第11話

 雲一つない快晴の中、一颯は事務所へと向かった。


 辺りに例のストーカーの姿はない……通行人の数も増えれば当然か。


 目立った場所でやろうものなら、周囲も不信感をさすがに抱く。



「……例のストーカー、どこにもいないわね」



 かすみも、ホッと安堵した様子だ。


 しかし、心にはまだ余裕がないらしい。


 その証拠に家を出てからというものの、ずっと手を握って離そうとしない。


 ぎゅうっ、と力強く同時に柔らかい。


 乙女特有の柔らかな感触と、ほんのりとした優しい温もりに、妙な気恥ずかしさを憶えた。



「さすがにこれだけ人の姿が多かったら手を出してこないと思いますよ?」

「そう、だけど……でも、やっぱり怖いものは怖いわよ」

「確かに……。付け回されてるだけでも十分なのに、それで襲ってこようものなら猶更ですね。だけどその不安も今日中にはきっと終わると思いますよ」

「――、? どうしてそんなことが言えるのよ」

「そうですね、まぁしいて言うなら勘と言ったところです。俺の勘、結構当たるんですよ?」



 一颯はふっ、と不敵な笑みを浮かべた。


 かすみはと言うと訝し気な視線でジッと見つめてくる。


 勘というものほど、曖昧で信頼性の低いものはない。


 それは確かにそうだが、時に勘は絶大的な力を発揮することもある……今回は、こちらで対処するから勘でもなんでもないのだが。一颯は胸中で自嘲気味に小さく笑った。



「――、ところでなんですけど。いつまでその、続けるつもりですか?」

「何が?」

「え?」

「え?」



 もしかして気付いていないのか……? 一颯は目を丸くした。


 手を握るという行為は普通、親しい間柄でもない限りやらない。


 幼い我が子の引率をする親であればいざ知らず、かすみとの間にそういった関係性は皆無であるし、まずそこまで親しくもなんともない。


 今は同じドリームライブプロダクションに所属するVtuberかつ、先輩と後輩の間柄だが、それがなければ赤の他人同士にすぎない。


 むしろ自分は、彼女からあまり好意的ではない方と言っても過言じゃない。


 マンションから大きく離れ、人通りの多い町中に出た。


 そうなれば当然行き交う人もずっと多くなり、てっきり恥ずかしさから手を離すとばかり思っていたが……。



「ちょっとアンタ、いったい何が言いたいのよ。言いたいことがあるんだったらはっきり言いなさい」

「……言っていいんですか?」

「逆にそうやってもったいぶられるのが私は嫌なの。ほら、怒らないから早く言いなさいよ」

「それじゃあ遠慮なく――このままだと事務所までずっとこの状態ってことになりますけど、手ぇ離さなくていいんですか?」



 しばしの沈黙の後、ようやく右手が圧力から解放された。


 かすみは、目に見えてはっきりとわかるぐらい顔をリンゴのように紅潮させていた。目も右往左往として大変落ち着きがない。



「ア、アンタねぇ! そういうことはさっさと言いなさいよ!」

「え~理不尽……」

「も、もう! さっさと事務所に行くわよ!」

「わかりましたから、そんなに怒らないでくださいって」



 どかどかと先行するかすみの後、一颯は追いかけた。



「――、ふっふっふ~。見~ちゃった見ちゃったぞ~」



 事務所に入って早々、その言葉を発したこころの口元はにやにやとしていた。



「何を見たって言うのよ」



 いたずらが思いついた子供のような言動に、かすみが呆れた口調で言及する。



「ふっふっふ~。実はこころ、かすみちゃんが一颯ちゃんと手を繋ぎながら出てくるの見ちゃったもんね~。いや~まさかもうそんなに仲良しさんだったなんて~」

「ば、ち、違うってば! あれはちょっとした理由があって……って、アンタどっから見てたわけ!?」

「ふっふっふ~ん。それは秘密~」

「あ、おはよう二人とも。何? 手ぇ繋ぎながら出社してきたって?」

「り、りんねまで! 違うから! これにはちょっとした理由があっただけだから!」



 その弁明は更に余計な誤解を招くだけだと思うのだが……。


 ストーカー被害については、かすみのことだ。


 他のメンバーにでさえも恐らく言っていない。


 心配かけまいとする彼女の心優しさと、仲間想いなところを考慮すれば、まず第三者である自分がどうこうと口出すすべきではない。一颯はそう結論を下した。


 とは言え、何かしらの嘘も必要である。


 その嘘だが……如何せん、いい案がまるで思い浮かばない。



