第29話

 その日の夜、一颯は配信部屋にいた。


 突然のコラボのお誘いに戸惑いを禁じ得ないが、彼女なりの優しさだとわかれば納得できた。


 本来であれば今日、特に配信をする予定はなかったのだが。せっかくの誘いだ、断る方が無粋というものである。



「――、さてと。それじゃあそろそろ始めるとするか」



 今日のゲリラコラボ配信の内容は、別段特別なものではない。


 一緒にオンラインゲームをして楽しむという、実にシンプルな内容だ。


 何気に同じ事務所のVtuberとゲームをするのは生まれてはじめての経験で、いつも顔合わせや配信をしているというのに、妙な緊張感がさっきから拭えない。


 自分らしくもない……。一颯は内心で自嘲気味に笑った。



「――、あ~あ~マイクチェックマイクチェック。皆音声は大丈夫……そうだな。よし、こんいぶー! 今日はいきなりのライブ配信だっていうのにきてくれてありがとうな」



 告知なしのライブ配信だが、すでに1000人近くもの視聴者が集まっていた。


 我ながらよくもまぁ、こんなに有名になれたものだ……。一颯はしみじみと思った。


 かつては少数の最底辺Vtuberでも満足していたはずの人間が現在いまは、もっと人気者になりたい――上を目指そうとする自分がいる。数字というのは、本当に末恐ろしい魔力を秘めている。



『いぶやんのゲリラ配信きたー!』

『今日仕事が日勤帯だからセーフ!』

『こんいぶー!』

『えっ! 今日コラボ配信!?』



 爆速で流れるコメントを前に、一颯は口角をわずかに緩めた。


 余談だが、こんいぶー、はこの配信での固有挨拶である。



「皆こんいぶー。今日は同じ事務所のかすみ先輩がきてくれたんだ」

「はーい皆ー! 今日も私はせっこうちょー! の“天現寺てんげんじかすみ”でーす! 今日は後輩のいぶきちゃんを応援するため、そしてお祝いするためにコラボ配信するよー!」



 いつものつっけんどんな態度はすっかりと鳴りを潜め、アイドルVtuberとしての己を見事に演じている。


 こうして見ると、本当に別人のようだ。


 本来の姿を知っているから、アイドルVtuberとしての“天現寺てんげんじかすみ”に違和感が拭えなかった。



「かすみ先輩。今日はわざわざ俺なんかのためにありがとうございます」

「いぶきちゃんさぁ、もうちょっと自分のこと見ておいた方がいいよー? 今日だって私がいぶちゃんのお祝いコラボするってSNSに投稿したんだからね」

「いやぁ、そう言われましても……まさか自分もこんなことになってるなんて思ってもいませんでしたので」



 とうとうチャンネル登録者数が10万人を突破した、らしい。


 果たしてこれは現実なのだろうか? 最底辺Vtuberにすぎなかった自分が、よもやこの短期間で10万人ものファンを集めることになろうとは、いったい誰が考えよう。


 今も白昼夢の中を漂っているかのような気分だ……。一颯は、もう何度目かさえもわからない。目をごしごしと手の甲で拭った。


 チャンネル登録者10万人、という表示はやはり依然となんら変わることなくそこにある。



『いぶやん10万人おめでとー!!』

『すばらしい! 感動すた!!』

『最古参であるオレも鼻が高いで! これからも応援するからよろしくな!』

『次は100万人目指してがんばってください! 応援してます!』



「――、というわけで早速やっていきましょうか。かすみ先輩、このゲームってやったことあるんですか?」

「もっちろん。自分の配信でもちょくちょくやってるわよ」

「そうなんですね。俺、実はこの手のゲームはじめてなんですよね……」

「そうなの? それじゃあ今回は私がキャリーするから、それからなにか適当に作りましょう」

「了解です。今日はよろしくお願いします」



 さすがにお祝いする枠というだけあって、今回一緒にプレイするゲームは極めてほのぼのとしたものだった。


 やることは至ってシンプルで、広大なフィールドで素材を集めて好きなように建物や町などを建設していく、という内容だ――本音を吐露すると、これの何が面白いかが一颯はよく理解できなかった。


