第34話
翌朝、空模様は相変わらずの雲一つない快晴と大変清々しいのに、目覚めはもやもやとしていまいちスッキリとしない。
猛烈に嫌な予感がする……。一颯は胸中に渦巻く不安に眉間をしかめた。
なんとなくながらも、その原因についてわかってしまったから朝早くから朝食の支度をしている。
時間を曖昧にしないでもっと厳密に指定しておくべきだった。今更ながら後悔したところでもう遅い。
後悔先に立たず、とは正に現状を差す。
だからと言って、一度来た相手を追い返すというのも気が引けるし、なんなら相手は同じ事務所の先輩だ。
結局はもてなすしか他になく、つくづく自分という
そんなことを、一颯はふと思って自嘲気味に小さく笑った。
朝から五人分の朝食という、過去前例のない量とだけあってさすがに疲労が否めない。
一人だけだったら、トースト一枚だけでもいいのだが、今回は来客者にも提供する。
文句を言うなら食べるな、出されたものを大人しく食べろ――こう言ってしまえばそれまでだがそこはプライドが許さない。
なんで朝からナポリタンなんか作ってるんだろ……? しみじみと思う傍らで、一颯は手際よく盛り付けていく。
ちょうどテーブルに配膳が終わった、のとほぼ同時。
チャイムが小気味よく鳴った。一回鳴らせばわかるものを、よっぽど待ちきれないのか執拗以上に連呼する。
「……だからなんでこうもタイミングがいいんだ? どっかに隠しカメラとか、盗聴器とかないだろうな……」
ありえない可能性だが、しかし無きにしも非ず。
後日改めて、ゆっくりと探していてもいいかもしれない。
そんなことを思いつつ、一颯は待ちきれない……約一名だけだが。朝早い訪問者達を出迎えた。
「おはよう、いぶきちゃん!」
ドアを開けた先には、案の定と言うべきか。屈託のない笑みが大変かわいらしいエルトルージェがいた。
その後ろにはかすみをはじめとする、残る三期生メンバーの姿もある。
「……おはようございます。あの、一応聞きますけどこんな朝早くからこなくてよかったんですけど……」
「いやぁ、エルルンからいぶきんの作るご飯はおいしいって散々聞かされてたからアタシも食べたくなっちゃってね」
「僕も~。何も食べてきてないからもうお腹ぺこぺこだよぉ……」
「なんか、悪いわね一颯」
「……いや、気にしないでくれ――とりあえず、中へどうぞ。もう準備の方はできてますから」
「わーい! おっじゃましまーす!」
さながら我が家のようにくつろいだ面々に、一颯は小さく溜息を吐いた。とは言っても、彼女らに対し向ける視線はとても優しい。
「――、おぉぉぉぉぉ! これが、いぶきんの手料理!」
「いや、本当に大したものじゃないですからね?」
目をきらきらと輝かせる“
唯一頑張ったのがナポリタンぐらいで、後はごくごく普通の献立にすぎない。
焼くか、煮るか。双方誰でも簡単にできる調理方法で作っただけだ。
「アンタ、また朝から頑張ったのね」
「さすがになぁ。手の抜いた料理は出したくなかったし」
「いやぁ、いぶきんは大真面目ですなぁ……。ねぇ、もう食べてもいい?」
「……どうぞ」
「やったー! それじゃあいただきまーす!」
瞬く間に、普段はしんとして物静か……あるいは、寂しかったリビングが以前よりも賑やかな空気に包まれた。
わいわいと談笑を交えながらの食事は、滞ることなくスムーズに進んでいく。
一人暮らしだから、一颯の普段の食事に会話があるはずもなく。
会話が弾む食事というのは、やはり悪くない――これは、正しい表現じゃない。 こっちの方が断然いい。そう心から思えるようになった自分がいることに、一颯は驚きを禁じ得なかった。
「家族……か」
一颯はもそりと呟いた。
本当の家族にはなかったぬくもりが、数年越しになってよもや得ようとは、果たして誰が想像できよう。
家族というのは、こんなにも暖かいものなのか……。唯一惜しむらくは本来の家族でそれが得られなかったことにある。
ウチは、一般家庭とは訳が違う。確かにそのとおりではあるし、それを理由に出されればもはや反論する余地などない。
しかし、他所と大きく異なるからこそ普通を生きる人間が時折羨ましく思ったこともしばしばあった。
自分がもし、
