第32話★
時刻は夜の八時をちょっとすぎたところ。
青かった空もすっかり漆黒に染まり、しかし美しい無数の星がきらきらと輝いている。
「今日の収録も楽しかったね!」
「楽しかった……というよりかは、うん」
「まぁ、そうだよねぇ」
同じ帰路を着く皆が何を言わんとするかは、わからないでもない。
自分だって同じ気持ちだから。りんねは頭を優しく庇うようにそっと撫でた。
企画自体は大成功だった。他の面々も終始ずっと楽しそうだったし、可能なら次は他の先輩達とも一緒にやってみたい。
ただしその時は、一颯に司会進行役をメインにお願いしたいと切実に思う。
あの娘は本当に異常すぎる。りんねはすこぶる本気で思った。
目隠しをしっかりとしているし、見えないことも実際にやったから絶対に見ることは不可能だった。
同条件のハンデを負っていながら、彼女だけが唯一一太刀も浴びることはなかった。
一対一じゃ何をやっても勝てない……。それは全員が共通した認識で、ここで本来の
一人じゃ無理でも四人全員でやったらもしかすると……! りんねは確信した。
とは言ってもやってることは完全に後輩イジメで、絵面的にはあんまりよろしいとは言い難い。
「――、いぶきんってばさぁ。なんであんなに強いの?」
りんねはもそりと呟いた。
四人同時にかかったのに、最後まで立っていたのは一颯だった。
曰く、素人とは思えないほどの動きは流水のようにとても滑らかで無駄が一切なく。
襲いくるスポンジ刀身を躱し、時には受け流して即反撃に出る。
正しく完璧すぎる太刀捌きは、素人目ながらも達人だった――こう、言わしめるぐらい。
なんだかとんでもない後輩ができちゃったな……。りんねはしみじみと思った。
でもかわいいし、気遣いもできるいい後輩だからこれからも仲良くやっていきたい。
「一颯は……まぁとにかくすごいのよ」
「そうそう! いぶきちゃんすっごく強いんだよ! だってかすみちゃんのストーカーをやっつけちゃったぐらいだもん!」
「あぁ~その話、すっかり忘れてたぁ。そっかぁ、いぶきんってめっちゃ強いんだねぇ」
「そりゃあ勝てないかぁ。でも、次はどうにかして勝ちたいかも」
「無理無理。私達が一生挑んでもアイツには絶対に勝てないわよ」
わいわいと談笑を交えながら、りんね達は商店街の方へと向かった。
収録も終わってお互い特にこれと言った予定はない。
基本収録をした後は配信はしないし、次の配信まで自由時間をのんびりとすごすわけだが――たまには、皆でご飯を食べるのも悪くはない。
そうして
久しぶりにがっつりと、思いっきりお肉を食べたい! りんねはぺろり、と舌なめずりをした。
「――、それじゃあ今日のアタシががっつり食べるよー!」
「りんねはいつもがっつり食べてるじゃない……」
かすみの何気ないツッコミも、網の上でじゅうじゅうと小気味よい音を立てるカルビの前では路傍の石に等しい。
加えて肉の前では皆正直になる。
「あー! それ私が大事に育ててなお肉なのに!」
「ふふ~ん、こういうのは早い者勝ち……って、それ僕のハラミなんだけど!?」
「早い者勝ち、なんでしょ?」
「そうそう。焼肉は正しく弱肉強食なのだ……って、それアタシのネギタン塩!」
「早い者勝ちだもんねー!」
がやがやと騒がしかった食事も一時間もすればすっかり落ち着き、残り時間をお酒をちびちびと口にしながら他愛もない話に花を咲かせる。
そろそろ退店の時間も迫りつつあるので、りんね達はそこでお開きとした。
もっとも、階層こそ各々異なれど住んでいる場所は同じなので帰り道も必然的に四人一緒となる。
まだまだ皆、話し足りないらしくて店を出てからもずっと会話が絶えない。
かく言うりんねも、また然り。
「――、次はいぶきんも一緒に誘いたいなぁ」
「そうだねぇ。この前掃除もご飯もしてくれたから、お返ししないとねぇ」
「いぶきちゃんのナポリタン本当においしいんだよ!」
「そう言えば歓迎会まだだったわね。ちょっと今更感もあるけど、アイツもそんな細かいこと気にしないでしょうし」
