雨に向かって、泣いたりはしない(本日の三題噺 2/10 『寿司』、『雨』、『映画』)
「ねえ、あんなことって本当にあるの?」
大学時代の友達に訊かれた。
先月公開された映画「おんな寿司繁盛記」のクライマックス。店の悪評を流され、常連客を失った女性寿司職人の主人公が、雨の中で絶叫するシーンのことだ。
「女だからってだけで嫌がらせなんて、いまどきあるの? この令和の世の中で」
さて、どう答えたものか。喫茶店のテーブルの向かいに座る保育士の彼女は、キラキラの好奇心に満ちた視線を、こちらに――女寿司職人の私に、向けている。
「……別に、あんなことはないよ」
「あー、やっぱりー。男だってふつーに保育士になる時代なのに、そんなのあるわけないよねー」
大きく頷く彼女が、少し、いやだいぶ、羨ましい。
そうだよ、あんなことはないよ。本当はもっとひどい。
店の前に生ゴミを撒かれたり。読むに堪えない中傷ビラをそこら中に貼られたり。性別が違うというだけで、よくそこまでムキになれるものだ……と呆れながら流せるようになったのも、ごく最近のこと。悔し涙に暮れる夜も、数えきれないほど過ごしてきた。
喫茶店を出て友達と別れると、ハンドバッグの中のスマホが震えた。見ると、メールの着信が入っていた。
『一連の名誉棄損ツイートについて、発信者情報の開示請求が通りました。一両日中にも、プロバイダから投稿者情報が提供されるでしょう』
弁護士さんからだった。無言で、心の中だけで拳を握る。
……私はあんなことはしない。映画みたいに、雨の中で泣き叫んだりなんてしない。
声は誰かに聞こえてしまう。涙は誰かに見られてしまう。
私が生きるのは現実。したたかに、けれど密やかに、動かさなければならないのだ。
【終】
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