第3話
待ち合わせに指定されたそこは、都内でももっともオシャレなカフェである。
テレビやネットでも紹介されただけあって、平日であるにも関わらず来客者は多い。
利用する客層も若者だけのみならず、どこか会社のオフィスのような雰囲気も相まってスーツ姿のサラリーマンの姿もちらほらと見受けられる。
本日の天候は雲一つない快晴。
さんさんと輝く太陽は眩しくもとても暖かくて、その下では小鳥達が優雅に泳いでいる。
時折頬をそっと優しく撫でていく微風は、まだほんのりと冬の冷たさを感じさせつつも心地良い。
正しく今日は絶好のお出かけ日和と言っても過言ではないが、目的地に向かう一颯の表情はすこぶる不機嫌だった。
結局、例の社長は人の話をとにもかくにも聞かない男だった。
やり取りは基本DMばかりで、実際に声を聴かないことには判断しかねない。
その言い分も理解できなくはないが、やらないと本人がさんざん拒否しているのにあれよこれよと手の品を変えて交渉を粘るしつこさは、さすが社長と言うべきか……。
「まったく……後で文句でも言ってきたらマジでぶん殴ってやる」
カフェ――スィートデイは案の定、すでに多くの客の姿があった。
わいわいと賑わう店内をしばし見回して――いた。グレーのスーツにサングラスと、すでにいかつい格好に一部客はひそひそといぶかし気な視線で見やっている。
やっぱり、今すぐにでも帰ってやろうかな……。
アレと今から対談すると考えるとなると、気分ははっきりと言って滅入る一途だった。
裏社会となんらかの関りがあるとよからぬ噂も立てられかねない。
「――、よしっ。やっぱり帰るか」
「ん? ちょっとそこの君」と、件の男が席を立った。
さっきまでヒソヒソと話していたくせにして、いざアクションが起きたとなると我関せずと振る舞う態度に、一颯は苛立ちを憶える。
それはさておき。
「君、ひょっとして戌守一颯ちゃんじゃないかな?」
「いや、え~っとぉ……」
「いやいや、隠さなくてもボクはわかるよ。ボクはこれでも一度聞いた声は忘れない方なんだ――君が来てくれるのを心から待っていたよ。さぁ、こっちに!」
「あい、いやだからその……!」
本当に人の話を聞かない人だな……!
ぐいぐいと手を引かれるがまま、一颯はそのまま店の奥へと連れられる。
傍から見ればこの光景は、はっきりと言って大変よろしくない。
Vtuber事務所の社長という肩書を知る者じゃなかったら、本当にその道の人にしか見えない。
スタッフや一般客も、誰も目を合わせようとしない。
言葉には出さなくとも、全員が一様に“どうかこっちを”巻き込まないでくれ”と、その目が暗にそう告げていた。
店の奥は、まるで会社のオフィスのような内観だ。
だからと堅苦しさは皆無で、喫茶店ならではの落ち着いた雰囲気が優しく空気を包んでいる。
席に座るよう促された一颯はちらり、と周囲を
広さはおよそ十畳といったところ。完全個室で、唯一の出入り口の前にあろうことか段田弾がどかりと座ってしまった。
意図的なのか無意識なのかはともかくとして、すんなりと逃げるのは難しい。
だったらやはり、窓しか逃走経路はなさそうだ。
一颯のちょうど真後ろには、大きな板張りのガラスがある。
全長は2mほどで、厚さもそこそこといったところ。
ただし防弾ガラスの類ではないので、強い衝撃を与えれば破砕するのは実に容易い。
二階ぐらいだったら問題は特にない。
「――、さてと。それじゃあ改めて自己紹介をさせてもらおうかな。僕は
「は、はぁ……」
「それで、早速だけど軽く面接の方をさせてもらってもいいかな?」
「あ、あのぉ。その前に一ついいですか?」
「ん? どうしたんだい?」
「……何故、俺なんですか?」
俺なんかよりもずっと有名な個人勢ならたくさんいるのに……。
個人勢から事務所所属になったVtuberはこれまでにごまんといる。
なのに、どうして自分なんだろうか……。ましてや男の俺をどうして?
