第24話
賑やか……もとい、いつになく賑やかすぎた朝食も無事に終えたところで、さて。一颯は改めてエルトルージェとかすみ、二人を見やる。
さっきまで終始笑顔だったエルトルージェでさえも、本題となると笑みがパッと消えた。
一言も聞き逃さない、とそう告げるかのごとく真剣みを帯びた顔は正しく気高き狼のよう。
彼女、こんな顔をすることもできたんだな……。一颯は胸中にて関心の息をそっと吐いた。
「――、さてと。それじゃあそろそろ本題に入らせていただきますか」
「えぇ、言っておくけど嘘とか冗談とかは言わないでよね? 納得できないと昨日のこと、社長に言うから」
「ご心配なく。すべてを明かす、ことはできませんが嘘を言わないことだけはお約束しましょう。ただし、こちらからも一つ条件があります」
「条件?」
顔が真剣なのに、はて、と小首をひねる動作がいちいちかわいいエルトルージェに「えぇ」と、一颯は短く答える。
「まず、これ以上余計な混乱が広がるのを避けるため、どうかこのことはここにいるお二人だけの胸にしまっておいてください。他言無用――それが俺から二人に課す条件です」
「……もし、言ったら?」
「別に。どうもしません。ですが余計な不安からいつものように楽しい配信ができなくなってしまう可能性があることは、どうか忘れないでください」
これは、牽制であって脅迫ではない。
死という概念がすべての生命の身近に等しくあるように、今回する話もまた等しく起こり得る可能性なのだから。
二人も、物事の分別がわからないほど幼くもないし愚かでもないが、念には念を入れておく。
ただその中で、どうしても拭いきれない不安もある。一颯はちらりとエルトルージェを横目に見やった。
「わかった! 絶対に誰にも言わないからね!」
「…………」
「――、あれ? いぶきちゃん? 急に黙っちゃってどうしたの?」
「あ、あぁ、いえ。特に何でもありませんので、お気になさらず」
どうもこの子だけは、信頼できるって思えないんだよなぁ……。一颯は心の中で、そうもそりと呟いた。
エルトルージェの人柄は悪くはない。少々他者と比較してよく食べ、料理の才能が壊滅的であることを除きさえすれば、かわいいし性格も申し分なし。
しなしながら彼女の雰囲気と言うべきか。どうも不安が自分の中で拭えなかった。
周りに言いふらしやしないだろうか……。一颯は一抹の不安に苛まれた。
「……わかったわよ。絶対に誰にも話さない」
「……くどいようですけど、本当に秘密にしておいてくださいね? マジでお願いしますよ?」
「わかってるってば! 私そんな軽口な女じゃないわよ」
「かすみさんは、まぁ……」
自分が被害者であったのに誰にも迷惑をかけまいと、彼女は秘密を貫き通そうとした。
状況次第では褒められたことでないが、そんな“
「むぅ……私だって秘密ぐらいちゃんと守るもん」
「わ、わかりましたから。怒らないでくださいよエルさん……」
ここはひとつ、先輩を信じてみることにしよう。一颯は判断した。
「――、それではまず簡潔に結論からお話させていただきます」
一颯は予め用意した紙にペンをすらすらと走らせる。
口頭だけで済ませるよりも、視覚情報もあった方がより頭に残りやすかろう。
絵心については、この際目を瞑ってもらうことにする。
「まず、昨日見た鬼の正体は――
「あら……たま? 何それ」
「この世はすべて陰と陽、二つの性質エネルギーで成り立っています――」
人々の信仰心や活気など……陽の性質をふんだんに含んだ
逆に凄まじい怨念など……陰の性質をふんだんに含んだ
生きとし生きるものは皆すべて、二つの均衡の上ではじめて成り立つ。
むろん、これらの概念をすべての人間が理解しているかどうか? 答えは――否である。
世界は……もとい、現代日本にかつてのような信仰深い人間は極めて少ない。
だから自らが鬼になりつつあることさえも、自分はおろか誰一人として気付かない。
気付かないから無意識の内に他者を平気で傷付け、その犠牲者もまた精神的ストレスによって新たな鬼へと化す。
ならばこの悪循環を防ぐには、いったいどうすればいいのか――それこそ、
「――、俺の本来の仕事は
「ふつまし? ひつまぶしじゃなくて?」
エルトルージェがはて、と小首をひねった。
「……エル、そういうボケはいいから」
「え? 違うの!?」
「…………」
本当にそう聞こえたのか……? 聞き間違えるにしてもいささか無理があるだろうに。
とりあえず、話の軌道を修正する。
「……ざっくり言いますと、昨日みたいな鬼が出た時に処理をするお仕事ってことです。因みにこれは政府公認の立派なお仕事ですので、あしからず」
「え? 国が絡んでるの!?」
エルトルージェが痛く驚くのも無理もあるまい。
祓魔士は日本古来から存在する歴とした職業だ。
時代の変化につれて人々に余計な不安と混乱を招かぬよう、その存在は秘匿とされたが確かに存在する。
「俺はその
「ちょっとさっきからわからない用語がぽんぽん出てくるんだけど……国絡みの仕事してるとか、アンタって実は私が思ってたより超エリートって感じ?」
