第16話
「えぐっ……あぐっ。よがっだぁ……」
「おいおいガチ泣きするなよ……」
映画を見て号泣している烏間にハンカチを手渡す。
涙を流す人はそこそこいたが烏間ほどではない。
そんな烏間がガチ泣きした映画の内容を評価をすると、病弱ヒロインという使い古された設定だったが思ったよりも内容は良かった。でも、全体的に泣く程ではなかったと思う。
烏間はというと終盤からずっと泣きっぱなし。
親友があの時の幼馴染みという衝撃の事実、ヒロインの成功率二割の難関手術、そしてハッピーエンドというお涙頂戴コンボを受け続け終始号泣。
烏間に抱えられていたポップコーンは滝のような涙に濡れてしなしなになっていた。
彼女の選んだバター味は多分ほんのりしょっぱい塩味に変わっていただろう。
この事から、長月先生は作品に感情移入しやすいお方だということがわかった。
「す、すみません。もう大丈夫です」
「あまり無理すんなよ? 落ち着いてからでいいからな?」
「いや、これ以上は」
烏間は過呼吸になりながらも気丈そうにハンカチを返す。
本当に大丈夫か?
「は、はい。私にはおかまいなく」
「そうか。ならいいや」
僕はハンカチで涙を拭く烏間を尻目に腕時計を見て時間を確認する。
時刻は十二時半を過ぎたぐらいだ。
そろそろ昼食を食べないと。
「先生、早くしないとお昼御飯の時に席が取れません。行列に巻き込まれますよ」
「わかってますよ助手君。ちゃんとそこも計画してますので慌てないでください」
僕から先生と呼ばれてようやく調子を取り戻した烏間。
鞄から取り出したのは一枚のクーポン券。
「この時間帯の喫茶店ならまだ席が空いていると思います。十パーセント引きなのでお得です」
烏間は微笑ましいドヤ顔で僕にクーポン券を見せる。
明日香やコトハのような人を見下すドヤ顔じゃないから不快指数が少ない。
……だが今握っているものが二千円以上の食事という条件付きのクーポンだということを彼女は知っているのだろうか。
仕方ない、烏間が会計の時に衝撃の事実を知って傷つかないようにギリギリ二千円以上になるものを頼んでやろう。
「で、その喫茶店はどこにあるんだ?」
「確かこのデパートの……二階だったと思います」
***
「結構人が多いですね。ギリギリセーフというやつです」
「ほんと危なかったな。行列に並ぶことになっていたと思うとぞっとする」
早足で移動したのが功を奏したのか、僕たちは何とかカフェの隅の方に座ることができた。
店の外を見れば多くの人が誰かが席を立つのを今か今かと眺めている。
ガラス越しに店内を見つめているのをみると少し申し訳ない気持ちになるな。
「助手君、まずはメニューを見ましょう」
烏間はそう言って店員から渡されたメニューを開く。
僕もメニューを受け取り目を通す。
ふむ、なかなか品揃えがいい。
「烏間、頼むものって小説に合わせた方がいいのか?」
「まあそうですね。『恋めくり』に出てくる
御剣が選びそうなものねぇ。
僕的には御剣は王子様っぽい性格だから、きっと桃子とシェアできるものを選ぶはずだ。
僕は烏間と同じタイミングでこの店の期間限定の品が書いてあるページを捲る。
「……御剣だったらこれ選ぶよな」
「え、ええ。確かに……」
僕が烏間に示したのは明らかにカップルをターゲットにした大きなジョッキのソーダの写真だった。
ハート型で途中で二手に分かれ、お互いの顔を見ながら飲めるストロー付きという親切設計だ。映えを意識した、現代のニーズに沿った商品である。
「……」
「……」
僕たちは暫くお互いの顔色を伺ったあと、同時に頷く。
「助手君! 違う品にしましょう!」
「そうですね先生!」
恋愛経験ゼロの人間がこれを頼むのはハードルが高すぎた。
結果、ソーダの代わりに二人でシェアできる大盛りポテトとコーヒーを頼むことに。
烏間は季節の果物のパフェとカプチーノだ。
ギリギリ二千円は越えた。
僕はミルクで調節した少しほろ苦いコーヒーを啜り、烏間に映画の評価を聞く。
「烏間、映画はどうだった?」
「とっても良かったです! 期待以上でした! 秀人さんはどうでしたか?」
「うん、良かったと思うよ。僕はあの親友と結ばれて欲しかったなぁって」
「そうですよね。原作では親友君と結ばれているんですよ?」
「マジか」
烏間の情報に少し嬉しくなる。
ありがとう作者さん。おめでとう親友君。
「原作は一旦そういう形で終わったんですが一部の原作ファンの人たちが違う展開の方がいいとプチ炎上したみたいで。ですから映画はこのルートにしたみたいですよ。私は自分で情報を遮断してネタバレを防いでいたんですが結末が違うとは聞いていました」
烏間はスプーンで桃を掬いながら説明する。
原作を読んだ人でも楽しめると考えると、この映画は思ったよりも凄い映画だったのかもしれない。
「いや、本当に凄いですよ。原作の趣旨を保ちつつ結末を変えるなんて。小説を書いているからこそ感心します。リスペクトです」
