第43話★
完全に締め切られたカーテンによって遮断された一室は、日夜問わずいつも薄暗い。
もう、こんな生活をしてどのぐらいになるのか。それさえももはやわからない。
わかっていることと言えば、自分がどんどん自分でなくなっていく感覚のみ。
楽しいという感情が消えてから、はてどのぐらいが経過するだろう。女性は沈思した。
いつもなら何をやっても楽しかったし、特に友人や仕事仲間と一緒の時は尚更だった。
それがどうか、世の中への不満ならマシな方。
症状が悪化すると何かを
いったいどうして、いつから自分はこうも危険な思想を持ってしまったのか。女性は頭を抱えた。
今では親しかった友人からの連絡も強く拒み孤独に寂しく生きている。
自分だって好きでこんなことをしてるんじゃないのに……! ぶんと振り払われた女性の腕が、近くにあった物を粉々に砕いた。
最初こそ単なる疲労や、あるいは風邪の類とばかり思っていた。
現実は――所詮は素人の浅はかな診断だと今になって痛感させられる。餅は餅屋、昔からこう言葉があるようにさっさと専門機関を頼るべきだった。
果たして
ちらりと視線を落とした右腕を前に女性は「ヒッ!」と、短い悲鳴をもらした。
かつての腕はもっと細くて、仲間内からはもっと食事をするようにと心配されたことあった。
それが今となってはとてつもなく懐かしく感じるぐらい面影はどこにもない。
「はぁ……」
自然と溜息がもれる。
このまま自分はどうなってしまうのだろう。女性は沈思した。
今でこそ人は、この姿を見やれば確実に怪物とひどく罵倒し恐怖するに違いない。
物語だったらここで颯爽と登場した魔法使いによって救済され、ハッピーエンドを迎えるが、
あるとすれば、それはきっと、討伐される英雄譚ぐらいなものだろう。
人間の手によって討伐される怪物……今ほどこの役に相応しい役者は、自分を置いて他にはいない。女性は自嘲気味に小さく笑った。
死にたくなんかない……! 女性はすぐに布団を頭からガバッと被った。
「悪夢なら早く覚めてよ……! お願いだから……」
いくら泣いたところでどうにもならない、それは数週間前の自分がよくよく理解しているだろうに。
そうと頭では理解しても、心で納得しない限り同じことを繰り返すのが人間だ。
もう助かる道は、恐らくない。
いずれ自分という存在は世間に明るみなってしまうだろう。
これは予感ではあるが、遅かれ早かれ現実となる。女性は確信した。
「……あかねっち、ななみっち。助けて……」
切なる願いを込めて、女性はスマホを手に取った。
今日、二人の友人にして仕事仲間の動画がアップロードされる日だ。
「――、そう言えば、今日は確か新人の子もいっしょに出るんだっけ……」
女性にとって二人の配信は唯一、荒れた心を癒す薬だといっても過言ではなかった。
どういうわけか、この時だけは人間に戻れる。そんな気がした。
あくまでも気がした、だけなので実際は特になんの変化もない。
当たり前だ、動画を見たぐらいで奇病が治るんだったら、医者はとっくに不要の長物になっている。
《皆の者よくぞ今宵も参った! ドリームライブプロダクション二期生、最強の鬼である“
《同じくドリームライブプロダクション二期生の、“
《――、それでは早速だが、今日のゲストを紹介していくぞ。まずはこいつ!》
《ドリームライブプロダクション三期生の“
《相変わらず元気やなぁ。そしてもう一人!》
「この娘が……」
一言でいうと、期待の大型新人の立ち絵はとてもかわいい。
薄桃色の髪が、色鮮やかな闇夜を体現したような和服によってとてもよく目立つ。
声についても大変かわいらしくて、しかしどこか凛とした力強さも兼ね備えている。
本来だったら自分もここにいるはずなのにな……。女性は小さく溜息を吐いた。
《ドリームライブプロダクション四期生。秘密結社ドリーマー、法で裁くことができない悪を裁く漆黒の
