第2話

「どーもみんな、最近なかなか忙しくて配信できなかったけど元気してたか? 俺はまぁ、アレだ。うん、色々とあったんだよ」



 パソコンの画面に向かって延々と話しかける。


 傍から見やれば、ひどく怪しい人間にしか見えない構図に違いあるまい。


 人ではなく無機質な画面に笑顔をふっと浮かべて話しかけるのだ。


 常人であればこの光景に異常さを憶える――というのは、もうずっと昔のこと。


 画面越しでのやり取り……俗に言うリモートはもはや珍しいものじゃなくなった。


 特に現在では、動画投稿という文化の人気は爆発的にあがったといっても過言ではあるまい。



『いぶやんマジで久しぶりやん!』

『一カ月ぶりぐらいじゃない? 元気してた?』

『いぶやんの凛々しいお顔……うっ!』



 緩やかにコメントが流れていく。


 これが登録者数100万人とかの人気Vtuberだったらコメントは爆速に流れていくだろうが、生憎と俺……戌守一颯いぬがみいぶきの登録者数はたったの250人と極めて少ない。俗に言う底辺Vtuberというやつだ。


 そもそものきっかけというのは、なんとなく。


 そんな実にあいまいすぎる理由から始めたにすぎない。


 日々の忙しさからなにか面白いことでもないか、とあれこれと模索した結果、行き着いたのがこのVtuber業界である。


 Vtuberの人気は素人目ながらも凄まじいの一言に尽きた。


 ただ単純にゲームや雑談といった内容を配信するスタイルももちろんあるが、企業に入っているVtuberはもはやアイドルとなんらかわらないと言っても過言ではないだろう。


 もっとも、アイドルになろうなどという気は一颯には毛頭ない。


 Vtuberを始めたのはあくまでもほんのちょっとした戯れだ。


 人気になりたいとは一切思っていないし、自分は自分で数少ないながらものんびりとした配信スタイルで楽しめればそれだけで満足なのだ。


 リスナーとのやりとりも、どっちかと言えば気さくに話し合える友人のようなポジションに近しいのやもしれぬ。



「あーみんなありがとうな。とりあえず、しばらくはのんびりと過ごせそうだから、配信できる頻度も増やせそうと思う――まぁ臨時で仕事が入った場合は、俺もどうなるかわからないけどな」