ドリームライブプロダクションは、女性Vtuberしかいない。そこに男がひょんと混ざればどうなるかは想像するのは実に容易い。
炎上系Vtuberに転身する気は一切ない。
絶対に声を掛ける相手を、この社長は間違っている。一颯はそうとしか思えなかった。
「それはだね……君のことを調べさせてもらったんだよ」
「俺の、ことを?」
「うん。君、昨日の夜、ウチの“
「なっ……!」
一颯はすこぶる本気で驚いた。
最底辺Vtuberとは言え、雑談の他にもゲームの実況配信なんかもそれなりにはやっている。
内容は、はっきりと言って雑多だ。流行のものからマイナーなものまで。
それで登録者が伸びた試しはないが、あくまでも実況は自分が主であって第三者への考慮は特に何もしていないのでなって然るべき結果なのは否めないが。
「こう見えても僕は色々と未来のスターがいないかを探していてね。例え今は最底辺と呼ばれるVtuberでも、ダイヤの原石が眠っている可能性はたくさんあるんだ。そこでたまたま――」
「俺のあんなつたない配信を見たのを思い出した、と……?」
「君は、すごく声がいい。例えるなら、そう――玲瓏……まるで球を転がしたようなとてもきれいな声だ。それにキャラ設定を意識した喋り方も素晴らしい」
「いや、それは――」
キャラ設定は、本当に酒の勢いで適当に考えたのはここだけの話だ。
真剣にやるのだったら、やっぱりある程度は固めた方がいいのだろうけども、そう言った面倒なことにあまり力は入れない方だ。
余談だが、自身のキャラ設定は――裏社会で暗躍するスパイ、という設定だった……気がする。
自分のことなのに、その当事者がよく憶えていないのはこれ如何に。
一颯は自嘲気味に小さく、心中にて笑った。
「その声、地声かい? マイクなんかも使わずにそんなきれいな声が出せるなんてすばらしい才能だよ!」
「そ、それはどうも……声がいいとか褒められたこと、今までなかったので」
「本当かい? ぼくはすぐに思ったけどね」
「……だけど、申し訳ありませんが今回のお誘いは断らせていただきます」
「な、ど、どうして!?」
「それは、こういうことですよ」
一颯は上衣を脱ぎ捨てた。
人前で脱ぐ歪んだ性的嗜好はこれっぽっちもなく、しかし納得させるためにはどうしてもこうする必要があった。
百聞は一見に如かず、口であぁだこうだと語るよりも実際に見てもらった方が手っ取り早い。
「こういうことですよ。俺は……歴とした男ですので」
一颯の肉体はとても中性的で、それこそ女と間違えられたことは多々ある。
身長は173cmとあるが、化粧の一つでも施せばよく観察しない限り男だと気付かれることはまずない。
これは実際に
人によっては羨ましがられるが、一颯本人の意見としてはあまり素直に喜べたものではなかった。
女と間違えられるから、男からナンパされたことも多々ある。
どうせだったらかわいい女子からの方が断然いいに決まっている。
男には一切興味はないし、彼女だって普通に欲しい。
ともあれ、これで相手にも伝わっただろう。
「なっ、き、君は男の娘だったのかい!?」
驚愕の
これも、今となってはもう珍しくもなんともない。
男であると明かした時、決まって声をかけた男達はこのような反応を示す。
そして勝手に勘違いしておきながら文句を垂れるまでが様式美だ。
「そういうことです。あぁ、俺普通に女の子が好きですのであしからず」
「な、なんてことだ……こんなにかわいいのに、男の娘だったなんて……」
「俺だって好きでこうなったわけじゃないんで。それでは、せっかくお誘いしてくださったけど、この話はなかったということで――」
「……いや、素晴らしい! 君は本当に素晴らしい逸材だよ!」
「……は?」
一颯は素っ頓狂な声をもらしてしまった。
きらきらとした瞳でそう語る彼の
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