22話:組長とチナ様
なるほど、社長さんか。流石、社長さんは違うわ。ちゃんと俺みたいな木っ端にも挨拶を返してくれるんだもん。それに社長ってことは組長だし、そりゃ格が違……。
組長!?
「昨日の配信見たよ。素晴らしかった」
「き、恐縮です!」
背筋をピンと伸ばして答える。背中に冷や汗が吹き出していた。
怖い、怖すぎる! 組長ってことは……組長だよ!? 肩書きがデカすぎる!
「特に、チナの声真似は良かった。あんな特技があったとは。いやぁ……」
「ありがとうございます!」
あ、でも褒めてくれてる! なんだ良い人じゃん! ビビって損した!
「なぜ黙っていた?」
穏やかな口調。だけど、目が笑ってない。
こええええええええええええ!! チナ様の変貌っぷり、この人の遺伝だよ絶対!
「と、とっておきのサプライズです! 驚いていただけたでしょうか!」
「……驚いたけどねぇ、先に言っててほしいねぇ」
「申し訳ありませんでした!」
「いいんだよ、謝らなくても」
口角を上げて、組長は続ける。
「そんなことされても、やるときはやるからね、私」
もういやだ! 寿命縮む!
愛想笑いも、もはや限界だったその時、組長の後ろの男達がざわめき始めた。
パタパタと駆けてくる足音がそれに続き、金髪の少女が組長の腕に抱きつく。
チナ様、いや
「パパー!」
パパ!?
「チナね、今日の配信もね、メッチャ頑張るから絶対見ててよね!」
猫なで声を出しながら、チナ様は組長の腕を掴んだり離したりしてじゃれつく。
父親の前だとそういうキャラなの!?
すごい……。この子、一体いくつの顔を使い分けているんだろう。ちょっと尊敬してしまう。
「パパはいま大事な話をしてたんだけど……。娘が失礼を」
「えー? だれだれお客様?」
まとわりつくチナ様の金髪をとかしながら、組長は俺に向き直る。
それに合わせて彼女も俺の方を向いた。目が合う。
「う゛!」
どうやら、今はじめて俺に気づいたようだった。キラキラな表情のまま固まった喉から、うなり声が漏れる。やばい。やばいよ。
チナ様の立場で考えるとこれは『さっき散々イキり散らかした相手に親とイチャついてるところを見られた』という状況だ。致命傷にもほどがある。
目が合った以上、見てないなんて誤魔化しは通じない。そんな状況で俺が取れる手は一つ。
「はじめましてお嬢、柚須かふりです」
すっとぼけるしかない!
俺とあなたは初対面です! さっきのことはお互いに無かったことに!
「……こちらこそ、神崎チナです」
硬直した顔のまま、合成音声みたいな声でチナ様が言った。通じた! よし!
そう思ったところで、足の甲に硬い物がめり込んだ感触がした。
「い゛ぃっ゛!」
「……よ・ろ・し・く・ね、かふりさん」
チナ様の言葉にあわせて、硬い物がグリグリと俺の足に食い込む。
いだだだだだだだだだあああああああああああああ!!
「どうした?」
必死に痛みを我慢していると、組長が首をかしげて聞いてきた。訝しげな眼差しは突き刺すようなオーラを放っている。あなたの娘さんが俺の足を踏んでます! と言いたい! でも言ったら何故そんなことを? みたいな話になるに決まってる! それだけは断固防がねば!
だって、一番知られたくない人に恥ずかしいことがバレるなんて死んだ方がマシじゃんか!!
「いえ! なんでもないです!」
「……なるほど。では、また後で」
強面の男達を引き連れて、組長は最前列までゆっくり歩いていく。チナ様もそれに続く。すれ違う時、わずかに俺の方を見た気がした。
気づくと、先に来ていた人達はみな席を立ち、練り歩く組長達に頭を下げていた。
入り口は組長達が通った後に閉じられて、扉の前にはガードマンのような男が立っている。もうすぐ会合が始まるようだ。
俺は急いで香椎さん達が座る最後方の席に走る。
「いやぁ、いい見世物だったわ」
三つあるうちの右端の席につくと、左端の席から笑いをかみ殺したようなようすのヒソヒソ声でオカマが言った。このオカマ……。絶対面白がってたな……。
「いよいよバレたら死ぬわね、アンタ」
他人ごとのように愉快な顔をしたオカマを見て、ふと思った。
「……もしかしてこうなること分かってた?」
「何言ってんの人聞き悪いわね」
「あ、ごめんなさい……」
さすがにそんなわけ……。
「分かってたに決まってんでしょ」
「おいこら」
「オッサン、いい加減にして。もう始まるよ」
俺の隣、真ん中の席に座る香椎さんがオカマをたしなめた。
確かに前の方では組長とチナ様が壇上に上がり何かの準備を始めている。
「……香椎さんも俺が組長に会うって分かってたの?」
「うん。だって組長さんはいつも最後に来るし。……千早さんも」
「なら少しぐらい、言ってくれても……」
「大丈夫だよ」
「え?」
「だって私、すわんなら組長さんだろうが誰だろうが気づかれずに応対できるって信じてたから」
え……やだ……香椎さんの俺(すわん)に対する評価が青天井すぎない……?