《と、いうわけで今日はこの二人と一緒にあるゲームをやっていくぞ! 今日のお題は――》
動画の内容は特に違和感もなく、スムーズに進行されていく。
時間にすれば、たった10分程度と短い。
そんな短い中でも内容はとても納得するものだった。
企画内容はもちろんそうだが、やはり四人の掛け合いが一番大きい。
あそこに自分も行きたかった……。女性の瞳からつっと、透明の雫が一つ。頬を伝って落ちた。
そんな時、チャイムが鳴ったのは不意の出来事だった。
こんな時間に誰だろう……? 女性ははて、と小首をひねった。
時刻はもう少しで午前0時になろうとしている。
当然来客がある時間帯ではないし、となれば非常識なのは相手ということにある。
ともあれ非常識な相手であろうと出るつもりは毛頭ない。布団を深くかぶって去ることを祈った。
しかし、来訪者は思いの他諦めが悪いらしい。
等間隔でチャイムが何度も室内に反響する。
「……もう、誰なのよいったい!」
女性はどかどかと玄関へと向かった。
無神経にも程がある。
こちらの気持ちなど露知らず、身勝手で自己中心的な在り方がひどく憎い。
そう言った輩は、一度知るべきだ。他人の痛みや苦悩を知ることではじめて優しくなれる。
だから今からすることは、言ってしまえば正義である。
自分に非は一切ないし、あるのは全部向こう側だ。
他の人に……もとい、世界にとっていいことができる。いいことをする自分はなんて素晴らしいのだろう。
これで扉の向こうにまだいる人が改心してくれればいいな。
できなかったら、その時はいっそのこと死んだほうがいい。
女性はにしゃりと笑った。三日月のように歪めた口から荒々しく吐く吐息はさながら獣のよう。
涎をだらだらと垂らして、今にも鋭い牙を突き立てんとする強烈な衝動が、彼女を歩を早めた。
「ドち羅サまdeスか?」
扉を半場強引に開放する。
無礼な来訪者があまりにも美しかったから、つい見惚れてしまった。
薄桃色の髪に端正な顔立ちは、絵に描いたよう。
こんなにもかわいい娘がいたんだ。さっきまで胸中を渦巻いた負の感情は鳴りを潜め、そんなことを女性はふと思った。
それも束の間のこと。右手にて怪しく輝く――なんて物騒な物を所持しているのだろう。妖艶な輝きを発する白刃を、女性はハッとした顔でそれを見やった。
日本刀をさも平然と所持して堂々と一人暮らしの女性宅に押し掛けるなど、もはや救いようの価値がない。
やっぱりここは自分が彼女を、世界のために矯正するべきだ。女性はそう判断した。
この瞬間より思考は矯正の一択に限定され、後は肉体を意志の赴くがままに動かせばよいだけ。
腕を乱暴に伸ばす。とにもかくにも、仮にも来客者なのだからいつまでも立ち話というのもあれだ。
まずは中に入ってもらって、そこからゆっくりと話せばいい。
次の瞬間――
「……e……?」
女性は目を丸くした。
例えるなら、まるで突然やってきた荒波に飲まれたかのよう。
膨大な水が肉体の動きを著しく制限し、一切の自由を許さない。
遊ばれるがまま、腕は見当違いな方向へと跳ね上がる。強引に戻そうとしても、あの剣にはなにか不思議な力があるのか。
ぴったりとくっついて離れたいのにまったく離さない。
次に女性が感じたのは、ずしりと重い感覚と急激な眠気だった。
なんだか、ものすごく眠たい……。不思議と恐怖はなくて、ただただ温かい。
だんだんとぼやけていく視界で、女性は少女の姿を捉えた。
「安心してください。朝になったら今までのことはきれいさっぱり忘れて、また配信していますから」
「…………」
彼女の言葉の意味は、よくわからない。
ただ、なんだそうなんだ。不思議と納得できる安心感だけがあった。
静かに納刀する少女の顔は、とても優して勇ましい。
地元にいる母親を脳裏に思い出させ、懐古の情と共に女性はゆっくりと瞼を閉じた。
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