第38話
傘を差し、顔を隠すようにしながら目的地へと向かう。
目指す場所はマンションからかなり離れた山の中。
昼間であるにも関わらず、ましてやこの天候だ。
山道はひどくどんよりとして大変薄暗い。
得体の知れない不気味ささえもかもし出す中を、一颯はぬかるんだ地面を蹴って奥へ、奥へとひたすら歩いていく。
一時間ぐらいが経過しただろうか。まさか、こんな場所があったなんて……。目的地についた一颯は関心の息をそっと吹いた。
広々とした空間に、寺がぽつんと佇んでいる。半壊した外観を見やるに、もう何十年と放置されているらしい。
「あそこにいるのか……」
「――、そうだ」
できることなら二度と拝みたくなかった顔がすっとその姿を目の前に晒した。
もう何年という時間が空いたのだ。外見が大きく変化するのも無理はないが……。一颯はハッと息を吞んだ。
なんだ、その無様な姿は? いったいあれからこの男の身に何が起きたと言うのだろうか。
相対するまでずっとあったはずの憎悪と怒りが、瞬く間に驚愕と疑問で塗り替えられていく。
「……随分とイメチェンしたな?」
「ふん……色々あったのだ」
淡々と、端的に返答するのは以前とまったく変わっていない。
少しだけ別人ではないか、と疑ったのはどうやら杞憂だったらしい。
かつての父――
以前の面影はもうどこにもない。さながら
自慢の黒髪にも聞いた話よりもずっと白髪が多く、齢まだ40代であるはずなのに老人と大差ない。
人間多大なストレスを抱えると著しく肉体に悪影響を及ぼすとは耳にするが、まさかこうも目に見えてはっきりと変わってしまうとは……。自分が実家を出てから果たしてこの男の身に何が起きたのだろう。一颯は沈思した。
「――、べらべらと話すつもりはない。本題に入らせてもらう――全員をどこへやった?」
以蔵は、顎で小さく本堂の方を差した。
「無事なんだろうな?」
「目的はあくまでお前ただ一人のみ。部外者に危害を加えるほど、この以蔵落ちぶれてはいない」
「誘拐している時点ですでにアウトなんだけどな」
とにもかくにも、無事というのであれば安心できた。幾ばくかの余裕を心に取り戻す。
「……こうやって来てやったんだ。彼女達は先に解放して帰らせる――文句はないな?」
「好きにせよ」
「…………」
一颯は本堂の扉をゆっくりと開けた。
中は外見ほど損傷はひどくなく、辛うじて雨風を防げる程度には機能していた。
中央にて鎮座する仏像は、ずっと放置され蜘蛛の巣が全身にまとわりつきかつての神々しさはもはや皆無である。
なんとも罰当たりな有様ではあるが、顔に浮かぶ慈愛に満ちた優しい
「――、来るのが遅れて悪い。でも、もう大丈夫だから」
仏像の手前、怯えた四人の姿に一颯はホッと安堵の息をもらした。
「い、一颯……!」
「……謝って済む話じゃないのは重々承知してる。それでも謝らせてくれ――今回は俺のせいで怖い目に遭わせて、本当に悪かった」
一颯はかすみ達に深々と頭を下げた。
自分がいなければ、怖い思いをすることもなかったのは紛れもない事実である。
恨まれたとしても致し方なし、されど謝らなくては気が収まらなかった。
「――、とりあえず皆はこのまま事務所に帰ってくれ。社長も、他のスタッフとかも皆心配していたから」
「い、いぶきちゃんは……」
「俺は……俺は今日限りでドリームライブプロダクションを……いや、Vtuberを引退する」
「えっ……?」
「ちょ、ちょっといぶきん? それってどういう……!」
「……俺から言えることは以上だ。それじゃあ、見送りができなくて悪いけど、皆で事務所に戻ってくれ」
もう二度と逢うことはあるまい。
再び以蔵と相対する最中で、一颯はふと意識を過去に飛ばした。
今日と言う日に至るまですごした時間は、決して悪くはなかった。
最初こそ不安しかなかったが、いつしかすっかり打ち解け騒がしい時間が楽しいと思えるようになった。
ドリームライブプロダクションと、そのメンバーによる影響は極めて大きかったと断言できよう。
だからこそ、せめてもの恩を返すためにも“
一颯は腰の大刀をすらり、と静かに鞘から抜いた。
一颯の愛刀――は特に銘のない一振りであるが、刀としての質は大業物に匹敵する。
刃長は