俺の配信ってひょっとして催眠効果かなんかあるの? 素直に怖いんだけど。
「オッサンだったら絶対バレてたし」
「聞こえてるわよ」
「確かに」
「ちょっと」
でも多分、オカマが外の人を演じた場合は他の手段を用意していたのだろう。
なにせ最初の予定だと……あれ?
「最初は、香椎さんが中の人で紫さんが外の人だったんだよね」
「うん? そうだけど……」
「……なんで分担したの? どっちも同じ人がやれば良かったと思うんだけど」
「あー……それは」
「最初はアタシが両方やるつもりだったのに、この子が配信やりたいって言って聞かなかったのよ」
「ちょっとオッサン」
横から口を出してきたオカマを、香椎さんが向こうに手で押しのける。
……なんだか納得できるなぁ。
「ダメだって何度も言ってるのにガキみたいに駄々こねてたわよね」
「ちょっとマジで止めて」
あの部屋の床に寝転がって幼稚園児みたいにおねだりする香椎さんが頭に浮かぶ。
……いや、それは少し意外だ。そんなに食い下がるなんて。
「なんでそんなに……?」
「ぅ……だって……」
そこまで言って、香椎さんは口を閉じてしまう。
えっ、気になる! 聞きたい! 好奇心が心の奥から湧き上がる。
いや待てここは引くべき! ここに来る前といい、さっきチナ様に踏み込みすぎたことといい、調子に乗ると痛い目見るのを忘れたのか俺!
「あ、言いたくないんだったら……」
「私も、すわんちゃんみたいになりたかったし……」
か細い声が俺の耳に届くまでのわずかな間で、香椎さんは今日一番の真っ赤な顔になっていた。
戸惑ってしまうぐらい真っ直ぐな好意を、どう返せばいいのかわからなかった。
愛想笑いも「ありがとう」という言葉も陳腐になりそうで、俺はただ黙って、耳が熱くなるのを感じていた。
「……それに私は」
「マイクテスト、マイクテスト……大丈夫です。おやっさん」
耳をつんざくようなキーンという音とともに、男の声が響いた。
前を見るとスーツの強面が組長にマイクを恭しく手渡していた。
マイクを手に持った組長がホワイトボードの前に仁王立ちする。
一見すると紳士のような佇まい。だが怒気をはらんだ雰囲気が部屋中を緊張させた。一番遠い席に座っているのに、いまにも真後ろから刺されるような気分がする。
「……はじめるぞおめぇらぁ!!」
「「「おお!!」」」
組長の声とともに部屋中から怒号ともいえる声が飛ぶ。思わず耳をふさぎそうになった。
「これからは!」
「「「Vtuberの時代だああああああああああああああああああ!!!」」」
男も女もみな声を張り上げ、組長の声に答える。自分が一番だとでも言うように、目を見開き、口を開け、精一杯に声をだしていた。
「……だー!」
……すごいノリだ。
そんなちょっと引いてしまうようなノリも最初だけでそれからの会合は穏やかに過ぎていった。
各Vtuberの配信状況、登録者数の推移、今後のコラボ企画について、SNSにおける荒らしの対処状況などなど事務的な連絡や、各自配信内容の反省点や次の配信予定の報告などが行われていった。……なんというか思ったより普通だ。健全といってもいい。ヤクザであるということを除けばだけど。
「……では最後に、おやっさんから一言お願いします」
司会を務めていたスーツ姿の女性が出てきた組長にマイクを渡す。
やっと終わりか……。最初はどうなることかと思ったけど、何だ全然大したことないじゃん。あとはオッサン達の部屋にもどって次の配信の作戦でも……。
「……柚須かふり!」
……え!?
「はいっ!!」
椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がり、直立不動で前を見る。
組長が熱い視線を俺に向けていた。
「……前に来なさい」
「はい!!」
血液が通っていないみたいにガチガチの手足を動かして、一歩を踏み出す。
香椎さん達の顔をうかがうと二人とも目を丸くしていた。どうやらこれは予想外の事態らしい。……まさか、バレた!? 今ならまだ逃げ……。
「早く来なさい」
られねぇ! ってか入り口にいる男のせいで部屋から出られない!
こうなったらバレてないことを祈るしかない……。
一歩、一歩を踏みしめて、俺は組長が待つ最前へと歩く。長机の間の通路は、まるで処刑台への道みたいに、遠く、重い。机を一つ通り過ぎるたび、俺を見る人達の物珍しそうな顔が見えた。
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