第36話
その日、一颯はいつものように配信をしていた。
内容は、なんの変哲もない。ごくごく普通のゲームの実況配信でリスナーからのリクエストが圧倒的に多かった、ホラーゲームである。
ホラーゲーム実況は、個人的な見解を含めて需要が高いと言っても過言じゃない。
プレイする腕前の上手下手は一切関係なく、要するにリスナーが求めているのは恐怖する姿なのだ。
きゃあきゃあと悲鳴をあがることで盛り上がるし、それについては一颯も理解がある。
もっとも、自分はリスナーが望む展開を提供してやれそうにないが……。一颯は苦笑いをふっと浮かべた。
「――、おぉ。なんかいきなり出てきたな」
いきなり幽霊が出てきた、がここは冷静に対処する一颯。
昨今のホラーゲームはグラフィックなどが向上したことでよりリアルに、より鮮明に恐怖を演出できるようになった。
優れた技術の結晶と心から称賛するが、所詮は作り物にすぎない。
作り物よりも本物の恐怖を知る一颯だからこそ、すべての恐怖要素を鼻で一笑に伏した。
『いぶきんハートが鋼すぎてワロタwww』
『これ、めっちゃ怖いゲームなのに笑うとか草』
『だが、そんないぶきんだからいい(にやり)』
『いぶきんの悲鳴が聞きたいー!』
「いやいや、この程度じゃあ俺はビビらないぞ?」
あくまでもリスナーは、“
こっちは鬼っていうもっと怖いものと相対している。逆に作り物で恐怖を感じれる方が羨ましく思える。一颯はそんなことを、ふと思った。
悲鳴を一度もあげることなくゲームが中盤に差し掛かろうとした――その時。
「あれ? 誰か来たな……」
不意にチャイムが鳴り響いた。
「ちょっとだけ離席するからそのまま待っててくれ」
リスナーに前置きをして、こんな時間に誰だろう。一颯ははて、と小首をひねった。
ひとまずモニターを確認すると、見知った顔が映った。
「――、はい?」
「あ、いぶきん! ごめんねぇいきなりきちゃって」
「りん……ね先輩、どうしたんですかこんな時間に」
「ちょっとちょっと、どうしていきなり――」
「今配信中です」
小声で伝えると「あぁ、なるほど」と、りんねも納得の意を示した。
今日はきちんとSNSでも配信予告をしたはずなんだが……? 彼女のなかなか多忙な身だ。常日頃誰かの投稿を確認できているわけじゃない。一颯は納得した。
しかし今日はどういった用件だろうか。急を要するような内容であれば配信終了も辞さない。
「それで、何かあったんですか?」
「いやいや、特に用はないでござるよ。ただなんとなーく、いぶき殿の部屋に遊びにきただけでござる」
「え? それだけですか?」
笑みを浮かべたまま、こくりと静かに首肯するりんね。
どうやら、本当に火急の案件ではなく単純に遊びに来ただけらしい。一颯はホッと安堵の息をもらした。
緊急性がないのならば、それに越したことはない。
だが本音を吐露すればせめて事前に一報ぐらいはほしかった。
一応配信中であるわけだが、リスナーはこうした予期せぬ事態には結構寛大だ。
むしろ快く受け入れてくれる節すらある。
「――、今配信中ですけど、どうします? あがります?」
「もちろんでござるよ! それじゃあお邪魔するでござる~」
突発的に始まったコラボではあるが、たまにはいいだろう。一颯は配信部屋へとりんねを招いた。
リスナー達も、勘がいい。すぐにコメントはコラボに対するもので一気にあふれる。
『まさかのコラボ!』
『前回の気配斬りの逆襲!?』
『ござるのリベンジマッチはじまる感じ!?』
「はい、と言うわけで先輩のりんね先輩が遊びにきてくれましたー。というか本当に突然すぎるからマジでびっくりしたんだけど」
「いやはや申し訳ござらん。でもたまたまいぶき殿の家の近くを寄ったから遊びに来ちゃったでござるよ」
