第40話
鬼の戦闘能力は現代で言う戦車一台分に匹敵する。
それを人間が挑む時点で圧倒的不利なのは火を見るよりも明らかで、いくら
よって長期決戦は不利となるので、短期決戦がなによりも好ましく常套手段となるのだ。
この技の最大の特徴は何と言っても一撃必殺の剣にある。
他流派にはない全力疾走に加え、全体重を乗せた上段からの強烈な一太刀は敵の防御をも貫通する。
事実、西南戦争においてこの
だが、初太刀を回避された後の脆さは否めず。かの有名な新撰組局長、近藤勇も「自顕流の初太刀は必ずかわせ」と、強く言い聞かせていたことからハイリスクハイリターンな技でもあるのだ。
しかし当の本人である以蔵に死ぬつもりなど毛頭ない。
相打ち覚悟の玉座で得た勝利などは、真の勝利などとは言えず。
生還して地に立っていることこそ、本物の強者である。こう豪語する彼は己ならではの改良を加えた。
全力疾走で敵手へと肉薄し、全体重を乗せた唐竹斬りを行う。
ここまでは
至極単純な構造にして、しかし最強の一角として名を馳せた自顕流だが、初太刀の回避はむろんのこと、こと突きに関してはめっぽう弱かった。
まっすぐ突っ込んでくるとわかっているならば対処はしやすい。
とは言え、しやすいとは言ったものの実行するとなるとそう簡単な話ではないが……。
以蔵のそれは、間合いを自由自在に操る。
加速と失速、速度的には微々たる差異だが、このわずかなタイムラグが技なのだ。
肉薄する時、彼の走法から規則と言う概念が完全に消失する。
肉眼では大してなんら違和感がない、ごくごく普通の全力疾走と周囲は見紛おう。
相対する者の視界には、周囲とは異なる景色が映し出される。よってあらぬタイミングで仕掛け、結果隙を突かれる。
あるいは、何もできぬまま斬られるか。
それを知らぬ一颯ではない。
幼少期の頃からずっと、父の背を見てきた。
彼の剣は――人間性こそ最悪なのは今でもそうだが、こと剣士としては誰よりも尊敬できる男だった。
いつか自分も、あんな風に強くなれたのならば……。こう、思ったことも決して少なくはない。
しかし一颯はあくまでも一颯でしかなく、いくら模倣しようが同じようにはなれない。
何故なら幼少期の一颯は現在のような強靭な精神と肉体を兼ね備えていなかった。
刀を振るうことさえもままならないほどひ弱な少年で、それ故に周囲の目が厳しかったのも致し方ない。
特に実父であり祓宮家当主であった以蔵からの圧力は、齢10にも満たない幼子にはあまりにも苛烈で耐え難い苦痛となったのは言うまでもない。
どう足掻いても純粋な力比べの前じゃ、父には勝てない……。だからこそ一颯は自分だけの剣を得るべくして祓宮の
強烈無比な太刀筋を前に、いかようにして立ち向かうのか。
結論は――。
両者の距離――およそ六メートルはあったはずの距離が、以蔵の走法によって一気に縮まる。
どちらかが後一歩、前に進めば先に間合いを得るのは以蔵だ。一颯は以前、中段に構えたまま微動だにしない。
そしてとうとう、最後の一歩が以蔵によって踏み込まれた。刹那彼の剣はたちまち
その光景は正しく雷のごとく。どれほど堅牢な城壁であろうと、雷の前ではあまりにも脆弱と化す。
故に以蔵の剣を――
「一颯!」「いぶきちゃん!」「いぶきん……!」「いぶきん、避けて……!」
傍観者と徹するしかできなかった四人の悲痛な叫びが、雨音をかき消し――けたたましい金打音が鳴った。
「ぐっ……」
「悪いなクソ親父。俺にとってその剣はもう、過去のものでしかないんだよ」
一颯は静かに、それでいて稲妻のような
技の最大の強みとは本来、互いに手の内がわからない――現代風で言えば、初見殺しだからこそ発生する。
