故郷の家庭料理
AI全員が水源を習得した頃には日が暮れており、夕食の時間を告げにきたメラニに案内され一行は食堂へ向うと、すでに辺境伯一家とアーガスに加え赤ん坊を抱いた女性の姿もあった。
厨房からタイミングよく入ってきた壮介が一行の許へと駆け寄り、赤ん坊を抱いた女性に手招きすると彼女は立ち上がり、壮介の隣に並び立つ。
「彼女が、妻のネリィです。この人たちは僕の同郷から来た人たちなんだ」
壮介は、隣で我が娘を大事そうに抱いているネリィを優しげに見ている。
一同は二人の幸せそうな姿を見て彼はこの地に呼ばれて報われたのだろうと一様に思った。
「そうなのね。はじめまして、妻のネリィです。ソウスケともどもよろしくお願いいたします。この娘は…」
「わあ、可愛い! ねえねえこの子の名前はなんていうの?」
ネリィの言葉にかぶせる様にシラユキがネリィに抱かれている小さな女の子を見つめながら聞いた。
「この子はヒカリっていうんですよ」
「はじめましてヒカリちゃん。ミユキおねえさんですよ。うふふ、指を握って握手してくれたのね。本当に可愛い…でもなぜ、この世界で日本人の名前をつけたんです?」
ヒカリの小さな手に指を握られて喜んでいたミユキがこの世界ではひかりという名は珍しい部類の名前に聞こえるだろうと思ったのか壮介に問うた。
「ひかりにしたのは僕がゼロ系の新幹線ひかり号が好きでして…そのひかりからとったんです。僕は日本人だし両親との思い出が詰まった大好きな車両でしたから…それを忘れないためにも…何よりこの子に幸せな光がたくさん降り注いでほしいって思いましてね」
彼はすでにこの地に骨を埋める覚悟をしている。この先両親には会う機会は訪れることはないだろう。その代わりではないが肉親との思い出にちなんだ名を付けることで郷愁の思いやその他胸のうちを埋めたいのだろう。胸が締め付けられるような思いを一同は感じた。
「リーゼル様もお待ちです。皆さん、どうぞお座りになってください」
「ソウスケ君、様はやめてくれって言っているじゃないか。雇い主ではあるがあくまで君は私の友人の一人なんだからね。さて全員、揃ったんだ夕食としようじゃないか」
コースではなく並べられた料理は雅達にとっては同郷の味、つまり日本の家庭料理ともいえる料理だった。渡した調味料を早速、活用したようで醤油マヨネーズで和えたキャベツとキュウリのサラダ、肉じゃが、ナグー肉の生姜焼き、にんじんとごぼうのきんぴらに汁物として白みそを使った蛤の味噌汁だった。普段はパンやパスタの出番が多いといったが今回は白飯にしたと壮介は言った。
一同がいただきますと手を合わせてから食事を始めるとネリィが嬉しそうに壮介を見る。
「ソウスケ、やっぱりあなたと同じように食べる前にいただきますって言うのね」
「私も最初に聞いたときはなんの祝福なのかと思ったよ」
「こちらの世界では食事前に女神様に祈ったりすることはないんですか?」
「あるんだがね口に出さずに心の中で祈りを捧げるんだ」
「なるほどな。誰も祝福や祈りを捧げるなんてことしてねえからてっきりそういう習慣はねえもんだと思ってたわ」
地域や国だけでも習慣や作法は違ってくる。異世界ならば違って当然のことだ。
「私達、異界の魔人族も向こうの女神様に祈りを捧げていたしね。この世界に来て周りの食事前の光景を見て不思議に思ったわ。といってももう神道と仏門に私達三人は改宗してしまってるようなものだけど…ね」
ミーナがウインクしてみせた。
「この肉じゃが、出汁の味もいいし美味えな。壮介さん、あんたマジですげえよ。このしらたき、芋見つけて粉から作ったんだろ?」
材料はナグー肉、
龍が自分用の箸をサブスペースから取り出し食べると壮介を向って賛辞とともに疑問を投げかけた。
「ええ、こちらではエグみが強くてナグーとかバフローオークスの餌になっている苦味芋があると聞いて調べたらこんにゃく芋でしてね。量は作れませんが作っているんですよ。この歯ごたえはなかなか他にないですからね」
「僕からもいい? 出汁は何から引いたのかい?」
「え? リアムさん、出汁を引くなんて言葉、よく知ってますね」
「だって僕、高台寺の花乃井本店で料理長やってたことあるから」
「ええ! その若さで老舗料亭のしかもミジュラン三ツ星店の料理長なんてあり得ないですよ!?」
見るからに日本人ではないリアムに聞かれ驚きながらもよく使う材料は七光鱒や茶黒鱒の幼魚を煮干したもの、椎茸に似た丸傘茸と言った。この世界では一番使いたい鰹節などなくいい出汁の出る昆布も海藻を食べるという意識がなくまた内陸部でもあるため昆布に近いものの入手機会はまずないといった。