「素人目から見てもかなりの博打だってことは分かるからな。下手なシナリオじゃバッシング間違いなしだろ」
「私も負けていられませんね。あんな素晴らしい話を作れるように頑張っていきたいと思います」
烏間はそう言ってクリームのたっぷり付いたコーンフレークをかき集めて口の中に入れた。
***
「次は本屋さんです」
「何を買うんですか先生」
「構想ノートウェブ版16です」
構想ノートにウェブ版なんてものがあったのか。衝撃の事実だ。
「それと構想ノートスピンオフ版も」
「いつの間にスピンオフも書くことになったのか?」
「い、いえ。もしかしたらという話を担当さんから言われまして。ですから先にある程度ネタを書き出しておこうと」
「さすが先生。心構えが違う」
「そんなこと無いですよ! 恥ずかしいじゃないですか!」
烏間は慌てた様子だが、素直に凄いと思う。
スピンオフが出ると言うことは大ヒットシリーズと世間が認知しているということだ。
長月先生は出版社から売れっ子小説家の太鼓判を押されたと言ってもいい。
「でも、スピンオフって結構難しいと思うんですよ。私、主人公である桃子の視点でしか話を考えたことがなくて。言っちゃえば他のキャラクターの心理なんて考えたことがないんですよ」
「つまりは誰を題材にしたスピンオフを書けばいいか分からないと」
「そんなところです」
「ふーむ」
「秀人さんの悩むことではありませんよ。私の問題ですから」
烏間はそう言いながらノート二冊をかごの中に入れた。
「あとは参考程度に他の作家さんのスピンオフも買いましょう。私はあまり外伝などを買うタイプじゃないんですが」
「意外だな。スピンオフって原作を更に面白くするためのものだろ?本好きの烏間からしたら進んで買うものだと思ってた」
「そうなんですけどね。読んでいて『なんか世界が狭まって嫌だなー』とか『思ってたのと違う』とか感じそうなんですよね」
「結構評価が厳しいな」
「私は本に関しては細かいところにツッコミますよ」
職人気質な先生は「これとこれにしましょうか。有名な方なので設定の辻褄合わせは上手だと思います」とかごの中の本を更に重ねる。
あ、これ知ってる。ドラマ化されたやつだ。
「こんなところですかね。では買いにいってきます」
「いってらっしゃい」
僕はレジに向かう烏間を見届ける。
烏間には失礼だが子供のお使いを見守る親の気分になった。
「セルフレジは……ありませんか……」
烏間はセルフレジがないのを見るとガックリと肩を落とした。
一時オロオロとした烏間は仕方なく有人レジの列に並ぶ。どれだけ人と会話するのが苦手なんだよ。
烏間は自分の番が来ると無言でかごを置き、先に計算したのであろう代金を受け取り皿においた。どうやら最小限の会話で済ませるつもりらしい。
店員は取り皿に出されたお金を受けとると
「ポイントカードはお持ちでしょうか?」
「にゃあっ!?」
店員からの不意打ちに烏間の中の猫が表に飛び出す。
かーわーいーいー。
「い、いえ持ってません」
「お作りできますがいかが致します?」
「結構ですっ」
烏間は店員を急かすように袋を受けとって小走りしながらこちらに帰ってきた。
余程恥ずかしかったのか、肩で息をしている。
「お待たせしました」
「お帰りなさいにゃ、猫先生」
「や、やめてください……」
僕の言葉に先生は顔を覆って赤面する。
揺すれるネタゲットだぜ、使う予定はないけれど。
「私、人見知りをなおしたいです」
「烏間の人見知りは筋金入りだよなぁ。僕と話しているときはそうでもないのに」
「秀人さんと話すときはなぜか自然体でいられるんですよね。なぜでしょう」
「僕に聞かれても」
ツッコミながら答えるが内心ちょっぴり嬉しくなる。
「将来的にはなおしたいんですよね」
「そんなに焦らなくてもいいんじゃないか?無理して話すこともないだろ」
「ですがやはり今後のことを考えると」
烏間は心配そうに下を向いた。ほんにんは人見知りについて真剣に悩んでいるようだ。このままだと重い雰囲気だと調査に付き合いにくいな。
…………そうだ。
ここはひとつ御剣のセリフで元気付けてやろう。たしか四巻あたりでのセリフだ。
僕は爽やかに笑いながらわざとらしく烏間の顔を覗き込む。
そして
「下を向いたってなにも変わらないだろ?背筋を伸ばして前を向いて、烏間の笑顔を見せてくれないか?」
せめて烏間が笑ってくれるようにと誇張して言った。
この作中屈指の名言に長月先生は反応。
「自分で書いてるので言うのもアレですがそのフレーズ、真剣に悩んでいる時に言われるとすごく腹が立ちますね。勉強になります」
「……」
覗き込んだ先に先生の冷たい顔が映る。
僕はこの時、意外と烏間は適当に小説を書いているのではないかと強く思った。
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