口調はまるで別人だった。


やはりオレの勘は当たっている。


彼女は死、もしくはそれと同等の覚悟で話をしている。


これは止めることができないと思った。



「わかったよ」


え?という顔でオレを見る。


「いつか来る別れだもんね。

 オレは受け止めるよ。

 ひろちゃんの言う通りだ」


あまりにあっさり返事したもんだから

彼女は目を見開いて驚いている。

オレはサラっとたずねた。


「最後だから聞きたいな。

 あの夜なにがあったんだい?」


「え?」


「あの着信見てからさ、ずーっと

 ひろちゃんの事ばっか、考えてんの」


わざと軽く言うことで彼女の負担を減らしたかった。


何も言わず立ち上がりカーテンを開け窓に手を着いた。

このホテルの窓は足元から天井まで全面ガラスだ。

薄い背中が逆光で影絵のように浮かび上がる。


その背中に言った。


「ひろちゃん」


「オレにはどうする事もできないけど

 やっぱり相談してほしいと思っちゃうんだよ」


「でも、本当の理由は言えないよな?

 前、全部吐き出せなんて言ったけど

 どうしても言えない部分ってあるよ」


「でもオレは、今日ひろちゃんと別れたとしても

 別れた後も、ずーっと君の心配をし続けるよ」


「ひろちゃんに届かなくても思い続ける。オレは。」



その瞬間彼女は泣き崩れた。


ガラスに頭を付けたまま

信じられないほどの声で泣いた。


バスルームへタオルを取りに行き渡す。

彼女はそのまま顔をうずめて泣き続けた。


オレは何も言わずイスに座らせた。

そしてドレープカーテンを閉めた。

顔が見えないように部屋を真っ暗にしたかった。


完全に遮光された部屋。

自然の夜にはありえない真っ暗闇。

空気清浄機の小さなインジケーターが照明だ。

その明かりで彼女の姿は確認できた。


表情は読めないが嗚咽は続く。


その嗚咽を遮るように言った。


「死のうと思ったんだろう?」


「ええっ?」


嗚咽が思わず途切れた。

それほど驚いたのだ。


「オレも昔、仕事で苦しんだ時期があってさ

 飛び降りるビルを探して街を徘徊したんだ」


「だからなんとなくわかったんだ。

 もう幕を降ろそうって決めたんだなって」


「……」


「としさん……」


嗚咽が少し止まった。


「この話、としさんには言いたくなかったの」


「うん」


「私、離れたくなんだけど… 

 お別れしたくないんだけど…」


「私の話を聞いたら嫌いになるわ」


「信じられないかもしれないけど

 そんな軽い惚れ方はしてないよ」


「としさんが話を聞いたらきっと嫌になる。

 私から離れていくと思って…」


「何があっても、オレの心は絶対に離れない。

 それが分からないのかい?」


また、わーっと泣き出した。


声を上げて泣く度に元のひろちゃんになっていく。


それを確認してオレは少し安心した。


そして自分を取り戻した彼女は


やっと「あの夜」を語りだした。



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