「じゃあ、後で鰹節と削り器とか、利尻昆布から顆粒だしまでまとめて渡すよ」
リーゼルやイリスはなんの話をしているのかさっぱりわからないという表情をしている。
「ああ、すみません。料理に使った調味料のほかに旨味の素の話をしていたんですよ。こちらではそう…ファーンのことですね」
ファーンは、厳密にはズレがあるが地球でいうところのフォンドボーのことだ。
「アタシはこの青ニールの入ったニンガー焼きが気に入ったわ。お姉ちゃんもう食べちゃったの?」
「だって肉だし旨…美味しいんだもん…」
「私はこのキュロットと牛蒡のきんぴらかしら。シャキシャキしていて素朴でさっぱりした飽きない美味しさね!」
「我が家では一番人気がこのマイナドレッシングだよ。ほのかな酸味があって野菜を美味しく食べられるからね」
リーゼルがサラダを食べるといつものソースでないことに気づいて美味いを連呼しながらあっという間に平らげてしまった。
「マヨネーズはどこの人も魅了しちゃうんだね」
「マヨネーズというのか…マイナソースよりも味が濃いし…これは癖になる味だな」
イリスやジョゼッタも美味しいと連呼しサラダをすごい勢いで食べ終えている。
「このマヨネーズには醤油も少し混ぜているんですよ。もちろんマヨネーズだけでも美味しいですよ」
「確かソウスケ君も醤油とやらを探していたよね? 原料は…大豆とかいう豆だったよね?」
「ええ、そうですリーゼル様。こちらではピーズと言われていますね。豆はなんとかなったものの麹が…」
麹を使った諸味の段階で躓いたのだろう壮介は苦虫を噛んだような表情を浮かべた。
「壮介さん、我々はこの地で地球で認識されていたほとんどの調味料、野菜や肉、魚介類を生産しようと思っていますから。特に米と鶏卵はね」
雅のこの言葉で壮介の表情が一変して明るいものになった。
「雅さん、マジですか!? よろしくお願いします!」
「辺境伯、アンヴァルド領の特産品が増えちゃうかもしれませんねぇ。まぁ、先は長いですけどぉ」
「お父様、私はこの先が楽しみになって参りました。もっと色んなものを見聞き…というより食べたくなってきましたわ」
「イリス…あなたという子は…いい歳をして食い意地ばかり張るとは…全くどうしてこうなってしまったのでしょう…」
ジョゼッタは年頃のイリスが食い気に走っているのを気にかけたようだ。
「まあまあ、いいじゃないか。俺も君も未だ知らない美味いものがあるんだ。それには興味が湧くというものだろう? それに特産品が産まれるということは領民の懐も暖かくなるというものだからね」
とはいえこのアンヴァルド領の自由になる地帯は他領に比べて狭い。だからこそのエルロック伯爵領であり周辺地域の領地が気になるのだ。だが、この場でこれを言うのは差し控えた。
「蛤でいいのかなぁ…。この味噌汁、あっさりした優しい味がいいねぇ」
「ハマグリで合ってますよ。僕も名前聞いたときは笑っちゃいました。このハマグリ、南のラカカジル湖で採れるんですよ」
「そうなんだねぇ。壮介さん、この蛤まだあるぅ? あるならさぁ網焼きなんて良さそうだよねぇ?」
「いいですねラーシュさん、ぜひ、やりましょう! リーゼル様、ここで火を使ってもよろしいですか?」
「構わんけど何をするつもりだい?」
「あ、炭使うと汚れるからさぁ。無煙卓上七輪出すよぉ。ちょっと待ってねぇ」
ラーシュはサブスペースから卓上七輪を取り出した。
無煙と謳って売られていたが実際に使用したところ煙が蔓延したことがあるので自力で加工し無煙にした特性品だ。
絶対に煙が出ることはないと豪語しながら炭に魔術で火をつけてもその言葉どおり一切の煙は見受けられない。
男性陣が率先して壮介が持ってきた蛤の
蝶番を外したハマグリをを乗せて焼き始めると口が開き始めると貝の出汁を容器に取り出しまた網に戻しキッチンバサミで身がついていない方の貝殻を切り離す。
「ただ焼くだけなのに手間暇かかけるのですね…初めて見ましたわ」
リアムと龍、壮介が手慣れた手つきで作業していく。
「上の貝を切り離すことで貝が安定するので、一番の旨味であるハマグリの出汁がこぼれにくくなりんですよ」
「こいつから出た出汁で焼くから美味えのよ」
龍はそういいながら先ほど取り出した出汁の半分をハマグリにこぼさないように少しずつかけていく。
暫くしてトングややっとこで身側の殻を押さえ貝の身を裏返し、残りの出汁をかける。
蛤の身は厚くプリブリしており煮汁が湧いている。トングでリーゼル一家とアーガス、ネリィの皿に置いた。
「熱いから気をつけてねぇ。はしたないけど食べたら貝殻に残ってる出汁も飲まないとねぇ」