「エリートだって意識はこれっぽっちもありませんよ。表舞台に決して上がることのできない、陽の目に当たることがない仕事ですので」
「いやいや、まさか自分の後輩がそんなにすごい子とか思ってもいなかったから」
「ん~……でもそれって、とっても大変だよね? だって昨日みたいな鬼さんたくさんいるでしょ?」
エルトルージェの疑問は、実に的を射ている。
日本の総人口はおよそ一億人と少し。他国と比較すると少なくはあるが、一億という莫大な数の鬼がいると想像しただけで背筋に冷たいものがゾッと流れる。
万が一そのような事態に陥った時は、日本という国は
まったく笑えない話だ。一颯はすこぶる本気でそう思った。
「――、それはご心配なく。過去……例えば、戦国時代とか人の死が常時化した時代だった時は、それはもうてんてこまいだったって記録はありますけど。だけど少なくとも現代日本において、そこまで状況はひどくありませんので」
「そうなの?」
「さっきも言いましたけど、生物が鬼と化すのは魂の均衡を司る
「ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃあ私もその、鬼になる可能性があるってことなの!?」
「……えぇ」
ここで嘘を吐いたところで、なんの意味もなるまい。
時に嘘も必要だろうが、真実が明るみになった時、傷付くのは嘘を吐かれた本人だ。
特に彼女達は目撃者である。ならば嘘ではなく真実を告げる義務が自分にはある。一颯は判断した。
「そ、そんな……」
かすみの顔から血の気がさぁっと引いていく。
鬼は非科学的にしてあくまで御伽噺の存在だ、と。ただし容姿は大変おどろおどろしく、相対する者に恐怖を与える力ある存在。
そう認識したものに自分も変貌してしまうかもしれないのだ。かすみが怖がるのは、むしろ至極当然だった。
「安心してくださいかすみさん。ちゃんと対処法ならありますから」
「ほ、本当でしょうね!? 高い壺とか売りつけきたら承知しないんだから!」
「そんな悪徳商法はしませんから! この方法は今すぐどこでも誰でも簡単にできる方法ですので!」
「その方法ってどんなの?」
エルトルージェが尋ねた。
「ものすごく簡単な例え話をします。エルさん、あなたはおいしいご飯を食べた時、どんな感情を持ちますか?」
「そんなの決まってるよ! おいしい、とか最高~とか、後しあわせ~とかって思っちゃうもん」
「じゃあ今度は逆に、とんでもなくまずい料理が出てきたら? とてもじゃないけど二口目がいけそうにないって感じのやつです」
「それは……すっごくしょんぼりしちゃうかなぁ。やっぱりご飯はおいしい方がいいもん」
「えぇ、そうですね――人間って言うのは、見かけ以上に繊細な生き物なんです。ちょっとしたことで良いようにも、悪いようにも転がってしまう。そして心……精神は肉体にも大きな影響を及ぼします。いつものように振舞えなかったり、ちょっとしたことでイライラしたりとか、ですね」
「た、確かに……」
これには身に憶えがあるのだろう。かすみ達もあっさりと納得の意を示した。
人間の心は非情に脆いくせにして時にはとてつもない爆発力をも生む。
どれだけ科学が発展しようとも、心という概念だけは永遠に解き明かすことはできまい。
「昔と比べて
「な、なるほど……。つまりストレスを抱え込まないようにすればいいのね」
「そういうことです」
極論ではあるが、あながち間違いではない。
人道を踏み外さず、心を常に陽の気で満たせば人が鬼に下落することはない。
だが、世の中常に明るく前向きに生きている人間ばかりじゃない。
現代日本は、平和ボケと揶揄されるほどとても平和な国だ。戦争とも無縁で、大勢の命が失う危険性はなくなったが、現代社会ならではのストレスによって人の心は再び、荒び始めている。
鬼にならずとも悪行へと走る行為はすべて、心の
「すべての人間から
「……それができないから、俺のような
彼女が言うように、そんな画期的な方法があればその時こそ
当分そうなる未来は訪れないから、鬼を祓う以外の生き方を知らない同業者が路頭に迷う心配はまずなかろう。
「――、とまぁだいたいこんな感じです。これ以上はコンプライアンスとか、色々と面倒なので言えませんので勘弁してもらえると助かります」
「……だいたいわかったわ。でも、まだ頭の中が整理できていないっていうか……」
「いぶきちゃんってすごい人だったんだね!」
「いや、すごくはないですよ? まぁそれはさておき。俺から話せるのはここまでです」
語るべきことは、まだまだそれこそごまんとある。
しかし、かすみ達は表の世界の住人だ。危険すぎる非日常な世界へ、わざわざ招くメリットは微塵もない。
これ以上、この子達は知るべきじゃないし、問われても一切答えない。一颯はそう結論を出した。
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