第19話

「う……胃がなんかグルグルする……」



 気分ははっきりと言って過去最悪である。


 世の中にはいろいろな、俗に言うゲテモノがたくさんある。


 そう言う意味では、食した数などたかが知れるが、いずれも一般人よりかはずっと多いのはまず、違いあるまい。


 正直に言って、あれは本気でやばかった……。一颯は内心で自嘲気味に小さく笑った。


 すべては生きるためであり、決して好き好んで食したわけじゃない。


 味についても最悪だった、が一様に言えるのは人間の適応力は想像していたよりもずっと、優秀であるということ。


 何度も食す内にいつしか、意外と悪くないと思えるようになった。


 もちろん、これを馬鹿正直に他者に話せばどのような結果が返ってくるかは、火を見るよりも明らかである。


 とにもかくにも、慣れさえすれば人間なんでも食べれる生き物だ。


 しかし、目の前にあるこれだけは何年経とうが絶対に無理だ……! 一颯はごくり、と生唾を飲んだ。


 未だにごぽごぽと泡立つたびに異臭を撒き散らすそれは、もはや料理などではない。


 生物兵器……リスナーの言葉に嘘偽りはなかった。



「どう? どう!? すっごくおいしいでしょ!?」


 そう尋ねるエルトルージェの瞳に、一点の濁りすらもない。


 きらきらと純粋無垢な幼子のように輝き――否……その言動はもう犬そのものとさえ言っても過言じゃない。



「……ま、まぁまぁかな」



 これが精いっぱいの温情だった。


 うまいか、とは本気で言っているのか……? どう考えても激マズに決まっているだろうが! こう、本人を前にして言えたらどれだけ楽だったかとか。一颯は拳を戦慄わななかせた。


 本人はおそらく、まずいと言われることを微塵にも抱いていない。


 根っからの純粋さにはある種尊敬の念を抱き、同時にちょっとした加虐心が芽生えてくる。


 生憎と、一颯にそのような趣味嗜好はさらさらない。


 本音を晒そうものなら、なんとなくいけない気がする。


 確固たる確証はないが、強いて言うならば勘だった。



「……それじゃあ、次は俺の番ということで」

「えー!? まだこんなにたくさん残ってるよ!?」

「全部食べてたら時間が足りないから、終わってから裏でおいしく食べるからそこは安心してください」

「ぶぅ~……ちゃんと食べてね?」

「わ、わかってますってば」



 正直もう食べたくない。一颯はそそくさとキッチンに立った。



『次はいぶきちゃんの番!』

『どんな料理が得意なんですか?』

『個人的にはメシマズ枠入りと見た』

『いぶきちゃーん! 嫁にきてー!』



「さて、今から俺が作るのは……そんなにこったもんじゃないぞ? 普通にナポリタンだ」

「いぶきちゃんナポリタン作れるの!? すっごーい!」

「いや、そこまですごいものじゃないですけど……まぁ、ぼちぼち作ります」



 一颯は早速包丁を手に取った。


 今にして思えば、とふと思考を巡らす。


 ドリームライブプロダクションに所属してからと言うものの、他人に料理を振る舞う機会が増えた。


 たった二人ではあるが、なんとなく……今後もっとその機会が増えそうな気がしてならない。



「――、さてと。それじゃあ材料は本当にシンプルなもの。玉ねぎはシャキシャキ感が欲しいからやや太めに。ピーマンは輪切りにして、ベーコンも食べやすいサイズにカットしていく。後、俺はマッシュルームが好きだからそれも入れるぞ」

「おぉ! なんだか本格的だ!!」



いちいち大袈裟な……。一颯は苦笑いを浮かべた。



『ついにドリプロにメシウマ枠爆誕!?』

『これで社長が救われるw』

『手つきすごく慣れてる感がある』

『とりあえず、860円でそれ食べられますか?』



「860円ってまたリアルな数字だなぁ――申し訳ないけど、そこにアイドル税が入るから1860円ってところかな。それと……何? ドリプロの先輩達ってそんなに料理できないの?」