「まぁ、というわけでホラーゲームの続きやるので先輩は……どうします? あっちでくつろぎます?」
「いやいやいや、ここは先輩として拙者もここにいるでござるよ! いぶき殿がもし怖がったりしたら拙者がこう、バババッと助けるでござるので」
「いやぁ、その必要はないですね」
「なんでそんな辛辣なんでござるか!?」
「はいはい、というわけで続きを始めていきまーす」
そう言えば、と一颯はふと沈思した。
予定になかったとは言え、りんねが初のオフコラボ相手となる。
だとすると、これはいささかよろしくない状況ではないか? エルトルージェが前回、オフコラボをするとかすみ相手に息巻いていたのを思い出す。
配信を見ていたら、非常に厄介なことになる。一颯は眉間を強くしかめた。
せめて彼女がこの配信を見ていないことを切に祈りながら、一颯はゲームを続けていく。
相変わらず悲鳴の一つをあげることもなく、淡々と作業を済ませていよいよ物語は佳境に入った。
後一時間もしない内に終わるだろう。そこで一颯は何気なく、隣の方に視線をやった。
「ちょ、ちょっといぶき殿!? もうおばけはいないよね? いないよね!?」
「……いませんから。いい加減ちょっと離れてくれませんかりんね先輩」
そんなに恐怖するほど怖いゲームだったか? 右腕にさながらコアラよろしくひしっとしがみついて離れようとしない。
口調もすっかり素の状態に戻り、今の彼女に武者としての威厳は皆無に等しい。
「あの、りんね先輩武者ですよね? それでも
「い、生きている相手だったらともかくすでに死んでる方は無理でござる~!」
「なるほど、つまり幽霊やお化けの類が駄目なんですね」
よくそれで鬼を前にした時喚かなかったものだ……。一颯はすこぶるそう思った。
ホラーゲームでびくびくと怯えている“
かわいい娘はついつい、意地悪をしたくなる。小学生じゃあるまいし、いい大人がすべきことでないのも重々承知済み。
彼女だったら、特に問題はないだろう。一颯は内心で不敵に笑った。
「――、ところでりんね先輩。後ろにいる人誰ですか? お連れの方ですか?」
「え? ちょ、ちょっといぶき殿!? そういう冗談はこういう時は言わないものでござるよ」
「いやいや、そこに……ホラいますって――わっ!」
「きゃあああああああっ!!」
絹を裂いたような悲鳴が室内にこだました。
鼓膜がつんざく悲鳴よりも、一颯には別に要因が襲い掛かった。
りんねはあくまでも女性である。スタイルはなかなかいい方だ――そもそもダンスや歌とレッスンをしているのだから、スタイルは自然とよろしくなる。
要するに出ているところがしっかりと出ているので、右腕に容赦なくそれがぐいぐいと押し付けられた。
とても柔らかくて、ほんのりと暖かい温もりの中にほのかに香る甘い香りが鼻腔をそっと優しくくすぐる。
「ちょ、ちょっとりんね先輩離れてください!」
「だ、だって怖いんだもん……」
「いや怖いんだもんじゃなくて、暑苦しいし後強く締めるから痛いです……!」
これは、建前にすぎない。一颯は内心ではどきまぎと、滝のような冷や汗を流していた。
りんねは、Vtuberとしてはもちろん現実でもとてもかわいい方に部類される。
そんな女性からべったりと密着されている。これに意識するな、という方が無理と言うもの。
冷静になろうとしても、絶えず柔らかな双子山が形を変えて右腕をあらゆる方向から包み込む。
「ちょ、本当に離れてくださいってばりんね先輩! 右腕痛いですって!」
「うぅぅ……じゃ、じゃあせめて手を繋いでもいい?」
「手を繋いだらゲームできないので無理ですね」
「お願いだから~!」
「あー! わかったわかりましたから! じゃあもう少し優しく腕を掴んでください。それだったらいいですから!」
渋々と、なかなか離れなかったがりんねがようやく腕をヒシッと掴んだのを確認して一颯はホッと安堵の息を吐いた。