「そ、それは――そう!」



 突然、かすみが声を荒げた。



「い、一颯ったら意外と方向音痴でさ。何回か事務所とマンション行き来してるって言うのに、変なところをふらふら~と言ったりするのよ?」

「え? 一颯ちゃんってあんまり道とか憶えるの苦手なタイプだったの?」

「へぇ~確かに、なんだか意外かも」

「いや、その……」



 まさか自分が利用されるとは思ってすらいなかった。一颯はちらりと横目にやった。


 かすみは明後日の方角をぷいっと向く始末。


 こちらからすれば完全に誤解であるし、いい迷惑だ。


 道順ならばとうに憶えているし、そもそもその嘘ではいささか無理がありすぎる。


 だからすぐにバレるであろうという心配は、意外なことに信用しつつある二人を見て呆気なく消失した。


 マジでかすみの低クオリティーな嘘を信じたのか……? 一颯は唖然とした。


 見た限りではこころも、りんねも、疑っている素振りは微塵もない。



「……まぁ、確かに? 俺も道を憶えるのは昔っからどうも苦手でして……いつも周りの人に聞きながら目的地に向かったりするんですけど、今回はかすみ先輩が助けてくれました」


 一颯はあえて、かすみの嘘に乗った。


 すべては彼女の名誉を守るため。


 不本意なのは否めないが、これで平穏が守られるのであれば喜んで道化にもなろう。


 はたと彼女の方を見やった時、自分から嘘を吐いておいて驚くとはこれいかに。


 まさか便乗するとは思っていなかったのか……? 一颯は内心で溜息をもらした。



「え~一颯ちゃんなんかかわいい~! ねぇねぇ、次はこころと一緒にいかない?」

「え……?」

「あ、それだったらアタシも付き合ってあげるけど」

「えぇ……!?」



 話がだんだん面倒な方へ転がっている気がしてならない……。一颯は苦笑いを返した。



「――、みんなおはよう。今日も相変わらず元気そうでいいね」

「あ、社長。おはようございます」

「あぁ、一颯ちゃんもおはよう」



 にこりと笑う社長――ただでさえ強面でカタギにまるで見えないのに、そこに笑みが加わるだけでこうも威圧感たっぷりの恐ろしい形相に成り果てるのか。一颯は引きつった笑みを浮かべた。



「それじゃあ、今日はいよいよ一颯ちゃんの立ち絵公開と、そのキャラ設定に応じた立ち振る舞いなんかの演習をやっていこうか」

「え? もう完成したんですか!?」

「ウチは専属の凄腕イラストレーターと契約しているからね。納期の速さからクオリティーの高さは保証するよ」



 さすがは、大手事務所だ。一颯はほとほと感心した。


 個人勢でイラストを発注した時は、色々と苦労した思い出がある。


 もちろんきちんと下調べをしなかった自分にも非があるが、依頼を受注しておきながら自ら提示した期日を圧倒的に超えるわ、言及したら体調が優れなかったなどの言い訳のオンパレードで、心底腹が立ったのは今でも鮮明に、それこそ昨日のことのように思い出せるほどに。


 あのイラストレーターには二度と依頼をしてやるものか! イラストの完成度から雰囲気がすごくよかっただけに、ズボラな性格だけが今も心惜しく思う。



「他の皆はもうすぐライブだから、それに向けての歌とダンスの練習をしっかりとね。今日も先生が第一スタジオの方にいるから、よろしく」

「はい、わかりました」

「了解で~す!」

「それじゃあいっちょ頑張りますかぁ」

「ドリプロってライブもやるんですね」

「もちろん、なんていったって彼女達はVtuberにしてアイドルだからね。あ、言うまでもないけど一颯ちゃん。君にもライブ出てもらうから」

「……は?」



 一颯は間の抜けた声をもらした。


 こんなの、もらして当然だ。ライブに出ると言う話は一度も耳にしていない。


 スケジュール表については、穴が空くぐらい何回も目を通してなかったことは把握済みだ。



「ちょ、ちょっと待ってくださいよ社長! そんなの俺、聞いてないですよ!?」

「本当に急遽決まったんだよ。歌の先生が一颯ちゃんの歌ってみた動画を見て、なかなかいい声出しているから是非ってね。というわけだから一颯ちゃん、残り後10日間ぐらいしかないけどがんばろうね!」

「いや……いやいやいやいやいやいやいや!」



 何がというわけだから、だ! 一颯は驚愕と困惑の感情いろをこれでもかと強く表情かおにした。

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