第42話

 あくまでも身勝手なイメージを抱いたのはそちらだろうに……。こう言われてしまったら正しくそのとおりだから、ぐぅの音も出ない。


 “朱纏しゅてんあかね”と“釛塚こがねづかななみ”……事務所へと移動する傍らで一颯は、二人の配信について視聴した。


 これから収録を共にするのに無知であるのは無礼極まりない。


 せめて少しだけでも知っておけば、後はいくらでも対応できよう。


 そうして確認した両者の配信スタイルは確認するまでもなく全然違う。


 唯一の共通点は、さすがは鬼と天狐をコンセプトとしているだけあってか、立ち振る舞いは厳格で堂々としていた。


 従ってリアルでも二人はそれに近しい性格に違いあるまい。一颯は少なくともそう思っていた。


 現実は――



「ねぇねぇ、この前さぁ。商店街の方にめっちゃ面白そうな店があったんやけど」


「まぁ~そうなんですねぇ」



 イメージとは少々……否、とてつもなく遠い位置に彼女らはいた。



「……あれが“朱纏しゅてんあかね”さんと、“釛塚こがねづかななみ”さん……?」


「うん、そうだよ。2人ともすっごく優しくて頼れる先輩なんだよ」


「……なるほど」



 片や関西弁で陽気に話し、肩やおっとりとした口調には礼儀正しさがある。


 見事なまでに対極にある両者だが、そのやり取りを見やれば良好な関係であるのは一目瞭然だった。


 りんねが優しく頼れるというのも、なんとくながら頷ける。



「ん? おぉ、りんねちゃん。おはようさん!」


「おはようございますぅ、りんねさん」


「おはようございますあかね先輩、ななみ先輩!」


「今日はひっさびさの収録やなぁ。まぁ、今日も楽しんでいこか」


「はいっ! 今日も頼りにしています!」


「あらぁ? そちらの方はもしかして――」


「……はじまめして。“夜野よるのいぶき”と申します。今日の収録、よろしくお願いします」



 一颯は深々と頭を下げた。



「おぉ、アンタがいぶきかいな。聞いてるでぇ、かすみんのストーカー二回も追っ払ったんやろ? めっちゃ凄いやん自分!」


「い、いえ。自分はまだまだ。それに当然のことをしたまでですから……」


「めっちゃ謙虚やな自分! まぁこれからドリプロの仲間なんや、仲良くしよな!」


「も、もちろんです……!」



 これが鬼……“朱纏しゅてんあかね”という人物らしい。


 ぐいぐいと絡む積極性に少々気圧されたが、一颯は笑みを返した。


 コミュニケーションが苦手な人物には少しばかり、彼女のテンションには苦手意識を抱いてしまうかもしれない。


 だが、悪意はないので仲良くなれればきっと楽しいだろう。一颯はそう思った。


 もっとも、Vtuberとしての顔はもしかすると緊張してしまうやもしれぬが……。


 曰く、大江山に住まう最強の鬼――の一族。それも自称でどこまで真実か定かではない。元ネタは恐らく、日本三大妖怪が一角――酒呑童子しゅてんどうじだろうが。



「わたくしは“釛塚こがねづかななみ”と申しますぅ。以後お見知りおきを、いぶきさん」


「あ、こ、こちらこそよろしくお願いします。釛塚先輩」


「わたくしのことは気軽に、ななみで構いませんよぉ」


「え、そ、それじゃあ……ななみ先輩で」



 こっちは何もかもが真逆だ。すっと静かに差し出された手をそっと握り返す傍らで一颯は思った。


 まるでどこぞの令嬢をイメージする立ち振る舞いは、妙な緊張感を憶えてしまう。


 今日の収録は3Dキャプチャーによるものではないので、皆等しく私服姿のままである。


 個性豊かなファッションの中で彼女……“釛塚こがねづかななみ”だけが和服だった。


 色鮮やかな朱色の生地はさながら激しく燃え盛る炎のごとく。


 特になんの刺繍もなく、非常にシンプルなデザインながらも腰まで届く美しい濡羽色ぬればいろの髪と大変よく似合う。


 恐らく、大和撫子というのはこのことを言うに違いあるまい。



「ななみんはマジもんのお嬢様なんやで? 驚いたやろ」


「え、そうなんですか?」


「もう、駄目ですよぉあかねさん。あんまり他人のことを勝手に話すのはメッ、ですよぉ」


「まぁまぁ、えぇやんか。実際そうなんやし、それにドリプロのメンバーやったら全員知っとることやで?」


「もう……お嬢様と言っても、本当に大したものではありませんからねぇ」


「あ、はい……わかりました」



 本物の令嬢を前に一颯は、酷く落ち着いていた。


 経歴について驚いたのは紛れもない事実である。


 事実であるが、さして取り乱すことのほどでもない。


 リアル令嬢については仕事柄実際に対面したことが、数えられる程度ではあるが経験済みだ。


 皆等しく令嬢として相応しい立ち振る舞いでこそあったが、趣味嗜好は一般人のそれとなんら大差ない。


