第一部終章:物語は続いていく

最終話

 一颯が訪れたその場所は、とても穏やかな空気に包まれていた。


 周囲の喧騒はほとんどなくて、心地良い静けさが流れている。


 窓から差し込む陽光もぽかぽかと暖かいことも相まって、正しく最高のロケーションだと言えよう。


 室内については、二人分ならばちょうどいい広さだ。今は自分一人だけであるが、今日は来客の予定がある。


 そろそろ時間だ。一颯は時計をふと見やった。



「後、五分ってところだな……」

「――、やぁ。待たせて悪かったね一颯ちゃん!」



 息も絶え絶えな男は、よっぽど急いできたのだろう。額にうっすらと滲む汗がすべてを物語っている。



「社長、わざわざすいませんね」

「い、いいんだよ。だけど、今度はまさかぼくが君からこうして呼び出されるなんて。あの時の逆だね」

「確かに。まぁとりあえず座ってくださいよ。とりあえずアイスコーヒーでも頼みますから」

「ありがとう」



 注文をして早々に届いたアイスコーヒーを一気に飲み干し「ところで……」と、段田弾だんだはずむが静かに口を切った。



「――、一週間も音沙汰もなくどこで何をしてたんだい?」

「別に、大したことじゃありませんよ。これから住む物件を探したり、契約の手続きをしたりとか。そんな感じです」

「……本当に、“夜野よるのいぶき”の物語を終わらせるのかい?」

「……えぇ」



 一颯ははっきりと答えた。


 元父と対峙した瞬間から、ドリームライブプロダクションの“夜野よるのいぶき”としての物語に終止符を打つ。


 これは最初から決定事項であり、今更覆すつもりも毛頭ない。名残惜しくない、と言えばもちろん嘘になってしまうが。



「……そう、か」

「すいませんね社長。でもいいんですよ、これで」

「だけど、君は……」

「それにドリームライブプロダクションは俺がいなくても傾きませんよ。あそこには、本当にいい人材ばかりがそろってる――そうですよね? 元祓魔士ふつまし壇陀弾だんだだんさん?」

「……やっぱり、一颯ちゃんは気付いてたか」



 そう口にした段田弾だんだはずむ――もとい、壇陀弾だんだだんはばつが悪そうに小さく笑った。


 この男が自分と同じく祓魔士ふつましである、という情報を掴んだのは実はつい最近のこと。


 情報源は贔屓にしている情報屋からの、ちょっとしたオマケで知った。


 オマケというには十分すぎるぐらい釣りが発生すると思わなくもなかったが……。同時に壇陀家については、まったく皆無と言うわけでもない。



「壇陀家と言えば怪力乱神と祓魔拳法で有名な一族。その人間である社長がどうして、Vtuber事務所なんかを立ち上げたんです?」

「はははっ。情けないことに、ぼくは生まれつき身体が弱くてね。父や兄のようにはどうしてもなれなかったんだよ。後、純粋にぼくは痛いのも痛みを与えるのも好きじゃないんだ。でも祓魔士ふつましとしての誇りはぼくにだってある。だから兄さん達とは違う道で、なにかできることはないか。そうして辿り着いたのが――」