 何かを作るのが好きであれば確かに、何十時間とプレイしても飽くことは恐らくないだろう。


 どうせだったら爽快なアクション系がよかったが……。今回の企画はかすみ自らが立ち上げたもの、その対象が自分で祝うためという彼女の優しさが今回のコラボ配信にはある。


 それを踏みにじる行為はあまりにも無粋だ。一颯は小さく笑った。


 たまには、こうしたのんびりとしたゲームで遊ぶのも悪くはあるまい。



「――、とりあえずサーバー送るからね。あ、ちなみにここのサーバーには私以外の先輩達もいるから」

「へぇ、そうなんですね――あ、このNBって書いた茶色っぽいブロックはなんですか?」

「あ、そ、それは攻撃したら――」

「あぁ、爆発した!! そして死んだ!」

「それニトロボムだから! 攻撃したら爆発するからやっちゃだめなやつー!」



 意外に、悪くはない。一颯は思った。


 今回は一緒に遊ぶ人と会話をしながらのプレイだから――確かに、それもきっと一理あろう。


 ただ一人っきりで黙々と作業に集中するのももちろん悪くはないし、それがいいと思う輩も数多くいるはずだ。


 会話の方も滞ることなく、初見プレイということも相まってネタも尽きない。



『かすいぶ……ありですね』

『かすいぶという新たなてぇてぇ概念を発見してしまった……』

『今後の関係性に期待』

『かすみ×いぶきの百合枠はここですか?』



 コメント欄の方も、アンチコメントは今のところ一つもなくとても穏やかな流れだ。


 視聴者数も増加の一途を辿り、たった30分で10000人以上ものリスナーがこの配信に集った。


 もっとも、その数字も彼女あってのこと。自分だけであればこんなにも多くの視聴者は集められまい。


 だが、やはり10000という膨大な数には驚きを禁じ得ない。



「――、あれ?」



 不意に、かすみが口を切った。



「どうかしたんですか?」

「いや、エルちゃんが入ってきたわ」

「え? わかるんですか?」

「このゲームの左下にチャット欄があるでしょ? 今回私といぶきちゃんは音声会話してるけど、そうじゃない場合チャットでコミュニケーションを図るのよ」

「へぇ~そうなんですね。あ、このelelって名前の人がエルトルージェ先輩なんですか?」

「うん。もしかしたらエルちゃんもゲーム配信してるのかも」

「なるほど……」



 程なくして、elel……もとい、エルトルージェが作ったキャラがやってきた。


 全身を、黒狼系Vtuberとしての面影はもはや見る影もない。


 厳つく禍々しさあふれる重鎧に身を包んだ姿は、さながら戦国武将のよう。


 ほのぼのとしたゲームの世界では、そのあまりに不相応極まりない格好に一颯も目をぎょっと丸くする。


 明らかに出演する場所を、エルトルージェは間違えていやしないか? 一颯は眉をひそめた。


 しかし、実際にこの装備があるということは世界観に沿ったデザインであるということ。


 まだはじめたばかりで、ゲームの世界の全貌はまだまだ解明した内に入らない。


 グラフィックが特別きれいなわけではなく――なんなら、キャラも敵も基本正方形上のブロックでシンプルである。


 年齢性別、プレイした経験のあるなし関係なく誰しもが楽しめるゲームだと思っていたが……。意外と奥が深いようだ。



「お、コメントだな――え~っと、こんばんはいぶきちゃん! あ、エル先輩こんばんは。今かすみ先輩と一緒にコラボ配信してます~……って、これ俺達の音声って届いてないですよね? じゃあチャットしないといけないか……」

