第37話

 本日の天候は、生憎も曇り空と、どんよりとした鉛色の雲からは今にも雨が降り頻りそう。


 快晴がずっと続いていただけに、自然と気分も滅入ってしまう。


 同時にこの時、一颯の胸中では一抹の不安が渦巻いていた。


 これは、あくまでも勘にすぎない。あるいは、虫の知らせと言うべきか。


 なんだか嫌な予感がする……。胸中をざわつかせながら、一颯はドリームライブプロダクションの事務所へと赴いた。



「――、あぁ。おはよう一颯ちゃん」

「おはようございます……?」



 中に入って早々に出くわした社長――段田弾だんだはずむに、一颯はこの時違和感を憶えた。


 表情こそいつもの厳つくあるも笑みを絶やさないこの男だが、心なしか今日は焦りの感情いろが見られる。


 何か、あったのだろうか……? 一颯ははて、と小首をひねった。


 いつもわいわいと賑やかな事務所内も、今日に限っていつになくざわざわと騒がしい。


 楽しい雰囲気であればともかく、誰しもが一様に焦燥感に駆られた面持ちであれば、只事じゃないと察するのは実に容易だ。


 何かやばいことが起きたらしい。一颯はすぐに察した。



「……何か、あったんですか?」

「……ねぇいぶきちゃん。いぶきちゃんは、かすみちゃん達がどこに行ったかとか、聞いてないよね?」

「え? いや、聞いてないですけど……」

「う~ん、実は今日収録がある日なんだけど。かすみちゃん、まだ来てないんだ」

「え? かすみ……先輩がですか?」



 いよいよこれは只事じゃなくなってきた。一颯の顔に緊張感が帯びる。


 “天現寺てんげんじかすみ”は、とても真面目な女性だ。ドリームライブプロダクションのVtuberとしての誇りが誰よりも熱く、何の連絡もなしに無断欠勤するとは考えにくい。


 まだ家にいる可能性はないのだろうか……? 物は試しと一颯はかすみに連絡を取ってみた。


 しかしコール音が空しくなるばかりで電話に出る気配はまったくない。



「かすみちゃんだけじゃない。三期生の娘全員が来てないんだよ……」

「全員、ですか……!?」

「そうなんだ。今他のスタッフやマネージャーにも確認したんだけど、出勤するって連絡が最後で……」

「……警察に連絡は?」

「……警察への連絡は、もう少し様子を見てからすることにするよ。最悪の可能性ももちろん考えてはいるけど……」

「…………」



 胸中を渦巻く一抹の不安が、ここにきて急激に増大した。そんな感覚を一颯は憶えた。



「――、ん?」



 不意にポケットのスマホがわずかに振るえた。


 時間の短さからしてメールがきたらしい。


 こんな忙しい時に……。一颯はスマホを確認した。大方、どうでもいい広告の類だろう。


 そうでなかったから、一颯は目をかっと大きく見開いた。


 送信者はかすみからだった。ようやく連絡がついたらしく、だったら電話で返せばいいものを。ひとまず連絡がついたと安心したのも束の間のこと。


 メールに記載された堅苦しい文章は、明らかに本人ではない。


 内容についても本人が書いたものとは思えないぐらい、物騒極まりないものだった。



「しゃ、社長これを……!」

「こ、これは……!?」



 最悪の展開が脳裏をよぎった。

 まさか、誘拐されていたなんて……! 一颯は強く拳を握り締めた。



「三期生全員を預かった。人質を解放してほしければ四期生の“夜野よるのいぶき”一人で指定した場所に来い……どうして、一颯ちゃんが!?」

「それは、わかりません。だけどこの誘拐犯、どうやら俺に何かしらの用があるのは間違いないでしょ――とりあえず俺、行ってきますよ」



 一颯は踵をくるりと返した。


 どこまでもクズ野郎なんだ……! 一颯は怒りに打ち震えた。


 メールの内容だけでは犯人を特定するのはまず、事実上不可能だ。とは言えつい最近の出来事から考慮して、実行犯が何者であるか容易に想像がついた。


 あの男・・・ならば、やりかねない。普通の人間ならできないことも、簡単にやってのけてしまうのがあの男・・・だ。


 まさか誘拐犯が元自分の身内などとは、考えたくもない。


 しかし覆しようのない事実なので、否が応でもこの現実を受け入れるしか他ない。


 そして、責任はすべて自分にもある。自分がドリームライブプロダクションと関りさえなければ、今頃皆が被害に遭うことはなかったのだから。



「ひ、一人で行くのは危険だよ一颯ちゃん!」

「でも、このメールには俺一人で来いって書かれてます。加えて警察とかに連絡したら、他の皆の命も保証できなくなる可能性があります。ここには書いてませんけど、よくドラマとかでもあるじゃないですか。警察とかに連絡したら云々って」



 これについては、一颯は大して心配はしていなかった。


 祓魔士ふつましという人々を守る側にいながら、害を成す輩は政府からすぐに目をつけられる。


 かすみ達はあくまでも、おびき出すための餌でしかない。役目さえ終われば無事に解放されよう。


 危害を加えることはない。だが、監禁罪が成立していることにはなんら変わらない。


 事情を恐らく知らぬまま連れられた彼女達も、きっと不安と恐怖で精神的に相当参っているはずだ。


 のんびりと悠長にしている時間が、とにもかくにも今はなによりも惜しい。



「大丈夫ですよ、必ず皆連れて帰ってきますから」

「だ、だけど……! もし、君にまで何かあったら……!」

「それこそご心配なく。そんじょそこらの相手に負けるほど、軟な生活は送ってないんで――安心してください。社長が見つけてきた大切な宝物は、必ず俺が……」


 身を案じる段田弾だんだはずむと他スタッフ達に見送られる中、一颯はまっすぐと自宅に戻った。


 時間は惜しいし、できるだけ迅速に対応するのが最良の選択なのは言うまでもないが、メールには特に時間の指定はない。


 いつだって構わない――恐らく向こうも、すんなりと事が運ぶとは最初ハナから思っていない。


 まったくもってそのとおりだ。許されるなら命をもって罪を償わせてやりたい。


 最悪、斬ってしまうかもしれないが。別段、それでもいいだろう。何故ならもう血縁関係・・・・はないも同じなのだから。



「本当に久しぶりだな……こんなにも怒る日がくるなんて!」



 自宅について早々に、荒々しく扉を開放する。


 仕事部屋――祓魔士ふつましとして活動するための仕事道具一式がここにはある。


 これより先、戦闘は必須。そのためにも準備は決して怠れない。


 もっとも今回は鬼を祓う、のではなく人をこれより斬るための準備だ。


 本当に、神様と言う奴はとことん意地悪な性格だ。一颯は自嘲気味に鼻で一笑に伏した。


 気が付けば窓の向こうから、ざぁざぁと音が鳴っている。


 とうとう雨が降り始めらしい。最初こそ緩やかだったのが、ものの数分であっという間に激しく降り頻る。


 ゴロゴロと轟く雷鳴に、稲光が暗雲の中を幾度となく駆け抜けた。


 まるでこれより起こることの凄烈さを物語っているかのよう……。



「……それじゃあ、行くか」



 一颯はマンションを出た。

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