『社畜の鏡で草』

『社畜おつかれさまですwww』

『私のところで永久就職するってのはどう?』

『いぶきゅんはボクのだぞ!!』



「おいおい、コメント欄での喧嘩はご法度だからなぁ」



 250人のリスナーは皆気さくで良い奴らばっかりだ。


 Vtuberによってはコメント欄でのなれ合いを禁止するなど徹底した配信スタイルを敷く輩も多いが、底辺なのでその辺りについては一颯も差して気にしていない。


 だから結果としてがやがやとコメント欄は騒がしくなることが多々あるものの、リスナー同士による仲はとても良好だった。



「ん? みんなちょっとだけ待ってくれるか?」


 コメントを確認することなく、いきなり届いたDMの確認に入った。


 現在の時刻は午後23時すぎと、もうすぐ日付が移り変わろうとしている。


 仕事の関係上どうしても配信時間が夜遅くになってしまうので、こればかりは致し方ない。



「こんな時間にDM? いったいどこの誰からだ?」



 SNSのDM欄は基本誰からでも受けられるよう解放している。


 解放してはいるものの、満足にきた試しは一度としてなかった。


 今回ついに、記念すべき一通目のDMに驚きと期待が隠せず年甲斐にもなく心躍らせてしまう。


 その宛先人を見やり、一颯は「は?」と、素っ頓狂な声をもらしてしまった。



『どうした?』

『応答しろ! いぶきー! いぶきー!!』

『く、くせェ! これは事件の臭いがぷんぷんするぜェ――ッ!!』



 身を案じるコメントばかりがずらりと流れ、しかし現在の一颯にはそれに応えるだけの余裕がこれっぽっちもなかった。



「は? え? いや、嘘だろ? 既にこの配信に来ている・・・・ってことなのか……?」



 一颯はバッとモニターを食い入るように凝視した。


 250人という数は他所と比較すれば確かに少ないだろう。


 それについては否定する気もなく素直に受け入れるが、単純に考えれば250人は決して少ないと言える数じゃない。


 250人の名前と顔を憶えろ、と言われて果たして何人が可能と吸うだろうか……。


 少なくとも一颯は、250人の名前と顔……もといアイコンをすべて記憶していた。


 常連さんはむろん、たまに来るリスナーまで。全員を忘れることなく把握しているからこそ、たった一人だけ。


 はじめて目にするアイコン――名前は、シャチョーというリスナーに瞬時に気付くことができた。



『はじめまして、戌守いぶき様』

『あ、初見さんや』

『初見様いらっしゃいませですー!』

『超久し振りの新規リスナー一名様ご案内!』



 流れるコメントは、みんなこのシャチョーという新規リスナーを快く迎えるものばっかりだ。


 これだけでこの枠にいるリスナーがいかに良心の持ち主であるかが、よくうかがえる。


 本当に一般リスナーだったならば、こちらとしても素直に喜べたものを……。


 今回は相手があまりにも強大すぎる。


 どうして自分なのか。DMに目を通した瞬間から絶え間なく、疑問ばかりがぐるぐると胸中で激しく渦巻いていた。


 とにもかくにも、より詳しく話をシャチョーたる人物が聞く必要がある。



「えっと、みんな本当にごめん! 突然だけど今日の配信はここで終わるな! 次は必ずもっと長めに配信するから、暇だったら気軽に遊びに来てくれ!」



『お、おう……!』

『なんかよくわからないけどおつかれ!』

『お体に気をつけてー!』

『で、次の配信は何時間後?』



 コメントの確認もせず、一カ月ぶりの配信を突如中断。


 そしてDMの送り主――シャチョーにすぐさま連絡を取った。



「おいおい、これは夢なのか? それとも手の込んだいたずらか? どっちにしても笑えないぞマジで……!」



 返信は、ものの一分ほどで返ってきた。



――改めまして、はじめまして戌守いぶき様。


――わたくし、アカウントを確認してもらえればわかると思いますが、ドリームライブプロダクションの社長をしております、段田弾だんだはずむと申します。


――今回は是非、戌守いぶき様に我がプロダクションの一員としてVtuber活動をされないか、そのお誘いのためにDMを送らせていただきました。


――ご興味がございましたら、ご一報いただけますと幸いです。



「……いや、いやいやいやいやいやいやいや! ない、これは絶対にありえないだろ!」



 ドリームライブプロダクションを知らない輩は、この現代日本においていないと断言してもいい。


 それぐらい人気があるバーチャルFortuber事務所の社長から、直々に専属Vtuberとしてのお誘いがきたのだから、これに驚かない方がどうかしている。


 Vtuber活動をする者からすれば、これは正しく千載一遇のチャンスだ。


 憧れていた先輩Vtuberとのコラボなんかも夢じゃない。


 文字通り夢のような生活だが、しかしそこは日本人。おいしい話の裏には必ず痛々しい棘がある。


 ひょっとするとこれは、新手の詐欺なのやもしれぬ。


 もしくは……十中八九ないだろうが、第三者によるアカウント乗っ取りという可能性もなくはない。


 まずは事務所そのものに一報を入れた方がいいか……?



「……とりあえず、明日に連絡するって返信しておくか」



 返信も終わったところで、一颯はベッドへと身を投じた。


 ドリームライブプロダクション……総勢60人とどの事務所よりも多く、また全員が化け物級の人気を誇る。


 普段の配信が面白いのは言うまでもなく、ライブでの歌唱力やダンスはプロ中のプロだ。


 一颯はぼんやりと天井を眺める。


 もう何年も目にした天井だ、無機質な白が視界いっぱいに映るばかりで別段面白くもなんともない。



「……俺がドリプロのVtuberねぇ」



 嬉しくない、わけじゃない。むしろ光栄であるという気持ちの方がずっと何十倍も強い。


 なにせあの大御所Vtuber事務所からのオファーだ。応援しているVtuberもいるだけに期待と不安に胸が異様に高鳴るのは、致し方ないと言えよう。


 ただし、今回社長直々のオファーを受けるつもりは毛頭ない。


 第一に活動方針が根底から違いすぎる。


 お金儲けや有名人になりたい気持ちが更々ない人間が、どうして大企業で活動していけよう。


 仮に入社したとしても長続きしないのは火を見るよりも明らかだし、他のVtuberにも迷惑が被りかねない。


 もっとも、それよりも重要な理由が一颯にはあった。



「俺、男なんだよ。女性ばっかりの事務所に入れるわけないじゃん……」



 一颯は大きな溜息を一つもらした。

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