第4話

 その日、一颯は都内にある大きなビルへと赴いた。


 小さな会議室は仄暗くて、あえてそうしているのかたまたまなのかは、今はさして重要ではない。



「やぁ、よくきてくれたね」



 その言葉が発せられたのは、口元をニヤニヤと笑う段田弾だんだはずむからのものだった。


 カフェでさんざん断ったと言うのに、この諦めの悪さはもはや筋金入りでさしもの一颯も驚きを禁じ得なかった。


 再び相対するとはさすがに思ってなかったが……やらざるを得ない状況に陥ったのが、今はひどく悔やまれる。



「君は本当に選ばれた逸材だ。数多くの人間を見てきたけど、君は特にすべてにおいてズバ抜けてる!」

「は、はぁ……」

「――、でも。本当にどうして急にスカウトを受けてくれるようになったんだい?」

「……ちょっとした家庭の事情ってやつですよ」

「そうなのかい? まぁいいや。こっちとしては君がこうして来てくれただけでうれしいからね!」

「……あの、マジでやるつもりですか?」



 一颯はおずおずと尋ねた。


 突然資金面に大きな問題が生じてしまったから、こうして藁をも掴む思いでドリームライブプロダクション事務所にきたわけだが、やはりいささか無理がある。


 いくら見た目が女でも中身は立派な男だ、どうやったってバレるとしか思えないのだが……この男は、どう考えているのだろう。


 一颯は訝し気に見やった。



「大丈夫! だって君、見た目は本当にかわいくてクール系な女の子にしか見えないからね! 声だって素でそれだ。どこに問題があるんだい?」

「いや、そんな言われても……」

「まぁまぁ、ぼくも君のことはしっかりとサポートしていくから!」



 どんどんと話が進んでいく。実際スカウトされた先輩Vtuberも、皆こんな感じたったのか……? 一応大御所であるのにその辺りがどうも軽ぎするような気がしてならない。


 いずれも今の自分にはお金がとにかくいる。


 稼ぐのであればとやかく文句を言う資格なんてものはない。


 どんなことだろうとやってやる……! 一颯は覚悟を新たにした。



「それじゃあ早速だけど打ち合わせから始めようか」

「え? あの、ちょっといいですか?」

「ん? どうかしたかい?」

「いやいやいやいや、いきなり打ち合わせですか……!?」



 一颯はひどく驚いた。



「何か不都合でもあったかな?」

「いや、不都合っていうかなんちゅーか本中華……」

「うわっ、古いネタだねぇ……」

「冗談はさておき。普通ってその、面接とか実技試験とかするもんじゃないですか?」



 一般企業であれば面接は必須、特にエンターテインメントを主とする企業であれば演技力や歌唱力といった能力も試されるだろう。


 底辺ながらもVtuberで、俗に言う歌ってみた動画もいくつか配信した経験はある――あくまでも、経験だけだ。


 そこから再生数が爆発的に伸びたこともなし、高評価も雀の涙ほど。


 それが実力だと言われれば、確かにそのとおりである。


 別段上手いとは自分でも思ってはいない……あんなものは、趣味の延長線上だ。


 歌いものがあったから歌った、ただそれだけにすぎない。一颯は内心で自嘲気味に小さく笑った。



「いや、君の歌唱力は完成度が極めて高い。まぁあえて言うのなら宣伝の仕方が下手くそってところかな。もっと多くの人に知ってほしいのなら、SNSなんかももっと積極的に使わなきゃ」

「はぁ……まぁ、そもそもVtuber始めたのは単なる暇つぶしみたいなものですし、そこまで伸びなくても大して気にしていなかったっていうか……」

「でも安心して! ぼくが必ず君を他のVtuberと同じぐらい素晴らしい存在にしてみせるから!」

「は、はぁ……」



 暑苦しささえ憶えざる段々弾だが、決して悪い気はしなかった。


 それだけ彼からはVtuberに対する強く熱い思いがあることの証明で、だから今も年々新しいメンバーが増えていくのもきっと大きな力になっているに違いない。


 ここだったなら自分でもひょっとすると、うまくやっていけるかもしれない……一颯はそう実感した。



「――、失礼します……ってダンダダン社長。その子は?」

「あぁ、かすみちゃん。おはよう」

「……かすみ、だって?」



 一颯は会議室に入室した少女をジッと、訝し気に見やった。


 外見からして、またとても若々しい。


 成人しているかどうかさえもわからない、あどけなさ残る顔立ちだは人形のようなかわいらしさがあった。


 赤々とした髪はまるでごうごうと燃える炎のようで、鮮やかさから見て恐らくは地毛だろう。


 こいつが、“天現寺てんげんじかすみ”なのか? キャラクターと中身が異なるのは言うまでもないが、双方の共通点はどちらもかわいらしい。


 一颯は“天現寺てんげんじかすみ”をジッと見やった。


 ついついじろじろと見つめてしまったものだから、彼女の表情かおはお世辞にも友好的とは言い難かった。



「えっと……社長、この子は――」

「今日からウチの事務所に所属することになった、戌守一颯いぬがみいぶきちゃんだよ!」

「ちゃ、ちゃん……!?」



 一颯は思わず目を丸くした。


 男として生まれ、育てられた中で一度もちゃん付けで呼ばれたことがなかっただけに、強烈な違和感が拭えなかった。



 もっとも、ここで馬鹿正直に話してはすべてが水泡に帰すのは自明の理。


 社長がよくて、権限で周囲を強引に押し通すことはできよう……職権乱用にも程があるし、そこから仲間意識や連帯感が生まれるだろうか? あるはずがない、だからバレないためにも不本意でも合わせるしかない。


 一颯は頬の筋肉をひくりと釣り上げ、なんともぎこちない笑みを浮かべた。



「え、えっと……よ、よろしくです先輩」

「……ねぇ、あなた昨日私と一緒にゲームであったわよね?」

「え、ゲ、ゲームですか?」

「そうよ! 絶対そう! だって声同じだもん!」

「いやぁ、人違いじゃないですかねぇ……」



 一颯はそっと目線をそらした。


 よりにもよって、まさか最初に“天現寺てんげんじかすみ”と出会うなんて、誰が予測できよう。


 これは、非常に面倒くさいことになりそうだ……。一颯は胸中で小さく溜息を吐いた。



「昨日はよくもやってくれたわね……人のこと全然信じてなかったし」

「そりゃあ、疑うでしょう普通。かすみさんは、超人気Vtuberです。あなたのようになりたいと憧れる人は多いでしょうし、なりすます輩だって少なからずいるはず……」

「だからって煽ったり一方的にボコボコにする必要はなかったんじゃない!?」

「それについては……まぁ、その、あれです――すいません」



 一颯は素直に謝罪した。



「――、うんうん。早速仲良くやっていけそうでよかったよかった!」



 皮肉でもなんでもなく、そう発した段田弾だんだはずむ表情かおは太陽のように明るかった。


 これで仲が良いと見えるとか正気だろうか……一度眼科の受診を個人的に強くお勧めする。一颯は思った。



「――、というわけだから! これからは先輩後輩として、仲良くやっていこう!」

「……はーい」

「……はい」

「ちょっとちょっと、二人ともかわいんだからもっと笑顔じゃなきゃ! 暗い顔なんかは似合わないよ!」



 とてもじゃないが、この人とは仲良くなれそうにない。一颯はすこぶる本気で思った。

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