三題噺で遊ぶ!

五色ひいらぎ

柴田 恭太朗様主催分

腐ったトマトを投げつけろ!(【三題噺】「運命」「トマト」「図書館」)

「つまんねえ小説には、何を投げつけりゃいい」


 読み終えた文庫本を、篠原しのはらは傍らのテーブルへ叩きつけた。

 僕はあわてて、たしなめる。


「おい、借り物だぞ。図書館の本を粗末に扱うな」

「こんなくだらねえの、図書館に入れるんじゃねえよ。図書委員なら、もっとましなの選んでこい」


 眼を鋭く細めて、篠原は本の表紙をにらんだ。アニメ風の表紙絵では、剣と鎧を身につけた勇者が、ドレス姿の可憐な姫君を抱きかかえている。


「ったく、どいつもこいつも二言目には『運命は変えられる』だの『自分の道は自分で決める』だの言いやがるけどよ……魔王を倒すのが伝説の勇者サマ、ってのは、運命のうちに入ってねーのかよ。お姫様もらうのは敷かれたレールじゃねえのかよ。ほんっと、心の底からバカみてえだ」


 ふん、と、篠原は鼻を鳴らした。


「腐った映画には腐ったトマトを投げつける、って聞いたことがあるけどよ。腐った小説には何投げりゃいいんだよ? インク壺か? 墨汁か?」

「だから、図書館の本は大事にしろって……」


 本を回収しつつ、僕は心の中だけで嘆息した。ライトノベルも、彼のお気には召さなかったようだ。学校の図書室にライトノベルはないから、わざわざ県立図書館まで借りに行ってきたんだけど。

 でも、だったら、篠原に何を勧めればいいんだろう。流石にネタが尽きてきた。

 僕は、担任の先生の言葉を思い出した。


(篠原くんには文才がある。将来はライターや小説家も目指せるかもしれない。だから伸ばしてあげたいの。天宮くんは図書委員だし、好みに合いそうな本があったら紹介してあげてほしいな)


 言われてから、そろそろ二ヶ月くらいになる。

 正直、僕にはわからない。こいつに文才なんてあるんだろうか。

 篠原の成績は、国語も含めて底辺だ。言動も粗暴で、毎週のように誰かと喧嘩しては生傷を作っている。右の頬には、小学生の頃につけた大きな青痣が今も残っている。

 他人の痛いところを抉るような、えげつない悪口の才能はあると思う。けど、だからって文章が書けるとはかぎらない、と思う。そもそも、小説も読まない人間が小説を書けるわけもないだろう。


「とにかくこれ、つまんねーから。とっとと返してこい」


 顎をしゃくりながら、篠原は尊大に言う。

 正直、腹も立ってくる。人間的に、僕より篠原の方がずっと偉いのは確かだ。外では粗暴な篠原だが、家では独り身のお母さんの手伝いに追われているらしい。父親は物心つかない頃に蒸発して、顔も知らないと本人は言っていた。当然、家計も苦しいらしい。先生が篠原に図書館の本を読ませたがっているのは、お金のかからない娯楽を教えてあげたい……という意図もあるらしかった。

 けれど僕が渡したうちで、篠原が気に入ってくれた本は一冊としてなかった。

 エンタメ小説は「お約束がきつい」。恋愛小説は「他人ののろけ話なんざ見たくもねえ」。SFは「小難しくて鬱陶しい」。ホラーは「ちっとも怖くねえ」。現代純文学は「持って回った言い回しがイラつく」。昔の文豪は「無駄に偉そうで腹が立つ」。

 ここまで悪し様に言われると、勧めた僕までちょっと頭にくる。なんで、こんな思いまでして、こいつに小説を読ませなきゃならないのか――けど僕も、先生に報告をしないといけない。


「わかった。じゃあ次は――」

「いらねえって、何回言えばわかるんだよ」


 何度目かの拒絶が、篠原の口から出てくる。


「この手の本、どれも『普通の家庭』の『普通の人』向けのやつだろ。うぜえんだよ、どれもこれも。テーマとか称したクソぬるい説教ばっかり、知った風に並べ立てやがって」

「……僕も、先生に頼まれてるんだよ」

「じゃあ先公に言っとけ。クソつまんねー本ばっかり、自己満足で押し付けてくんのやめろってな。天宮、おめーの時間だってもったいねえだろ」


 篠原が僕の――というか僕の時間を気遣ってくれたことに、ちょっと驚く。

 けれど、それで気が晴れることもない。お気に召さなかったライトノベルを自分の鞄にしまいながら、僕は、ひとつ溜息を漏らした。






 あれから、二十年以上が経った。

 文芸の世界もずいぶん様変わりした。商業出版が凋落する中、Webで小説を発表する人々が現れはじめて久しい。小説投稿サイトは乱立し、作家は増え、作品はあふれかえり、やがて投稿サイトから商業出版された書籍が書店に並び始め……いまや、特にライトノベル分野では、投稿サイト発の作品が書店の棚を席巻している。

