第12話
重い足取りで向かった先のスタジオは、異様な熱気に包まれていた。
まるで真夏のように蒸し暑い。室内は完全に密閉空間で、しかしエアコンは起動していない。
原因はすぐ、目の前にあった。
ダンスの練習をする姿は、いつもの雰囲気は微塵もない。
これがVtuberとしての、アイドルとしての顔か……! 一颯はひどく感心した。
大手事務所に所属するだけのことはある。
今は単なる練習だが、彼女らの挙動一つ一つは真剣そのもの。
少しの妥協も許さない、そんな意気込みがひしひしと伝わってきた。
そこに今から混ざるのだから、プレッシャーを感じないわけがなかった。
本当に、皆に混ざって踊るのか? 大それた志はこれっぽっちもなく、ドリームライブプロダクションへの所属もすべては金のためだ。
そんな不純すぎる動機の人間が同じ動きができるのか――こう問われれば、なんとも言えない自分がいた。
「――、すごいでしょ? ウチのアイドル達は」
いつの間に来ていたのだろう……。スッと音もなくやってきた
「社長……。えぇ、本当にすごいですね……」
「でも大丈夫だよ一颯ちゃん。彼女達だって最初からすべて完璧にできたわけじゃない。君だって経験と練習を積めばすぐにできるようになるさ」
「いや、踊るだけだったら俺にだってできますよ?」
単純にダンスと歌を披露するだけであれば、誰にだってできよう。
練習さえコツコツとすれば、少なくともそれなりに形にはなる。
ただし、かすみ達のそれには遠く及ばないのは火を見るよりも明らかだ。一颯はふっと自嘲気味に小さく笑った。
彼女らのダンスには人を魅了する不思議な力がある。
それがなんなのか具体的に説明する術は、生憎と持ち合わせちゃいないが……。
一つ確実なのは、あのダンスも歌も誰かのためにあるということ。
「誰かのために楽しい時間を提供する……か。俺には到底、できそうにないなぁ……」
一颯はもそりと呟いた。
行動原理はあくまでも自分主体であったし、心が赴くがままのらりくらりとした人生をこれまでずっとしてきた。
「一颯ちゃん。それじゃあ早速レッスンに加わってもらおうかな」
「……マジでやるんですか?」
「もちろんだとも! ほら早く早く」
「着替えとか何も持ってきてないんですけど……」
言って、じゃあ中止しようと言ってくれないだろうなこの社長は……。一颯は小さく溜息を吐いた。
正直に言うと、今すぐにでも帰りたい……。ダンスなんてものは、人生の中で一度だって満足にしたことがない。
「――、アンタ大丈夫なの?」
そう言ったかすみの視線は鋭い。
彼女が何を言わんとするかを差せないほど、一颯という男も愚鈍ではない。
もうすぐ披露するライブに向けて失敗する要因となり得るか否か。
なかなか嫌なプレッシャーだ……。一颯は力なく笑みを返した。
「正直に言うと、自信なんてこれっぽっちもないですよ――でも、社長命令ですし、やるからには全力で挑ませてもらいますよ」
「……ふん、まぁいいけど。足だけは絶対に引っ張らないでよね」
「わかってますってば……」
「おー! 一颯ちゃんが躍るんだ!」
「これは見ものだねぇ……」
こころとりんねも、何故か期待に満ちた目を向けてくる。
過度な期待をされても困るだけだ。
ダンスは一度もやったことがないし、拙ないものを見せるということへの羞恥心がないわけじゃない。
日を改めることができないのか……? 一颯はちらりと社長の方を見やった。大した期待はしていなかったのだが……。
「がんばってね一颯ちゃん!」
案の定すぎる反応が返ってきた。満面の笑みにサムズアップと大変忌々しい。
どうやら、やるしかないようだ……。一颯は盛大に溜息を吐いた。
「――、あなたが新しく入ったって子ね? それじゃあまずはどこまでできるか、簡単な動作からやってもらうわ」
「……よろしくお願いします」
「あ、ちょっとストップストップ。練習も大事だけど笑顔も大事よ。あなたにはその笑顔が圧倒的に足りないわ」
「は、はぁ……」
Vtuberという仮初の姿をするのだから、別段意味がないのでは? 一颯はすこぶる本気で思った。