「Vtuber事務所だった、と。また随分と思い切って企業しましたね。でもそれだったらあなた自身が配信者としてなればよかったんじゃないんですか?」

「……確かに、最初はそう思ったよ。だけどぼくなんかよりも、ずっとすばらしい素質を持った子はたくさんいる」

「……言霊使い、ですか」



 言霊使い――名は体を表す、とこうあるように、言霊使いは言葉を用いて鬼を祓う。


 とは言え、鬼を相手に言葉のみで浄化するのは極めて至難であり、効率性の悪さから祓魔士ふつまし界隈においては下級として扱われる。


 しかしごくごく稀に、一般人の中でも和魂にぎだまに強く影響を与える者も存在する。


 言葉とは優しく包み、時に鋭いナイフのように傷付ける。


 誰しもが日常的に用いる会話の中にも鋭利な刃物が潜み、皮肉にもその多くが荒魂あらたまへと深く干渉してしまう。


 いじめによる冒険や自殺の強要によって、自ら命を断ってしまう者がいい例だ。



「あの娘達には、ぼくにはない魅力も素質もたくさんある。そんな彼女達を全力でサポートして、少しでも多くの人の心に光を与えたい。それがぼくの最大の願いでもあるんだ」

「……なるほど。でも、社長だってすばらしい素質たくさん持ってますよ」

「え? ぼくがかい?」



 きょとん、と小首をひねる辺り本人にその自覚はないらしい。一颯はふっと口角を緩めた。


 祓魔士ふつましとしての才能は確かに、この男にはないかもしれない。


 だが、それに代わって人徳がある。人を惹きつける魅力があると言っても過言じゃない。


 さもなくば誰一人としてドリームライブプロダクションに所属することはきっとなかったろう。彼――段田弾だんだはずむだからこそ、彼女達は集ったのだ。



「――、さてと。それじゃあ俺はそろそろこれで。今日はこれをお渡ししたかったので」



 言って、一颯はポケットから一枚の封筒を差し出した。


 どんな形であれ、きちんとやるべきことをやるのが社会人としての常識だ。


 人生初ともいえる辞表の書き方で数時間も費やしたのは、今思っても予想外だったが、いい経験になったのは言うまでもない。



「……これからどうするんだい?」

「さぁ、わかりません。とりあえずしばらくはのんびりしようかと思います。後、俺のチャンネルなんですけど――」

「一颯ちゃん。その前に一つ、ぼくからもいいかな?」

「え?」

「一颯ちゃんに見てもらいたいものがあるんだよ」



 そう言って取り出されたタブレットを慣れた手つきで操作して「はい」と、手渡される。


 このタブレットがいったいなんだと言うのか。一颯ははて、と小首をひねった。


 受け取って早々に、少量でこそあるが音がしかと耳に届けられた。



「これって……!」



 一颯は目を丸くした。


 幸いここは個室だ。よっぽどの騒音でなければ咎められることもまずあるまい。


 気にすることなく音量を上げることで、軽快な音楽と一週間ぶりに耳にした声に思わず顔が綻ぶ。



「今日ライブ配信する予定だったんですか?」

「いいや、そんな予定はないよ」

「え? じゃあ完全にゲリラライブってことですか?」

「うん。それもただのゲリラライブじゃない――一颯ちゃん、君だけに送る特別ライブだよ」

「俺、だけに?」



 それは、なんとも粋な計らいをしてくれる。一颯は照れ臭そうに頬を掻いた。


 数カ月間とは言え、こうも盛大な見送りをしてくれるのだから、やはりドリームライブプロダクション関係者は全員善人ばかりしかいない。


 申し訳ない気持ちもなくはないが、今だけは素直に受け取っておくことにする。


 観客のいない、たった一人自分のためだけに公演されたライブは無事に終了。


 心配する必要もなく三期生の歌唱力とダンスは見事と言う他なく、この事実を知らない他のリスナーに同情すると共にちょっとした優越感に浸った。


 素敵な思い出を手に入れることができた。一颯は深々と段田弾だんだはずむに頭を下げた。



「……本当に今までお世話になりました社長。俺は――」

「ストップ一颯ちゃん。ライブは最後まで見てほしいな」

《――、あーあー。ちょっと聞こえてるんでしょ一颯》



 不意に、かすみの声が耳に届いた。



《アンタが何を考えてるか知らないけど、四期生の頭なんだからさっさと戻ってきなさい》

「かすみ……」

《私達、いぶきちゃんが男の娘とかそんなの気にしてないよ!》

《そうそう、やっぱりいぶきんがいないとさぁ。なぁんか落ち着かないんだよねぇ》

《だから、また一緒に配信やろ。ね?》

「みんなまで……」

「――、ちなみにだけど、このライブはぼくの提案じゃない。彼女達自らがぼくにお願いをしてきたんだよ」

「かすみ達が……!?」



 思考が先程からずっと追いつかない。


 自分達が何を言っているのか、本当に理解してのことなのか……? 一颯は訝し気に液晶画面を見やった。


 愚問だ、この疑問を抱く価値ことこそが路傍の石に等しい。わざわざ本人らに直接確認する必要もない。


 本心か否かは、声を聞けばすぐにわかる。さもなければこうも、心が温かく安らぎを憶えるはずなどないのだから。


 やはり、彼女達は本物のアイドルだ。一颯はそう思った。



「――、一颯ちゃん。君のことはかすみちゃん達から聞いたよ。祓宮ふつのみやって聞いた時はさすがに驚いちゃったけどね。だけど今後も戌守一颯いぬがみいぶきとして生きていくのなら、ぼくはこれからもドリームライブプロダクションのVtuberとして活動し続けてほしいと強く思ってる」

「社長……」

「――、一颯ちゃん。君の答えを聞かせてくれないかい?」

「…………」



 一颯は静かに席を立った。


 二人分のアイスコーヒー代をそっと置いて退室しようとしたところを、段田弾だんだはずむに呼び止められる。



「どこへ?」

「……とりあえず、不動産屋と引っ越し業者。後はその他色々連絡をしに――キャンセル料発生しなきゃいいですけど」



 首だけをくるりと返して、一颯はにこりと微笑んだ。

 




◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 雲一つない快晴でさんさんと太陽が照る真昼であるにも関わらず、その一室はひどく暗い。


 唯一の明かりは、いくつもの蝋燭に灯る小さな赤き輝きだけで、そこにぴしゃりと肉を鋭く弾く音が不気味に反響する。


 強いて言うなれば、むせ返るほどの濃厚な血の香りがただでさえ狭い室内を満たし、常人であればまず入ろうとすらしないだろう。


 その入室者である少女は、眉一つ微動だにすることなく平然とした様子でいた。



「――、ねぇ。わたくしは言いましたよね? 必ず連れ戻してくるようにって……」



 そう吐いて捨てた少女の言葉は、氷のように酷く冷たい。


 優しさなど欠片ほどもなく、瞳はさながら無機質なガラスのようだ。


 そんな瞳が映す男は、今にも死に瀕していた。鍛え抜かれた肉体にはおびただしい数の傷跡が痛々しく刻まれ、そこから流れる血が異臭の原因なのは言うまでもない。



「まったく……やはり、ここはわたくしが動くべきでしたわね」



 少女は、男を足蹴にすると室内を後にする。


 まるで幼子がおもちゃに飽きて放置するかの如く。


 仮にも己の父親・・であるにも関わらずぞんざいな扱いに毛ほども悪びれる様子はない。



「――、それにしても。まさかあんなに周りに女がいるなんて。せっかく工場の一部を爆破して莫大な借金を背負わせたところをわたくしが颯爽と助ける予定でしたのに……まぁ、いいですわ。次の手がないわけではありませんし。ねぇ――お兄様・・・



 そう言った少女の口元は、三日月のように歪んだ笑みを作った。


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