対人戦ではなく、対鬼を想定した一振りは無銘でありながらこれまでずっと、数多くの死地にて一颯の身を守ってきた。
いわば半身と言って過言じゃないそれに、あえて付けた
「……先に尋ねる。前に俺が担当した依頼――工場で起きた大爆発の仕業、アンタがやったのか?」
一颯はぎろりと以蔵を鋭く睨んだ。
情報屋から聞いた話である。
数か月前、一颯はとある工場で鬼を一匹斬った。
大きな仕事だったことは昨日のことのように鮮明に憶えている。
なにせ件の鬼は一般人はもちろん、同業者を数多く屠ったほどの強者だったのだから。
それだけ狂暴にして危険な鬼とだけあって、報酬も過去一番大きかったし、一颯としても特に拒む道理はなかったので担当した。
あの時は本当に死ぬかもしれないと、本気で思った。
すこぶる本気で思える相手に勝利して、莫大な報酬を手にした――そうと喜んだ直後。ここで予期せぬアクシデントが一颯を襲った。
「工場の一角で大爆発があった。跡形もなく消し飛んで、被害総額はざっと数千万円……幸い人が周囲にいなかったから死傷者は出なかった、がその賠償金は何故か俺に支払うよう政府から言い渡された。おかしな話だと思わないか? 俺が鬼と戦ってた場所から遠く離れたところで爆発が起きたなんて」
曰く、あの大爆発は事故ではなく人為的なものであり、そしてその時に誰かが工場内部に侵入している様子がはっきりと監視カメラには映っていたという。
奇しくも監視カメラの映像は何故か残っておらず、カメラそのものも爆発とは異なる壊れ方だった。
「俺が贔屓にしている情報屋も誰かまでは特定するに至らなかったらしい、がここ最近になってアンタが現れたことで確信に変わった――何の目的があって、あんな真似をしたんだ?」
「――、ならばこちらかも単刀直入に言おう。
「なんだと……?」
こいつは、いきなり何を言い出すんだ……? 家に帰ってこいだと? どの口が今更……! 一颯はぎりっと強く奥歯を噛みしめた。
「冗談ならまったく笑えないし、本気で言ってるなら失笑ものだ。家に帰ってこい? お前は散々才能がないだの、家の恥だの、挙句にはどうして生まれてきたのかと罵ってきた輩が家に帰ってこい? ふざけるのも大概にしろよ、クソ親父」
口調こそ冷静でこそある一颯だが、内心では凄烈に燃え盛る炎よろしく、ふつふつと怒りが湧いていた。
一颯の幼少期は正しく地獄のような日々だった。
事あるごとに妹と比較され、その都度心身共に苦痛を与えられ、褒められたことなど一度としてなかった。
そんな日々にとうとう限界に達し、一颯は若くして祓宮の性を自らの意志で捨てた。
「俺が出て行ってからというものの、探そうともしなかったくせにどういった風の吹き回しだ?」
「……とりあえず、今ならば帰ってきても構わない。我はもう、お前も蔑んだりしない」
「だから、ふざけるなと言ってるんだ。どういう理由があるかわからないが、俺はお前のとこに戻るつもりはこれっぽっちもない――今のお前は斬る価値すらもないぜ、クソ親父」
せっかく抜いたばかりの大刀を鞘に納めた。
ここで怒りに身を任せ斬ろうものなら、格好悪い人間になるのは自分だ。
誰振り構わず斬るなど剣士としての恥であり、人間としても自らの価値を下げるだけにすぎない。
かつての威光はもはや皆無に等しいこの男は、路傍の石も同然だ。
石ころ相手に本気になって斬る輩など、この世のどこを探してもおるまい。一颯はくるりと踵を返した。
すぐ後ろでしゃりん、と小気味よい刃鳴が雨音を裂いた。
振り返れば、父の愛刀――同じく無銘にして同刀匠による一振りがいつの間にか抜かれている。
刃長は
元々、
これは鬼という異形を相手にするためであり、一刀のもと両断することに重きを置いた戦法を考慮してのものだ。
その在り方は薩摩隼人の剣――
「……どういうつもりだ?」
「……自らの意志で従わぬというのなら、力尽くでお前を連れていくまで」
「――、あぁ、なるほど。結局はそうなるってことか。なるほど了解。おかげでこっちも遠慮なくやれる」
再び一颯は抜刀した。
「ちょ、ちょっと待って!」
その時、かすみの声が雨音を切った。
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