こと一颯は何度も父の剣を己が目に焼き付けている。
初見であれば恐らく回避はおろか、防御さえできぬまま、無様に死体を地面に転がっていただろう。
上段からの一撃に対し、一颯が取った行動は――極めて単純なもの。
見た目こそ
しかし地味だからこそ実戦的であり、確実に敵手の命を奪うことを可能とする。
一颯の最大の武器は即応能力と動体視力にある。
つまり敵手の攻撃に対しいかに負担なく捌き、そして攻撃するか。
「な、何故……?」
地上から見上げる以蔵は苦悶の
それを黙って見下ろす
「クソ親父の剣は何度も見てきた。それに俺が
イメージトレーニング――文字どおり脳内で仮想の戦闘を行うこと。
たかがイメージと侮ることなかれ。実戦に基づいたそれはすさまじい集中力と想像力を要する。
あくまでもイメージ内での出来事だから、間違っても死ぬことはない。
もっとも、精神に掛かる負担は相当なもので、仮にも斬られた姿を想像するのだからお世辞にも心地良いものではない。
毎日欠かすことなく、今日に至るまでずっと父と死合ってきた。
どれだけ人間クズでも、思い描く最強の敵とは誰か。こう自らに問うた時、いつも必ず最初に浮上したのが父なのだから。
最強を超えるために修練に励むのはしごく当たり前で、そしてようやく最強を超えた。
もう、かつてほど怖いと言う感情はない。一颯は静かに納刀した。
互いに用いた得物は鬼を斬るためのものであって人は斬れない。
まぁ、死なずとも耐え難い苦痛を帯びることには違いあるまいが……。クソ親父なら気合でどうにかできるだろう。さして意に介さず一颯はくるりと反転した。
「ま、待て……」
「勘違いするなよクソ親父。お前は敗者で勝者は俺だ。これが真剣だったらどうなってたか、まさかわからないなんてことはないよな?」
背を向けたまま、見向きもせずに一颯は冷たく言い放つ。
今はどんな
仮に想像と異なっていようとも、自身が勝者という事実までもが変わらない。
これで一つ肩の荷が下りた。一颯はそんなことを、ふと思った。
「――、俺は二度とお前らのところには帰らない。お前が知っている
「ぐっ……」
すぐ後ろでどしゃり、と地に崩れた音が鳴った。
さすがは祓宮当主と言っただけのことはあるだろう。一颯は素直に感心した。
つまり、肉体は無事でも魂は斬られたと錯覚するわけだから、精神への負担はすさまじいの一言に尽きる。
並大抵の人間ならば、まず意識を保つことこそ不可能だ。
「い、一颯……」
「かすみ、さん……」
一番知られたくない人達に見られてしまったな……。一颯は胸中で自嘲気味に笑った。
どう足掻いても誤魔化すことはできない。家の事情のみならず最大の秘密までも彼女に知られてしまった。
名残惜しくは、ある。数か月と言う付き合いではあれど彼女達との出会いは掛け替えのない宝物だから。
「かすみさん、エルトルージェさん、こころさん、りんねさん……今までお世話になりました。皆と出会えたこと、一緒に配信したこと、本当に楽しかったです――後、苦情の方は俺じゃなくて社長にお願いします」
「あ、ま、待って――」
「……それじゃあ、俺はこれで」
まだ何か言いたそうにしているかすみ達をおいて、一颯はその場から走り去った。
森の中に女性四人を放置するのもいかがなものか、と思わなくもなかったが今ばかりは一秒でも早く、かすみ達から離れたかった。
純粋に咎められるのが怖かった、からかもしれない。ふっ、と小さく鼻で一笑して一颯はスマホを取り出した。
電話をかける相手は、むろん知れている。
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