26話:柚須かふりと神崎チナの雑談配信  ~休憩~

「次やったら沈める」


 チナ様が椅子に座り俺を見下ろす。

 俺? 俺は土下座。


 うぅ……やっちまった。これ以上なくやっちまった。

 かわいい物を目の前にするとダメだ。理性が働かなくなる。

 

「……よし、顔上げろ」


「は……いっ!」


 顔を上げると眼前にはパンプス、いや、チナ様のつま先があった。

 黒い靴の先っぽがちょんと俺の鼻をつつく。靴の向こう側にスラリと伸びた白い足が見えた。見えたらいけないものが見えそうで視線を靴先に集中させる。


「な、なんですか……先輩」


「どうしようかと思ってな、普通ならその鼻蹴り上げてやるところなんだが」


 親子共々、パワハラの権化かよぉ!


「……思ったより、客の反応がいい」


「へ?」


 首を動かし、机上のモニタを見る。配信のコメント欄が勢いよく流れていた。

 たとえ休憩中でも視聴者のコメントは止まらない。その内容をみると、視聴者同士が先ほどの俺とチナ様のやりとりについて話しているようだ。


 :チナ様かわいかったわ

 :分かる

 :あれ素なの?

 :チナ様の素初めて見たかも

 :照れるチナ様かわいいよぉ

 :かふりちゃんもかわいかった


「なるほどな、恥ずかしがる私……それもアリ、か」


 足を引っ込めると、チナ様は考え込むように手を顎に当てる。


「休憩明けはコレでいくぞ、お前はさっきみたいにかわいいーって言ってりゃいい。いつまでも床にへたり込んでんじゃねぇ」


 チナ様は椅子をくるりと回転させると、モニタに向きなおり小声でブツブツとなにか呟き始めた。

 俺は俺で、椅子に上がりチナ様の隣にあらためて座る。


「クソ後輩、ちょっとコッチ見ろ」


「な、なんでしょうか……?」


 言われるがまま、おそるおそる横を見る。 

 

 そこに、天使がいた。

 くりっとした瞳、困ったようでどこか柔らかい表情、ほんのり染まった頬。

 まるで別人のようにかわいさに極振りしたチナ様がそこにいた。


「も、もー……」


 ……え、何かわいいんだけど。

 かわいいんだけど!!


「どうだ?」


 全く同じ表情のまま、声色だけ戻してチナ様が尋ねる。

 うわぁ、アフレコみたい……。顔と声のアンバランスさで一気に現実に戻される。


「すごい演技力……です」


「ん、お前がそう思うんならそれでいい。それにちょっと違うな、演技じゃねぇ」


 固まった表情筋をほぐすようにチナ様はぱちぱちと顔を叩いた。


「そういう『私』をつくってるだけだよ」


 ……何が違うんだろう。

 そんな気持ちが顔に出てたのか、チナ様は俺の方を向く。


「クソ後輩。お前、自分の事は好きか?」


「……何ですか突然」


「ノーって事だな。あぁ、別に言い返さなくてもいい、別にどっちでもいいしな」


 俺が黙っていると、チナ様は頬杖をついて今度はモニタを見た。

 モニタには相変わらずコメントが流れている。その内容はほとんどがチナ様に関するものだった。


「私は自分が大好きだよ」


 出し抜けにチナ様が言った。その言葉に、自慢や傲慢の響きは無かった。

 当たり前のことを当たり前に表現したみたいに耳にスッと入ってくる。


 ……理解した。この底知れない自信こそがチナ様の原動力なのだ。


「さて、もうすぐ配信再開か、ファンどもにサービスしてやらねぇとな」


「そ、そうですね、私も自分のファンにちゃんとサービスしないと……」


「この配信にお前のファンはいねぇよ」


「いやぁ、ちょっとぐらいはいるかもしれないじゃないですか……」


「いねぇよ、ってか消す」


 ……いま、チナ様消すって言った?


