小山一貴様主催分
未来への投資(本日の三題噺 2/8 『カレー』、『マンモス』、『足場』)
わあ。信じられないくらいおいしい――心の中だけで、僕は叫んだ。
カレーの中、確かにあったはずのお肉は、口の中であっというまに崩れてしまった。でも、あとにはちゃんと、とっても濃い……なんだろう? じゅわっとしたとってもおいしい何かが、確かにそこに残ってる。クリームから甘味を抜いたみたいな、とろとろした何かが、カレーのスパイスに溶けて消えていく。
「マンモス肉のカレー、おいしいかい?」
スーツの若いお兄さんが、優しく笑いながらテーブルの皆を覗き込んでくる。みんな目をぱちくりさせたり、ほっぺたを赤くしたり、夢中でカレーをかきこんだりしてる。だよね、この児童養護施設で、こんなおいしいものを食べさせてもらったことなんて、これまでに全然なかったから。
「とってもおいしい!」
「マンモスって、こんなにおいしかったんだ!!」
みんなが口々に歓声を上げる。でも僕は、このおいしいのを食べ終わってしまうのが惜しくて、まだ、食べていた。食べながら喋るのはお行儀が悪いから、何も言えない。
「君はどうかな?」
スーツのお兄さんが、僕の前に来た。あわてて僕は、口の中のルウとご飯を飲み込んで……ちょっとむせた。お兄さんの大きな手が、優しく背中をさすってくれた。
「大丈夫かい」
「へ、平気です……カレー、ちょっと気管に入っちゃって」
「ずいぶんゆっくり食べてたけど、おいしくなかったかい?」
僕はあわてて首を横に振った。
「とってもおいしかったです! おいしすぎて、食べちゃうのがもったいなくて」
お兄さんが、楽しそうに笑う。でも全然馬鹿にした感じじゃなくて、目尻が下がった、とっても優しいお顔だった。
「大丈夫だよ。これからこの施設には、定期的にマンモス肉を卸す契約になってるからね。またすぐ食べられるよ」
「本当ですか! こんなおいしいお肉、いいんですか?」
思わず叫ぶ。周りの子たちも大歓声をあげた。
「本当だよ。僕たちはバイオテクノロジーを研究していてね、次世代のための食糧を色々と開発しているんだ。古代の地層から復元した『マンモス肉』もそのひとつさ。脂肪が多いから口どけもいいし、栄養も満点だ。君たちの反応を見るかぎり、味も悪くないようだね」
「でも、どうしてそんないいものを、僕たちの所へ持ってきてくれるんですか? お金持ちの所へ売りに行けばいいのに」
「それはね」
お兄さんは目を細めて、みんなを一人一人見回した。僕とも、きちんと目を合わせてくれた。
「みんなに、僕たちのお肉を好きになってほしいからだよ。みんなはもうすぐ大人になって、この世界を担っていく……そうなった時、僕たちのお肉を好きでいてほしいから。やがて生まれるみんなの子供にも、僕たちのお肉を食べさせてあげて欲しいから。つまり――」
お兄さんは、きらきら光ってるみたいな、まぶしい笑顔になった。
「――これは、未来への投資なんだよ」
話の内容が、すっかりわかったわけじゃなかった。
けどお兄さんは、僕たちをとっても大事にしてくれていることだけは、わかった。
◆ ◇ ◆
子供たちの歓声が、食堂から聞こえてきます。
本当に大丈夫なのでしょうか。こんな肉を、あの子たちに食べさせて。
厨房の片隅で私は、得体の知れない液体でいっぱいのクーラーボックスを冷蔵庫へしまいます。中には、肉塊が沈んでいます……ええ、肉塊、そうとしか形容しようのない物体が。
あの企業が私たちに売りつけてきたのは、肉と脂肪の混合物でした。筋肉も皮膚も骨も、伴われていた痕跡がまったくない、ただの塊。
バイオテクノロジーを駆使し、彼らは「肉」を生み出しました。動物を屠殺して得るものではない、はじめから「肉」でしかない物質を。
地球上に実在する生物を使うのは、倫理上の問題があったと言います。それゆえ彼らは、耳目を集める意味も兼ね、「マンモス」を実験台にした。氷漬けのマンモスから採取された遺伝子を基に、肉と脂肪だけを培養した。命のない、命を持ったことのない、食肉だけを純粋に。
けれど、世間の人々は、そのあまりに非倫理的な生成方法を、そしてグロテスクにすぎる外観を拒絶した。……そして、行き場を失った肉は私たちの所へやってきた。
(――これは、未来への投資なんだよ)
ええ、そうでしょうね。
このグロテスクな肉塊を、好んで食べる顧客――彼らが欲しがっているものはそれ。
この子たちに培養肉の味を教え込み、支持者に仕立て上げ、そこを足がかりに少しずつ世間への普及を図る――彼らにとってこの子たちは、見込み客層をつくりあげるための最初の足場なのでしょう。
「せんせーい」
肉塊を隠し終えた私のところへ、子供たちが食べ終えた食器を持ってきます。茶色く汚れたカレー皿には、米一粒たりとも食べ物が残っていません。普段なら、好き嫌いをする子が多少はいるのに。
「今日のお肉、とってもおいしかったです!」
「また食べられるって、本当ですか?」
子供たちの目の輝きは、今日はあまりにも……痛いばかりでした。
【終】
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