思うだけで言葉に出さなかったのは、ここでは無粋極まりないことだから。
あくまでもここにいるVtuberはアイドルだ。
例え画面外であろうとも笑顔を絶やさないのは、必須スキルにして身に付けて当然なのだ。
不本意だが、ここの方針に従うしかない。一颯は腹を括った。
「……ぐっ」
「ちょ、固い固い! 表情が固いから! あなたちょっとまずは笑顔の練習から始めた方がいいかもしれないわね……」
「一颯ちゃん顔が固いってば~」
「アンタちゃんとやりなさいよね」
「ほらほらスマイルスマイル~」
「ぐっ……こいつら」
好き勝手に言ってくれる……! 一颯は横目でじろりと睨んだ。
自分は、この道のプロフェッショナルでもなんでもない。
アイドルとして駆け出してまだまだ新参者にすぎないが、仕事を遂行することへの責任感はきちんとあるつもりだ。
こうなったらヤケクソだ、なんでだってやってやる……! 一颯はぎこちない笑みを作った。
「ちょ、本当に怖いから! ここまで笑顔が不器用な子始めてみたわよ」
先生からのダメ出しが容赦なく下る。
「――、ねぇ一颯ちゃん。一颯ちゃんが何か楽しいって思えることを、ここでは想像してみたらどうかな?」
不意に
「楽しいこと、ですか……?」
「うん。一颯ちゃんが嬉しいとか楽しいとか、そう言った思い出を浮かべてみるんだ。そうするとすんなりと笑顔も作りやすいと思うよ?」
「わ、わかりました……」
自分にとって楽しいこととは、いったいなんだろうか……? 一颯は沈思する。
「……とりあえず、先に進みそうにないから次の日までの課題としておくわ」
「え~……」
「え~、じゃないの――それじゃあいよいよダンスの方に行くわよ」
「あ、はい。俺としてもそっちの方がありがたいです――」
まず結論から言うと、ダンスの方については微塵も問題はなかった。
「――、とまぁ。こんな感じでどうですか?」
一颯は頬に伝う汗を、手の甲でぐいっと拭った。
家柄と仕事柄上、どうしても肉体労働がメインだったので常に身体は動かしている方だった。
ダンスとして肉体を可動した経験も、それに関する知識も皆無であるが、案外なんとかできてしまうのが人間というもの。
適当にそれっぽく動けば、もう立派なダンスだ。
「……あなた、何者なの?」
そう最初に口を切ったのは、ダンスの先生である。
スタジオにいる他の面々も、唖然としたままぴくりとも動く気配がない。
なんだこの異様極まりない光景は……。どうして誰も何も言わないんだ? ダンスの質があまりにもお粗末だった、それが理由だとしたらもうどうすることもできない。
やれるだけのことはやったし、恥じぬように全力も費やした。
見てくれまでは保証しかねるが……。頬の筋肉をひくりと釣り上げて、一颯は周囲をもう一度
まともに会話できそうなのは、現状ダンスの先生のようだ。
「……ダンスとかはやってませんけど、まぁ武術っていうか、なんというか、身体はよく動かしていた方なので、まぁ多少動ける方だと思います」
「いやいやいやいや。多少とかいうレベルじゃないから! あんなアクロバティックな動き連発してできる方がどうかしてるから!」
「いや、でもできましたし……」
「ぼくの目に狂いはなかった! やっぱり一颯ちゃんはアイドルとしての素質があるよ!」
「一颯ちゃんすごい! ねぇどうやったらできるようになるの!?」
「まさか俺っ娘で忍者属性まであったとは……いぶきんってば結構多才?」
「ま、まぁまぁできる方じゃない……」
約一名に関してはすごく上から目線だが、とにもかくにもスタジオ内は一気にやかましくなった。
その中で一颯だけが、困り顔を示した。
彼からすれば特段、なにか変わったことをやったわけではない。
そんなにも空中四回転からの蹴りがすごかったのか……? あれぐらいなら知人の間では逆上がりぐらいの感覚でバンバンしているのだが。
一颯ははて、と小首をひねった。
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