「お前についたファン全部奪う。コラボってそういうもんだろ?」


 不敵に口をゆがめるチナ様は今日一番の笑顔だった。

 

「いいぜ、声マネでも何でもすればな。ただそれは結局真似だろ?お前個人を好きになってるわけじゃない」


 更に、チナ様は机によりかかり、勝ち誇ったような表情を俺に見せつける。


「お前が私に勝てる所なんてひとつもない」


「……なんでそこまでして先輩は、私を」


「お前があの女と一緒にいた」


 言葉を切り、チナ様は机から跳ね起きるようにして、椅子に寄りかかった。


「それだけで、潰す理由としては充分なんだよ」


 今度は鉄仮面みたいに冷たい表情。

 ……一体彼女はいくつの顔を持っているのだろう。

 一つ分の女装で精一杯な俺とは全く違う。

 

 言うだけ言ったチナ様は俺に興味を失ったみたいに、前を向く。

 

 俺も休憩中と表示されている配信画面を眺める。

 黙ってモニタを見ていると、コメント欄に赤い枠のコメントが現れた。


 スパチャだ。

 スパチャ、いわゆるスーパーチャットとは有料で無料の人より目立つコメントを表示することができる機能だ。今回みたいなひたすらなコメントの流れでも配信者の目にとまる時間が長くなるというメリットもある。


 赤い枠のスパチャは高額だ。一万円以上の課金が赤枠になる。通称赤スパ。

 休憩中のそんな唐突な赤スパに注意が向いた。

 

 それを見た時、目を見張った。内容はこうだ。


:かふりちゃんかわいいです。コラボ配信頑張ってー!


 赤スパであること以外は、何の変哲もないコメントだ。


 だけど、驚いたのは内容でも、ましてや金額でもなかった。

 目を引いたのはそのアカウント名。

 俺はその名前をよく覚えていた。昨日、目に焼き付けたばかりの名前。

 忘れるわけがない。


 香椎さんのアカウントだ。


「物好きな奴もいたもんだな」


「……そうですか?」


「あぁ、新人に金使うなら私に使えっての拾ってやるのによ」


「……なるほど」


 上の空で返事をした。

 頭の中では、香椎さんが繰り返し言ってくれた、あの言葉を思い出していた。


 俺は……チナ様みたいな自信なんてきっと一生持てないだろう。

 大好きな趣味でさえ、人前で胸を張れない。できるわけがない。

 それは今までも、これからも同じだと思っていた。

 

 だけど、彼女のあの言葉は、なぜか胸に熱い物を与えてくれていた。

 これが自信なのだろうか。なら。


「……勝てる物ならある」


「あ? 何か言ったか?」

 

「いえ……なんでもないです」


「休憩終わります! 準備は良いですか!」


「問題ない」


「はい、大丈夫です!」


「それじゃ、いきます! 三……二……、……!」


 横目で、チナ様の方を見る。

 ギラギラと光る赤い目がカメラを捉えていた。

 それはかわいいなんて間違っても言えるものじゃなく、一人の闘士の目だった。


 俺は最初から間違えていた。

 上手くやる? 楽しくやる? とんでもねぇ。

 

 今いるのは食うか食われるかの戦場だ。

 オカマが言っていた言葉が頭の中で響く。

 『常在戦場の精神よ』

 畜生、的を射たこと言いやがって!


 休憩が開け、かふりとチナ様が画面に表示される。

 お互いの息を吸う音が聞こえた。


「みんなお待たせー! ちゃんと休憩したかなー?」


「お待たせしましたー!」


 :待ってました!

 :したー!

 :きちゃぁ!

 :大丈夫ですか?

 :休憩前のやりとり面白かったです!


「え、休憩前? なんかあったっけ」


「いや、先輩かわいいーって言ったら、めちゃくちゃ照れてたじゃないですか」


「はぁ!? 照れてないし! やめてよ! もー……」


 :チナ様かわいい!

 :かわ!

 :かわいいです!!

 :照れるチナ様いい!

 :チナ様ぁ!

 かわいい!


 ……はっ! コメントに紛れてしまうところだった……。

 しっかりと口に出して言わないと……。


「え、先輩やっぱりかわいい」


「ちょ、やめてってばー!」


 チナ様の反応にあわせてコメントも盛り上がるのが見て取れた。

 くそぉ、やっぱりすごい。

 変幻自在な彼女には間違いなく敵わない。だけど。


「じゃあ先輩、先輩」


「何、かふりちゃん」


 香椎さんが言ってくれた。

 自分じゃ気づかなかった俺の強み。


 それだけでいい。それだけはチナ様の上をいってみせる。


「私のかわいいところも言ってくださいよ」


 『かわいさ』で、勝つ! 

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