第二章:祓魔士
第14話
今の心境を一言で表現するとすれば、それは緊張の二字がなによりも相応しかった。
いつになく鼓動も早く、まだこれと言った運動はしていないのに身体は異様なぐらい熱い。
緊張するなんて柄でもあるまいに……。一颯は自嘲気味に笑った。どの道
「アンタ、何緊張してんのよ」
「かすみさん……」
呆れた様子にかすみがひょっこりとやってきた。
今日はいつもと違って、上下共に黒タイツに機材という一見すると奇抜極まりないが、これが仕事着なので仕方がない。
自分も同様の格好をしているのだから、なんとも言い難い気恥ずかしさと息苦しさが終始絶え間なくやってくる。
「まったく……まぁ気持ちはわからないでもないけど。でも緊張ばっかりしてたらいい動きなんてできないわよ」
「そう言われましても……」
「……アンタ、ストーカーをぼこぼこにした挙句、わざわざVtuberとしての名乗りまでリアルで言い切ったくせになんで緊張なんかするのよ。私だったらむしろあっちの方が恥ずかしすぎて死ねるわ」
「あの時はなんというか、その……妙なテンションが勝ってしまったっていうか……」
「まぁ、散々練習させられたもんね……」
最近になってスーパーでやらかしてしまい、そこで以前から夢だったアイドル活動を目指す17歳の女の子……というのが、設定であり課せられた役割だ。
改めて、何故あの社長はこんな設定にしたんだ? もっと他にも色々とあっただろうに……。
更に言うならアイドルに憧れた試しは一度だってないし、17歳の少女を演じるというのもなかなかハードルが高すぎる! というかこれについては以前にはなかった設定だ。
本人の知らないところで勝手に追加しないでほしい。一颯はすこぶる本気で思った。
「なかなか演技力も入ってたし、あの時すっかり入っちゃってるわねこの娘って本気で思ったんだから。ストーカーの恐怖もすっかりなくなってたわ」
「じゃあ結果的によかったじゃないですか……こっちは全然よくないですけど」
「ま、まぁ……ね。あの時はその、本当にありがとう」
”
なにせ有名で超人気のアイドルVtuberがストーカーに遭ったのだから、これで無関心を貫く方が異常といって過言じゃない。
特に一番この件について大激怒したのがかすみのファン――通称、かす
ネットって言うのは、本当に恐ろしいな……。一颯は力なく笑った。
そう言った暴挙を制止したのも、またかすみだ。
「――、でも。本当によかったんですか?」
「何が?」
「何がって……ストーカー被害に遭っていたことの件を自身の枠で話したことですよ」
「でも、どっちみち警察からも事情聴取は受けちゃってるし、それにあのマンションが映らないようにってちゃんとテレビ局とも交渉もしてるから住所はバレてないわ。その辺についてはあの社長、本当に頼りになるんだから」
「それは、確かに……」
かすみがストーカー被害に遭っていた――この事実は当然、寝耳に水だった
あの時の姿は、昨日のことのように鮮明に思い出せる分笑いが込みあがってくる。
『えっ!? ちょっと大丈夫だったのかすみちゃん! ていうかどうして今まで相談しなかったの!?』
『すみません社長。ですけど……みんなに迷惑をかけたくなかったから……』
『怪我は!? どこにも怪我はしてないかい!? いくらVtuberだからってかすみちゃんは女の子なんだから傷が1つでもつくなんてことがあったら駄目なんだよ!?』
『しゃ、社長ちょっと落ち着いて――』
『というかどうしてぼくは、自分の子がこんなにも怖がっていたなんて気付かなかったんだ! ストーカーだけでも怖いのにまさか刃物まで出すなんて……!』
『社長? 社長?』
強面の男が女の子よろしく酷く取り乱す様子は、恐怖を通り越して滑稽だった。
笑っちゃいけない、笑ったら東京湾にコンクリ詰めされて沈められる――もそりと呟く“犬房こころ”は、正しく予期せぬ伏兵だった、とこう言わざるを得ない。
それはさておき。
「でも、怒った時はやっぱりっていうか……なかなか怖かったですね」
「そりゃああんな顔してるんだもん。本気ですごまれたら怖くてなんの反論もできないわ……」
「さすがの俺も、あの時の社長には一歩引いちゃいましたよ……」
口調こそ普段となんら変わらないくせして怒気はすさまじい。
スーツ姿に加え高級車がそこにあれば、もはや誰もカタギとは思うまい。
実は本当にそうだったり……? まさか、そんなことありえるわけがないか。一颯は思った。