「そうなるわね。エルちゃんも今配信中? お互いがんばろうね~! っと――これでよし」



 素早くタイピングして、当たり障りのないコメントを送信する。


 お互いゲーム配信中なのだから、裏でするような会話は禁止でないにせよ控える必要がある。


 これで何事もなくすんなりと、各々やるべきことに集中ができる。そう考えていた矢先、予想外なコメントが返ってきた。


 一颯ははて、と小首をひねった。



《いぶきちゃん一緒に素材集めいかない?》

「え? エル先輩もですか?」

「ちょっとエルちゃ~ん? 今いぶきちゃんは私と一緒にコラボ配信してるんだけどぉ?」

《大丈夫大丈夫、これ配信じゃないから》



 どうやらエルトルージェは配信中ではないらしい。それだったならば、まぁ……――とは、さすがにならなかった。


 一颯は顎をくしゃりと撫でた。


 これまでずっとソロ配信ばかりしてきて、コラボ配信は“天現寺てんげんじかすみ”とがはじめてとなる。


 それ故にこういった状況に遭遇した場合の対処を一颯は知らない。


 この場合の正しい対処法とは……? かすみだったならばどう対処する? 一颯は不安に苛まれる中で沈思した。


 時間にすれば、それはたった一秒か二秒程度の極めて短いもの。


 長時間とはお世辞にも言えない、それなのに沈黙が重苦しく長く感じざるを得なかった。



「もう邪魔しないでよね~。でも人数が多い方が効率もいいし、せっかくだから手伝ってもらおっか」

「え?」



 思わず素っ頓狂な声をもらしてしまった。


 コラボ配信というぐらいだから、なんの予告もない乱入はあまりマナー的によろしくない、とばかり思っていた。


 あるいは、かすみが寛大な心の持ち主だからか。とりあえず殺伐とした展開になる心配はしなくてもいいらしい。


 心に幾分かの余裕が戻る。一颯はホッと安堵の息をもらした。



「――、あのさ、エルちゃん?」



 急遽三人でやることになったゲーム実況から早五分。不意に口を切ったかすみの口調は、明らかに困惑の感情いろを孕んでいる。


 何故このような反応を突然示したか、一颯もわからないでもない。


 原因はたった一つしかなく、現在進行形で継続しているからに他ならない。



《いぶきちゃん、あっちで木の採取しよ?》

《エルハウスに案内してあげる!》

「あ、あのぉ……エル先輩? エル先輩? 俺初心者ですし、まず自分の家も建築したいのでそれはまた後日改めましてで……」

「ちょっとエルちゃん! さっきからいぶきちゃんにめっちゃ絡むじゃん! これ一応私といぶきちゃんとのコラボ配信だからね!?」



 一瞬、今エルトルージェとコラボ配信をしていたっけか。そう錯覚するぐらい、エルトルージェからの絡みはとてつもなく多い。


 もちろん彼女に悪気は一切なく、あくまでも一先輩としての心優しさなのは、一颯もよく理解している。


 しかしながら、今しがたかすみが言及したとおり、これは自分と“天現寺てんげんじかすみ”とのコラボ配信だ。


 いわば、もう一人の主役を差し置いて主導権を握ろうとするエルトルージェの行動はご法度と言えよう。



《私だっていぶきちゃんとゲームしたいもん! 私もいっしょに誘ってよぉ~( ノД`)》

「いやいや……ちょっと。別の時にコラボしたらいいじゃん!」

「あ、あのぉエル先輩とかすみ先輩もとりあえず落ち着いて……」



 口喧嘩、とは少々違うが少なくとも配信内でするべきやり取りじゃない。


 かすみの口調も心なしか、オフの時の顔がちらちらと見え始める始末である。


 リスナー達は戸惑ってないだろうか……。一颯は何気なく、コメント欄の方を見やった。



『まさかの修羅場www』

『後輩を取り合うかすみんとエルルン……てぇてぇですわぁ』

『いいぞもっとやれ』

『これは切り抜き動画まったなしだなwww』

『やばいこのわちゃわちゃめっちゃ好き』



「って、皆も煽るな煽るな! というかこんなことにスパチャを投げるんじゃないって!」


 赤枠のコメントがいくつも流れていく。


 人生初のスパチャなのは事実だが、どうせだったならもっと別の機会にしてほしかった。


 一颯はそんなことを、ふと思った。

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