一家は初めて食べる焼き蛤に興味津々で口にした。
「何の味付けもしていないのにこれは旨いですね。まさに滋味あふれる旨さだ。ワインが進みます!」
アーガスがワインを煽るように飲み、リーゼルもまたその味に唸っている。
「本当に旨い! ただ焼いただけなのにね」
「それじゃ、ついでに酒蒸しもやっちゃいますか?」
リアムが悪ノリして提言すると、味をしめたのかその場にいる
壮介が追加で用意したハマグリのほかにリアムは一口大に切り揃えたエノキダケ、芽キャベツ、三つ葉を用意し酒瓶と卓上の魔導コンロも取り出す。
鍋にハマグリを入れそこに日本酒を入れると強火にかけアルコールを飛ばしていく。
「これは…米酒の香りだな…リアム君、その酒は飲んでもイケるのかい?」
「塩が入ってない飲酒用の米酒ですからイケますよ」
リアムが用意した日本酒は福島県河沼郡会津坂下町の廣喜酒造の飛魯喜・特別純米でその味は透明感と存在感を併せ持ち、フルーツのような香りやスッキリとした旨味が感じられる酒だ。
「少しいただいてもいいかね?」
「どうぞ、一献」
雅がサブスペースから取り出した桧のぐい吞に注ぎ、渡すとリーゼルはまず酒の香りを楽しむ。
「酒の華やかな甘い香り以外だけでなく仄かに爽やかな木の香りがするね」
「この器は、ヒノキという木で作られたものですが、水分を含むと香り立つんですよ。この性質が米酒にはよく合うんです」
なるほどと得心したリーゼルは再度香りを楽しみ、口に含むとゆっくりと酒を吟味した。
「前半はフルーティーでまろやか…コクもある。後味の余韻を長く楽しめるのにキレが良い美味い酒だ」
そうこうしているうちに貝の口が開いたのでストックしているハマグリ出汁を酒の倍量、鍋に注ぎ沸騰したところで野菜を投入し中火に弱めた。2分程放置したところで火を止めて少量の塩を振り完成させた。
「さ、どうぞ」
「ぷりぷりで弾力があって美味しいわ、ソウスケ」
「野菜の彩りが良いし、濃厚な出汁も磯の香りを感じてマジで美味いですね。日本酒によく合う」
リーゼルやアーガスだけでなく壮介も久々の日本酒を楽しんでおり終始、顔をほころばせていた。
「最後の仕上げだな、壮介さん」
「ええ、アレですね。皆さん、今夜は最後にもう一品ありますので少々お待ちを」
この世界には食後にデザートを食べる習慣がないことを不満に思っていた雅とラーシュは壮介と食後のデザートについての話もしていたのだ。
厨房に戻った壮介がワゴンを押すメラニとともに入室すると各人の前に柚子を使ったシャーベットをおいてみせた。
「ソウスケ君、これは何だい?」
「これは雅さんたちからいただいた柚子という僕たちの世界にある柑橘類を使ったシャーベット…氷菓子です。ぜひご賞味ください」
「ああ、のんびりしていると溶けてしまいますから早いうちに召し上がってください」
雅に言われたことが気になったのか慌てて口に含んだ
「そんなに慌てて食べなくても大丈夫さぁ。こっちの世界には食後にこういった甘いものを食べる習慣がないんだよねぇ。でも僕らのいた世界では結構当たり前だったんだよぉ。だから彼に頼んで作ってもらったのさぁ」
この夜出した柚子シャーベットは程よい甘さと酸味で口内をすっきりできると女性陣はおろか男性陣までもを虜にした。
「今夜は初めての食体験ばかりで実に楽しかったよ。我が家も今後は食後のデザートを継続できるといいな」
「リーゼル様、お任せください。レシピは雅さんたちに教えてもらうことになりそうですが、アハハ」
「ソウスケ、今夜は本当に楽しそうだったわ、いい方たちに巡り合えたわね」
すでに眠っているひかりを抱きながらネリィが壮介に呟いた。
「ああ。ネリィ、僕はツイていると思うよ。リーゼル様や君に出会い、ひかりという宝物もできたと思ったら心強い同郷の人たちにも出会えたんだから」
こうして夕食はお開きとなり八角やハラペーニョソースといった渡し切れていなかった調味料や鰹節と削り器に料理酒と産地ごとの吟醸酒を壮介に渡すと中華やエスニックに手が出せるとひどく喜ばれた。
「龍、雅、我ら…私達は暫し出かけてくるぞ…わ。貴…あなたに言われたとおり人種どもには危害を加えぬし、然程かからんから安心して待っておれ…てね」
「お姉ちゃん、早く行って懲らしめて追い出してやろうよ。ねえ、カレシ。帰ってきたらちゃんと褒めてよね? それじゃ行ってくるね」
ユキとシラユキは空へと舞い上がると人化を解き巨大な古竜となり羽ばたいた。
オウレシェリア侯爵領カルコーストルの街の住民を懲らしめる為に。
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