「じゃあそれで決まりってことで。いぶきんの歓迎会はまた改めて――」
りんねはハッとした顔をして立ち止まった。
マンションの前に、その男は一人静かに佇んでいた。
同じマンションの住人だったなら、中にいつまで経っても入ろうとしないのはおかしい。
まったく知らない男が、マンションをただただ見上げるという光景はなかなかに異様だ。
ひょっとして、ストーカーの類!? りんねは自然と身構えた。
別段格闘技などを会得している彼女ではないが、身体能力については少々自信がある。
こと足の力に関してだけならば、誰にも負けない。
そんな自信もついさっき、後輩によって呆気なく打ち砕かれたばかりだが……。そして今もまた、自信をこうもあっさりと砕く輩に出くわすなんて……! りんねは苦虫を嚙み潰したような顔で、男の背中をジッと睨んだ。
男が何者であるかは、この際どっちだって構わないし思考するだけ無意味というもの。
必要な情報は男に危険性があるか否か――まず間違いなく、前者だろうけど。
「…………」
男はマンションをジッと見上げたまま、微動だにしない。
それが余計に男の不気味さを助長し、他のメンバーの子も表情は強く強張っている。
とりあえず、一旦ここから離れた方がいい。
りんねは静かに目配りをした。少しして、意図がきちんと伝わったらしい。
静かに首肯する三人を前にして、幾ばくか心に余裕が戻る。
ゆっくりと来た道を後退る。とりあえず男の姿が視覚から消えるまでゆっくりと慎重に後退を続け――
「……少し、尋ねたいことがあるのだが」
低い声が逃げようとする自分達を捉えた。
不審者との距離はだいたい6メートル前後。距離はかなり離れている方だし、あくまで不審者は声をかけたのみで物理的に捕まったわけじゃない。
だからやろうと思えば全力疾走で離脱することは可能だ。
それなのに身体がまるで言うことを聞いてくれない……! りんねの顔にじんわりと冷や汗が滲む。
よくよく見やればかすみ達も同様で、まるで金縛りにでもかかったかのように、その場から一歩も動かなかった――動けなかった、と言った方が多分正しいと思う。
不審者からひしひしと伝わる威圧感が、あたかも拘束具のようにガッシリと捉えて離さない。
殺される……! りんねは強く下唇を噛んだ。だけど男は一向に振り返ることなく、背中を終始向けたままで言葉を紡ぐ。
「危害を加えるつもりは毛頭ない――ただ、一つだけ尋ねたいことがある」
「た、尋ねたいこと……?」
「ある人物を探している。その人物は我と同じくある仕事をしているものでな……今は名前を変え、“ぶいちゅぅばぁ”というものをやっているらしい。その者がこのマンションに住んでいるという情報を得てこうして足を運んでみたわけだが……心当たりはないか?」
「し、知らないもん!」
エルトルージェが真っ先に叫んだ。
そう、不審者の質問の内容はあまりにも不可解すぎる。なによりも知っていたとして、軽々しく話す自分ではない。
個人情報の取り扱いは極めて重要であり危険だ。一歩間違え炎上して謝罪会見からの卒業……厳密に言うと
まだまだこれからもみんなと一緒にVtuberとしてやっていきたい! りんねも首を勢いよくぶんぶんと横に振って応えた。
「――、そうか。いや、邪魔をした」
驚くほどあっさりと、不審者は納得した。
言った言葉は嘘じゃないが、もしも嘘を吐いていたらどうするつもりだったのだろう。
困惑の
ひとまず、さっきまであった重苦しい空気も元に戻りホッと安堵の息が自然ともれた――それも、束の間のこと。
「――、むっ?」
不審者の足が突然、ぴたっと止まった。
「……おいお前達」
「な、何よ……!」
かすみがキッと不審者の背を鋭く睨んだ。
「……これより目にする者、誰かに言わない方が身のためだぞ?」
「……そ、それは――」
いったいどういう意味なの? こう続けるはずが、予期せぬ乱入者によって言い出す機会をすっかり逃してしまった。
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