ひとまず、危険は去った……いろんな意味で。
『先輩に辛辣な後輩www』
『いぶりん……これはまた三期生の間で荒れそうな予感ですね』
『百合カップリング誕生!?』
『大変てぇてぇです。他の方との絡みもこれからも是非見たいです!』
コメントの方は、もはや相変わらずと言った様子だ。一颯は苦笑いを浮かべた。
不評ではなく盛り上がってくれているのであれば、こちらとしてもさして言及する気は毛頭ない。
好き勝手に騒いでくれれば、それでいい。ただ、百合でないことだけは心の中で訂正はしておく。
「ね、ねぇいぶき殿……?」
「どうかしましたか?」
「今日さ、泊っていってもいい?」
「お断りします」
「どうしてでござるかぁぁぁぁぁっ!?」
「いや、どうしても何も駄目だから駄目なんですけど……」
かすみの時は、あれは本当にやむを得ない状況だった。
ストーカーによる被害は、時に命をも落とす。少しでも危険の可能性がある以上、女一人にさせるのは無粋というもの。
たかがホラーゲームだぞ? そんなに怖いゲームでもないだろうに……。一颯の本心はこうであるが、当人の面と向かって言う気は、彼女の心を傷付けないために口に出すことはない。
「とりあえず、もう少ししたらクリアしますのでそれまで大人しくしておいてくださいね」
「ねぇねぇお願いでござるよぉいぶき殿ぉ……某といぶき殿の仲じゃござらんかぁ」
「どんな仲ですか……とりあえず、配信が終わったら家まで一緒についていきますから」
「うぅぅ……後輩が冷たいでござるよ……」
「……これ俺が悪いのか?」
ごく当たり前のことしか言ってないのだが……。同性であったらすんなりと承諾もできようが、生憎とそれができない事情がこちらにはある。
今後のためにも、適当な理由をつけて嘘を貫く他ない。一颯はそう判断した。
ふと、何気なくコメント欄を見やり――相変わらず、他人事となると好き勝手言うのがリスナーだ。一颯はほとほと呆れた。
すべてのコメントを追うことはもちろん不可能である。
だが、ありがたいことにスーパーチャットでのコメントはすぐに追うことができた。
それらを総合すると要するに、お泊り配信をしろ、ということである。
『このままお泊り配信してくれるんですよね!?』
『ホラーゲームでビビりまくってる先輩を優しく甘やかす後輩……よきです』
『お風呂配信も是非やってください! え? やってくれる!? ありがとうございます!!』
『いぶきんめっちゃ辛辣すぎで草すぎる。泊めてやりなよー』
こいつら本当に好き勝手言ってくれるな!? 一颯は内心で盛大に溜息を吐いた。
とにもかくにも、ゲームもついにエンディングに入った。
結局主人公は恐怖の元凶を処理した、と思った矢先何も解決していなかったという事実を突きつけられる――なんとも救いようのないものだった。
「――、というわけで無事クリアしたな。なんというか、もう少し救いがあってもよかったんじゃないかって思うぞこのゲーム。主人公もそうだけど、キャラが恐ろしい勢いでボンボン死にすぎだろ」
「お、終わった? もう終わったでござるか!?」
「もう終わりましたよりんね先輩――というわけで、クリアもしたことだから今日の配信はこれで終わろうと思う。ちょっと今からりんね先輩を家まで送り届けてくるから、それじゃあ皆。今日も来てくれてありがとう」
「え!? 泊めてくれないんでござるか!?」
「だから無理ですってば……」
配信を終了し、エンディング画面を流す傍らで……さて、このかわいい生物をどう説得したものか。
視線の先にいる、頬をむっとして涙目でジッと見つめるりんねに、一颯は頬を掻いた。
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