「あれぇ? いぶきんってば、どうかしたのぉ? なんだか黄昏ちゃってるみたいだけどぉ」
「……いいえ、なんでもありませんよ。ただ、いいなぁって思っただけです」
「ふ~ん。あ、ねぇねぇいぶきん~。ナポリタンのお替りってあったりするぅ?」
「ありません」
「そっかぁ……」
まさか、アレで物足らないっていうのか!? 一颯は驚愕した。出前や出来合いものが主で、自炊をすれば
それをぺろりと平らげた挙句まだ足りないと
一度きちんと健康診断を受けさせた方がいいかもしれない……。一颯はすこぶる本気でかすみ達の身を案じた。
「……俺、まだ一口も食べてませんからどうぞ」
「え? いいのいぶきん? ありがとぉ」
あからさまに落胆する“
彼女、こんなにもかわいく笑えたのか……。汚部屋の住人でこそあるものの素体についてはとてもよく、そのギャップに一颯は思わずドキリとした。
「いいなぁ、アタシも食べたいなぁ」
そう口にしたのはりんねで、物欲しそうな目でジッと一颯を見やった。
ナポリタンがあった皿は、ものの見事に何もない。
かなりの量があったのに……。ドリームライブプロダクションのVtuberが見た目に反して大食感であるという事実に、驚かされた。
「って、あなたももう食べちゃったんですね、りんね先輩……」
「いやぁ、まさかこんなにおいしいだなんて思ってなかったからさぁ」
「まぁ、それだけおいしいって言ってくれたなら悪い気はしませんけど……」
「うんうん、いぶきんはきっといい嫁になれるよ」
「嫁って……」
自分は歴とした男なんだが、嫁とはこれいかに……。決して表に出すことのできない秘密を、一颯は胸中にて呟いた。
「それにしても本当にいぶきんのご飯っておいしいねぇ」
「そ、そう言ってもらえると嬉しいです」
「ん~……あ、そうだぁ」
突然、こころが妙案が浮かんだと言わんばかりに手をぽんと叩いた。
「どうかしたんですか?」
「んんっ……――いぶき、これからもずっと僕のところでその手料理を振る舞ってくれないかい?」
「あ、無理ですね」
「え~ちょっと、いぶきんってば辛辣すぎないかなぁ」
「いきなりイケメン配信者として何を言い出すのかと思えば……俺はメイドも従者もどちらになるのもごめんですからね」
「そうだよこころちゃん! いぶきちゃんはこれからも私にご飯作ってくれるんだもん!」
「いや、その理屈も十分におかしいからな?」
いつの間にか、本当に専属料理人のようなポジションに定着しつつある現状に一颯は危機感を憶えた。
料理をするのが嫌なのではないが、自分のためではなく毎日誰かのため作るとなると話は大きくがらりと変わってくる。
一週間の献立から始まり、健康状態などへの気遣いも必要不可欠。であればどうして手抜きの料理が作れようか。
つまり正直に言えば、本気で面倒くさい。この一言に尽きた。
「それじゃあ私もいぶきちゃんにご飯作ってあげるから、それならいいよね!?」
「等価交換は対価と等価が均等ではじめて成り立つ言葉だって知ってるか?」
「アンタじゃ永遠に一颯には勝てないでしょ……」
「ぶー! そんなことないもん! それじゃあ今日のお昼は私が作ってあげるから!」
「いやそれは遠慮しておく!」
デスクッキングを我が家でさせてなるものか。一颯は強く拒否した。
デスクッキングが及ぼす悪影響は、人体だけに留まらないから余計に質が悪い。
あの後、キッチンの清掃だけで数時間を費やした。
スタッフ総出でやっていながらも、しばらく消えなかった異臭は毒ガスと同等だと言っても過言じゃない。
身近にあるもので言えばカメムシと同等か、もしくはそれ以上の――とにもかくにも、恐ろしい生物兵器なのは違いない。
そう思うと、よく生きていたな……。しみじみと、一颯は生を実感した。
「と、とにかくそれだけはいいから気にしないでくれ……!」
「私も遠慮しておくわ」「僕もいいかなぁ」「右に同じくー」
「もー! なんで皆してそんなこと言うの―!? 私だっておいしいご飯作れるもん!」
デスクッキングは料理とは言わない。一颯はひくりと頬の筋肉を釣り上げた。
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