跳べなくなった、兎のゆくさき(本日の三題噺 2/9 『徹夜』、『科学』、『スペース』)

 星哉せいやは宇宙が好きだった。

 名前のためもあったんだろう。初めて会った小4の秋、あいつはとっくに宇宙の虜で、図書室で「宇宙飛行士」の本を読んでいた。アポロ11号、スペースシャトル、スプートニク、ソユーズ……あいつの口からは宇宙船の名前がすらすらと出てきた。いつか宇宙飛行士になって月に行くんだ――キラキラした目で、そう言っていた。

 あいつは勉強もよくできた。テストの前になると試験範囲をささっとチェックし、それで満点近くを取る要領の良さがあった。普段はよく遊び、試験前にはよく学び、あいつは夢へ向けて邁進しているように見えた。


 中学に上がっても、あいつはうまくやっていた。だが、試験前の一夜漬けはだんだん苦しくなっていったようだ。試験の後、あいつの目の下にはしばしば隈が浮かんでいた。あくびをしながら「たいしたことねーよ」とうそぶく言葉に、明らかな疲れの色が混じるようになっていた。


 あいつの高校受験は、相当ギリギリだったようだ。なんとか俺と同じ普通科高校には滑り込んだものの、成績はあからさまに低迷していた。要領の良さは、まったく役に立たなくなっていた。基本の理解が怪しいまま進んできてしまったツケが、一気に噴き出していた。

 それでもあいつが勉強する様子はなく、試験の前にだけ濃い隈を浮かべていた。だが、一晩だけの徹夜で取れる点数など知れている。赤点の山が積み上がった。それでもあいつは頑なに、わからないところへ戻って勉強し直すことを拒んでいた。


「そんなんで、宇宙飛行士になんてなれるのかよ。宇宙科学スペース・サイエンスが勉強できるような大学、だいたい偏差値たけーだろ」

「俺がやりたいのは、座学じゃねーんだよ。宇宙船に乗って、宇宙服着て、船外に出て、船外調査をして――」


 ふと、俺は疑問を持った。


「船外調査って、何やる気だよ」

「決まってんだろ。宇宙空間の物質とか、地球からじゃ見えねえ天体の観測とか――」

「宇宙飛行士は何のために、それやってると思ってんだ?」

「研究のためだろ」

「研究って……地味だぞ? へたすりゃ勉強よりも」


 あいつの言葉が、止まった。


「何日も何年も、地道に調べ物して、新しい学説考えて、正しいかどうか確かめて……その一環で宇宙行ってんだぞ。数日ぱーっと花火上げて終わりじゃねえんだよ」


 あいつの目が、まんまるく見開かれる。

 おい、まさかとは思うが、今までそれを考えたこともなかったのかよ?

 だがどうもその通りだったようで、あいつはがっくりと肩を落としてうなだれた。


 結局その後、あいつは進級できずに高1で自主退学した。

 それきり十年くらい、会ってはいなかったが……今年になって、あいつと同じ「星哉せいや」の名前をFacebookで見かけた。


「高校中退して以来、ずっと心残りがありました。宇宙科学を勉強して、宇宙へ行きたいという夢が」

「仕事の傍ら、小学校の算数から勉強し直して、今年ようやく高卒認定試験に合格しました」

「次は大学入試です」

「宇宙科学を勉強したからといって、宇宙へ行ける確率は限りなく低いですが……それでも一度きりの人生。できることはやっておきたくて」


 同僚と思しき人々から、たくさんのいいねが付いていた。地道で実直な仕事ぶりが、高く買われているらしい。

 要領だけは良かったあいつと、同一人物なのかはわからない。わからないから、声をかけるにもためらわれる。

 俺は黙って、サムズアップのアイコンだけを押した。

 いいねが、1つ増えた。



【終】

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