 とはいえそうした作品群の質については、良い評判を耳にしない。横並びの設定、画一的な内容、会話に偏重した文章……書店で私は今日も、どれも同じに見える平積みの表紙たちを苦々しく眺める。

 人気シリーズの新刊が今日発売らしく、積まれた表紙の半分ほどが同一シリーズの関連書籍だった。「虐殺」「拷問」「略奪」「下剋上」……刺激の強い単語が並ぶ。Web書籍の流行とは外れているようにも見えるが、それにしても悪趣味だ。著者名もDeathFieldデスフィールド……残虐な作者らしい名だとは思う。

 結局その日は何も買わないまま、私は書店を後にした。

 寝る前、メールチェックついでにニュースサイトを少々巡る。右端に並ぶ人気記事一覧の、真ん中あたりに昼間見た名前を見かけた。


『DeathField氏独占インタビュー 最新作にこめた思いとは』


 書店で見かけた悪趣味な帯を思い出す。あれのどこに、伝えたい思いなどあるというのだ――冷やかしがてら、私は記事タイトルをクリックした。記事のトップに、件の作家と思しき顔写真が大きく掲載されている。

 私は息を呑んだ。

 頬に、見覚えのある大きな痣があった。二十年前に付き合いがあった、小説嫌いの同級生の顔にあったものと、おそろしくよく似ていた。

 DeathField……死の原しのはら……篠原。まさか、な。

 インタビューを読み進む。

 母親と二人だけの家庭に育ったDeathField氏にとって、世間に溢れる娯楽はどれも遠い世界のものだったという。温かい家庭、優しい友人、食うに困らない程度の暮らし、充実した学校生活――そういったものどもに遭遇するたび、DeathField氏は激しい怒りと苛立ちを感じていたという。……それらを押し付けてきた友人の存在は、触れられていなかったが。


『小説、大嫌いなんですよ』


 DeathField氏は語る。


『テンプレだの読者ニーズだの三幕構成だの、いい子ちゃんぶった枠の中でしか書けない連中ばっかりで。予定調和も大団円も、何もかもぶち壊したい。その衝動だけで書いてますね。クッソつまんねえ社会も、その片棒担いでる退屈な小説も、全部いらないんですよ。いらない物はぶち壊す、それが俺流です』


 ああ、間違いない。あいつはあの頃のままだ。そのままの篠原だ。


『図書館に入れられるようなものなんて、書きませんよ。俺の話、そんなご立派なものじゃないんで。吐瀉物ですよ。排泄物』


 あいつの尊大な顔が、蘇ってくるようだ。


『俺は、俺の嫌いなものをぶっ壊してるだけです。俺の書くものが嫌いだって人はたくさんいると思いますけどね、だったらぶっ壊せばいい。俺をぶちのめすような何かを、投げつけてくればいいんですよ』


 DeathField氏の小説は、投稿サイトで今も連載されているようだった。インタビュー末尾に付いていた参考リンクを、踏んでみた。

 酷い文章だった。

 地の文では、記号や擬音やネットスラングが平気で乱舞している。台詞は汚い罵倒語の連続で、多少なりとも良識のある人間なら眉を顰めるであろう下劣さだった。

 しかし、異様なまでに「熱い」文章だった。それでいて「精緻」でもあった。

 連続する残虐シーンの描写は、飛び散る様々なものの温度や手触りまでもが伝わってきそうなほどに、克明だった。下劣な罵声と見えていた台詞は、その実、登場人物たちの急所を確実に射抜く毒の針だった。無軌道なグロテスク趣味と見せかけて、その実、奥には明確なひとつの意図が感じ取れた。

 登場人物たちの、作品世界の――いや、それを通り越して、「こちら側の世界」の、秩序や良識や常識、宿業や運命、それらに類するすべてを破壊せんとする意志だった。

 あいつは、あの時投げたかった「腐ったトマト」を、いま、文章の形で投げつけているのかもしれない。手の届くところ、全方位に。


 ――俺は腐ったトマトを投げる。

 ――だからおまえたちも投げつけてこい。受けて立ってやる。


 破天荒な文章の行間から、あいつの声が、聞こえた気がした。



【終】

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