「ちょっとちょっと~。な~んか一颯ちゃんとかすみちゃん、この短期間でちょっとラブラブしすぎじゃない~」
「エ、エル!」
ジト目を向けるエルトルージェの頬は、ムッと膨らんでいた。
不満を露わにしているのはわかるが、何に対してのものかがさっぱりわからない。
パッと出の後輩に敬愛する仲間を独り占めにしているから、とでもいうのか……? そんなつもりは更々ないのだけれども。
困惑の
ただし頬はほんのりと赤らんで、言動にも強い焦燥感が見られる。
「な、なによラブラブって! わ、私と一颯はそんな関係じゃないから! てか女同士だから!」
「女同士でも始まる恋ってのがあってじゃな~」
「こころまで!」
「おぉ……いつも眠そうにしている姿しか見てなかったから、なんか新鮮な感じがする」
「やる気がある時のこころんはすごいからねぇ。本気を出した時のこころんは、そう……本当にイケメンアイドルって感じなんだ」
「イケメン……ですか?」
「そう、イケメン」
とてもじゃないが、そうは見えないが……。一颯はジッと“
確かに今日はライブ公演日とだけあって、普段の眠そうな姿は微塵もない。
言動もはきはきとメリハリがあるし、だらんとした姿を知らなければあれが素だと間違えよう。
かと言ってイケメンか、とこう問われれば答えは否だった。
「――、皆そろそろライブ公演だけど、大丈夫かい?」
「あ、社長! 私なら大丈夫です」
「かすみちゃんだったらそう言ってくれると思っていたよ!」
そう口では言うものの、やはりと言うべきか。
「本当にごめんねかすみちゃん……本当だったらしばらく君にはメンタルケアに励んでもらいたかったのに」
「だから気にしないでくださいってば社長。せっかくこの日のために皆必死になって練習したんですよ。それなのに休めるわけがないじゃないですか!」
「……わかってる。だけど無理だけは絶対にしないでね、かすみちゃん」
「わかってますってば。もう怖いものもないですし、それに……」
かすみがちらり、と一颯の方に横目をやった。
どうしてこっちを見るんだ? 一颯ははて、と小首をひねった。
「と、とにかく大丈夫ですから!」
「……わかった。じゃあぼくはかすみちゃんを信じるよ。それと、一颯ちゃん」
「あ、はい」
「今日は君にも期待しているからね。待機しているリスナーも、ほら。君の登場を待っている人がこんなにもたくさんいるんだから」
「げっ、マ、マジですか……?」
「なになに? “
「いや、その原因作ったのかすみさんじゃないですか……」
かすみが自身の配信でストーカー被害について語った時のことだ。
あろうことかデビューさえもしていない“
しまった、とこの時はさしものかすみも後悔したが、もう後の祭りだ。
たちまちデビュー前の超大型新人の名はネットに知れ渡った挙句、様々な憶測が飛び交う始末。一颯は小さく溜息を吐いた。
「あの時は本当に悪かったって思ってるわよ……」
「一応コンプライアンス的なものもあるからね。今回はちょうど“
「本当にすいませんでした……以後気をつけます」
「――、わかってくれたらいいんだよ。さて、それじゃあそろそろ公演時間だ。皆、準備はいいかい?」
次の瞬間、たった一人を除いて全員の顔付ががらりと変わった。
さっきまで楽し気に談笑していた面々の表情には真剣みが帯びる。
とても力強く、すさまじい覇気がひしひしと伝わる。これがアイドルとしての、Vtuberとしての顔なのか……! 一颯は思わず息を呑んだ。
正直な話、レッスンを共にした時以上のプレッシャーが容赦なくずしりと重く伸し掛かる。そんな心境。
「大丈夫よ」
かすみが口を切った。その顔には優しい笑みが浮かんでいる。
「笑顔の方はぎこちないけど、ダンスとかはばっちりだったじゃない。だからアンタももっとドシッと構えてなさいよ」
「かすみさん……」
「そうそう! 一颯ちゃんだったらきっと大丈夫だよ!」
「いぶやんなら問題ないって。何かあったらそこはアタシ達がしっかりサポートするし」
「まぁ、でもなんとかやってるから平気だって~」
「みなさん……」
「それじゃあ、行くわよ――!」
かすみを筆頭に各々力強く頷く。
失敗することよりも全力を尽くさない方が彼女達にとって失礼だ。一颯は思った。
こうなれば当たって砕けろだ……! 四人に続くようにカメラの前に立った。
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