「できるもん! 私ちゃんと作ったでしょ!?」

「あ〜……えっと、そうでしたね。これは失礼しました。先ほどのコメントはドリプロの全員ではなく、エル先輩を除いたメンバーに訂正します」

「それならよし!」



 気を取り直して、一颯は調理を再開した。


 何気にコメント欄を一瞥して――まだ、例のリスナーがいた。一颯は視線を鋭くした。



『かわいいめっちゃ好きです』

『住所特定開始』

『特定すますた! 今から行きまーすwww』



 相変わらずの気持ち悪さだ。


 何をどうすれば、こんなコメントをためらいもなくできるのかが、不思議で仕方がない。一颯は内心でため息を吐いた。


 リスナーには当然、配信の裏側はわからない。だからこそエルトルージェが現在、どれだけ怯えているかさえもわからない。


 いい加減、こちらから仕掛けるべきだろう。一颯は判断した。



「――、さてと。とりあえずナポリタンの完成だ」

「わ、わぁぁぁ! すっごくおいしそう! 喫茶店とかで見るのとまんまだ!」

「味は悪くないはずだ――まぁ、自信はないけど食ってみてくれ」

「うん! いっただきまーす!」

「い、意外と豪快に行くな……」

ためらいがまったくないエルトルージェは、スプーンに巻いたナポリタンを大きな口で食べた。程なくして、ついさっきまで強張っていた表情に綻びが見受けられた。

「すっごくおいしい! お店で出してるって言われても信じちゃうよ!」

「それはよかった」



 一颯はホッと安堵の息をもらした。


 自分だけならばこうも気遣う必要などない。


 多少味がまずかろうとしょせん被害を被るのは自分だけで済むのだから。


 他人に振る舞うとなるとやっぱり、それなりに評価を気にしてしまう。


 どうせだったら満足してもらいたいし、だからこそいつも以上に分量など細心の注意を払っている。


 どうやらうまく言ったらしい。もぐもぐとあっという間に平らげたエルトルージェが、突然スッと皿を出した。



「えっと……どうかしたんですか?」

「おかわり!」

「お、おかわり!?」



 これは、さすがに予想していない一言だった。


 そもそも料理番組の類でおかわりを要求するやつがあるか!? 前々から“エルトルージェ・ヴォーダン”がよく食べるのは知っていたが……。一颯はほとほと呆れた。



「……残念ですけど、材料はこれだけです。なのでおかわりを作ることはできません」

「えー!? 材料ないのぉ!? もっとスタッフさん用意しといてよー!」

「いやそもそも、こういった内容の配信でおかわりを要求する方がおかしいんですよ……」

「うぅ……もっと食べたかったの――」



 そこまで言ったエルトルージェが、不意にハッとした顔を示した。


 何故だろうか、ものすごく嫌な予感がしてならない。一颯は思った。



「いぶきちゃんのお家今日行ってもいい? そこだったら材料あるよね?」

「えっ? お、俺の家に来るつもりですか!?」

「ねーねーいいでしょ!? お願いお願い―!」

「いや、そんなこと言われてましても……っていうか、どんだけナポリタン食べたいんですか!?」



 ナポリタンを食したいがためだけに、後輩の家に突撃する思考がまるで理解できない。


 彼女の並々ならぬ食欲の凄烈さには、さしもの一颯も唖然とするしかなかった。



『エルぶきてぇてぇぜぇ!』

『それじゃあ次はお泊り配信ですねー』

『期待しています! ありがとうございます!』

『お風呂配信もできれば是非とも! 何卒お願いします!』



「いやいやいやいやいや!」



 リスナーからのコメントが嵐よろしく殺到し、特にスーパーチャット……通称スパチャについてはさっきから赤枠ばかりが目立つ。


 正確な金額まではわからないが、ざっと目にしただけでもエルトルージェは、たったこの数分間で数十万は稼いだ。


 これが、人気Vtuberだからこそ成せる業か。一颯は驚愕した。


 とにもかくにも、これ以上身内を自宅に招くつもりは毛頭ない。


 あそこは、プライベート空間だ。おいそれと気軽に誰かを招けるほど普通じゃないのだから。



「……とりあえず、お泊りについては後日改めでお願いします」

「えー! いぶきちゃん駄目なのー!?」

「いやぁ、さすがにいきなりなちょっと……」

「じゃあじゃあ、私のお家だったらいいってことだよね?」

「えぇっ!?」



 そこまでして食べたいのか!? ぐいぐいと半場強引に迫るエルトルージェの勢いに、一颯は終始たじろいだままだった。

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