 とある令嬢の話になるが、アイドルの追っかけでしかもファンクラブの総長をも務めていたりもした。


 とにもかくにも、今日はこの四人での収録となるらしい。


 その時、りんねがきょろきょろと周囲を一瞥した。



「あの、あい先輩は今日は……?」


「あぁ~……あいあいは今日も来てへんなぁ」


「一応、わたくしも連絡は入れたのですけどぉ」


「あい……?」



 はじめて聞く名前のVtuberだ。一颯ははて、と小首をひねった。



「あ、そっか。いぶきんはまだ知らないもんね。二期生で幻想神楽の一員に“竜ケ崎りゅうがさきあい”先輩って人がいるの。この人が二期生の頭……っていうか、二期生の中で一番最初に所属した人なんだ」


「そうやで。ウチとななみんが入るまでの間、あいあいはずっと一人で二期生の頭として頑張ってきたんや。ガッツやったらホンマすごい子やで。いやマジで」


「ですが、ここ最近収録も配信そのものもしていないみたいでして……」


「何かあったんですか?」


「それがウチらもよぉわからへんのや。連絡しても全然繋がらへんし」



 あまり穏やかな話じゃないな……。単なる体調不良であれば本人に無理強いをするのはご法度だ。


 アイドルだろうと人間である以上、精神が不安定になる時は必ずある。


 心身が疲弊しているのであれば今は、無理せずゆっくりと療養に専念すべきである。


 彼女……“竜ケ崎りゅうがさきあい”について、少々調べてみてもいいかもしれない。一颯は沈思した。


 本当に体調不良が原因であればそれでよし。


 落ち着くまでゆっくりと療養に専念してもらえればそれでいい。


 だが、もしそれ以外の要因であるのならば……その時は裏社会に生きる人間の出番だ。


 かすみの時のような事例だってないとは断言できないのだから。一颯は判断した。



「変な事件に巻き込まれてへんかったらえぇんやけど……」


「それだったら大丈夫ですよ!」



 不意に、りんねが口を切った。その口調は強い自信に満ちている。



「もし何かあったら、ウチにはいぶきんがいてくれますから!」


「お、おい……」



 りんねにしてみれば、ほんの何気ない会話のつもりだったに違いなかろう。


 人間、ふと意図せぬ時に秘密をぽろりと口にしてしまうものだ。


 もちろんそれがまかり通るほど、世間は甘くはない。


 最悪の場合、それが原因で人間関係から社会的地位が破綻する可能性だって十分にある。


 余計な不安を彼女達に与えることもあるまい。だからこそ予期せぬ形で秘密を暴露しかねないりんねの口を、一颯は慌てて抑えようとした。



「いぶきんはかすみんのストーカーをやっつけたぐらいすっごく強い娘なんです。だからもし、あい先輩に何かあったらいぶきんがババッと解決してくれますよ!」


「……せやな。噂には色々とウチらも聞いとるで? あのダンダダンから直々にスカウトされて、あっちゅー間にチャンネル登録者数も、今ナンボや? 10万人以上いった期待の大型新人やって」


「それはいくらなんでも買い被りすぎですよ。俺は至って普通のVtuberですよ」


「ホンマ謙虚やな自分! そこはもっと、お前らをすぐ抜かしたるわぁ、ぐらい言わへんとアカンで?」


「いやいや、そんな恐れ多いこととてもとても」


「……でも、まぁ。同じ幻想神楽のりんねがそう言ってるんやから、ホンマにすごいんやろうな。何かあった時は遠慮なく頼らせてもらうし、お願いやで?」


「自分の力でできる範囲であれば、その時は喜んで」



 久しぶりにあいつと連絡を取ってみるか……。一颯はスマホを取り出した。


 実父での一件以来、久しく連絡を取ってこそないがいつも配信に来ていることは知っている。


 今や最古参メンバーの一員にして、赤スパの鬼、という異名までつけられるぐらい他リスナーからの認知度が高まった。


 ただ一つだけ、あえて不満をもらせばその赤スパのせいで“夜野よるのいぶき”ガチ恋勢と認識されていること。


 互いに野郎と知っているだけに、気持ち悪さが半端ない。


 あの男のことだから面白半分で赤スパばかり投げるのだろうが、もしかして本当にそっちの気があるのでは……。一颯は顔を青ざめさせた。


 これ以上、あれこれと想像するのは精神上極めてよろしくない。



「そろそろお時間ですー」


「お、それじゃあぼちぼちいこか!」


「それじゃありんねさん、いぶきさん。今日はよろしくお願いしますねぇ」


「こちらこそ、よろしくお願いします!」


「あ、よ、よろしくお願いします」



 気持ちを切り替えよう。一颯は控え室を後にした。

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