21話:くじごじ会合

 絞り出すような香椎さんの声は聞こえづらくて、響きを何度もリピートしてしまった。


 ち……な……ちゃん、ちな……ちゃん、ちなちゃん。

 チナちゃん?


 思わず、隣にいる女の子を見てみる。……うわっ!


 豹変とはまさにこのこと。

 彼女の顔は、サバンナで獲物を狙う肉食動物みたいに険しくなっていた。

 鋭い眼光、限界まで眉間によった皺、口は憎悪にゆがんでいる。怖い!


「てめぇ……その呼び方はやめろって言ってるだろうが」


 口調まで変わっている。同一人物とは思えない。


「……ごめんなさい、千早さん」


 香椎さんが神妙な顔で頭を下げた。……どういう関係なんだろう。


「……おい、そこのお前」


「え? あ、は、はい!!」


 お前!? 誰!? 俺だわ!!


「この女のツレか?」


「は、はい!!」


「チッ!!」


 今まで聞いたことが無いぐらい盛大な舌打ちをされてしまった……。女の子の舌打ちってめちゃくちゃ怖くない? 俺だけ?


「お前、名前は?」


「え、えーと……」


 言いよどみ、助けを求めるように香椎さんを見る。すると彼女は鯉みたいにパクパクと口を動かしていた。え、なに……? 口の動きが『あ、う、い』と読める。……ピンときた!


「……か、かふりです! 柚須かふり!」


「……ふーん、そうか、お前が」


 少女はこちらに寄ってきて、俺を見上げる。天使みたいだったさっきの笑顔はすっかり消えていた。今、目の前にあるのは外敵を見るときの嫌悪の表情。少女は、ひとしきり俺を観察するように見ると、俺の腹のあたりをなで始めた。

 

 え、何を――!


「うぇ……!」


 みぞおちに鈍い衝撃が伝わった。重い痛みが腹の中に残り、たまらず膝をつく。


「先輩の顔ぐらい覚えとけよ、クソ後輩」


「……! か、かふりさ……!」


「近寄んじゃねぇ、ブン屋、てめぇこそ……次は気ぃつけろよ」


「……はい」


「……ふん」


 刺すような痛みに耐えている間、香椎さん達の会話と少女がビルの中に消えていく足音を俺は黙って聞いていた。

 

「……かふりさん、大丈夫!?」


 少女がいなくなったことを確認したのか、香椎さんが俺に駆け寄ってくる。


「あ、あぁ……大丈夫……香椎さん、あの子は……?」


「……千早ちはや紗奈さな………さん。『くじごじ』を立ち上げた今の組長の娘さん。みんなお嬢って呼んでる」


「お嬢……」


 組長の娘……。つまり、今の俺の立場からすると雲の上の存在。神様だ。

 いってぇ……! だけどいくら神様って言ったって腹パンされるほどのいわれはな…………いや、あったわ。女装して気持ち悪い顔で話しかけてたわ。


 え、流石に女装ってバレてないよね? 多分バレてたら腹パンどころじゃないし。……あぶねぇー!! 腹パンで済んで良かった!! ありがとうございます神様!!


「ありがとうございます……!!」


「かふりさん!?」


「あ、いや! 香椎さんあの時助けてくれてありがとうございますって意味で!」


「そ、そうなんだ、良かった、伝わって」


 あぶないあぶない……。まるで俺が殴られたことに喜ぶ変態と思われるところだった……。しかし、彼女が先輩か……ちゃんと顔覚えておかないと……先輩?  

 

「あの、俺のこと後輩って言ってたけど、もしかして」 


「……彼女も『くじごじ』に所属してるVtuber。名前は、神崎チナ」


「……は?」


 ――――


「チナに会ったのね、運が良いんだか悪いんだか……」

 

 無機質な廊下を歩きながら、オカマが肩をすくめた。

 俺と香椎さんはその後を早歩きでついて行く。


「オッサンが早く駐車場探せてれば、かふりさんが殴られる事なんてなかったんだよ。反省して」


「仕方ないでしょ、電話が入ったんだから。本業おろそかにしちゃいけないわよ。というか……むしろ外で会えて顔覚えられてラッキーだったわね」


「え、それはどういう……?」 歩きながら、俺はオカマに言った。殴られたところはすっかり痛みが引いていて、普通に歩ける程度には回復している。


「……事務所の中で組長の娘になめた口きいたらどうなるかぐらい、アンタ想像できるでしょ?」


 ……死。

 昨日からちょっと選択肢間違えたら死ぬのなんなん? 爆弾処理か?


「ところでかふりさん……さっき千早さんと何話してたの?」


 うわぁ、新たな爆弾が! 

 

「……えーと」


 彼女がなんかわグッズ持ってたから思わず下心丸出しで話しかけたんだよねー俺、女装してるからかわいい子に声かけてもセーフかなーって。……とは言えない。


「せ、世間話をちょっとかな、お互い待ち合わせしてるんだねーみたいな」


「……そっか」


 香椎さんはそう言って、前を向く。その横顔はどこか憂いを帯びているようにも見えた。

 

 彼女と何があったの? なんて聞けなかった。


 あんなにかわいい笑顔を振りまいていた少女が様変わりするような、何か

 奔放で自由な香椎さんがあんなに怯えきるような、何か。


 その何かを今聞くのはなんていうか、オカマが俺に『なんで女装したの』と聞いたのと同じぐらい踏み込んじゃいけないような。そんな話題な気がした。


 俺と香椎さんは互いに沈黙を保ったまま、廊下を歩き続ける。

 三人分の足音が静かに響く。やがて、それが止まった。


「着いたわよ」


 そう言うとオカマは両開きのドアをゆっくり開けた。


 学校の教室をそのまま何倍にも拡大したような部屋だった。長机と椅子が等間隔に並び、奥にはホワイトボードが備え付けられている。刑事ドラマとかで大勢の刑事が集まる会議室みたいだが、中は無人だ。


「……だれもいないけど本当にここで?」


「アンタは新人でしょ、だから誰よりも先にくるのがまず最低条件よ、余所がどうかは知らないけど『くじごじ』はそういうの大事にするのよ」


 あー……体育会系……俺がすごい苦手なやつ……。


「嫌そうな顔はこれから先、禁止。何をされても、何を言われても笑顔でいなさい。配信やってるアンタならそれぐらいできるでしょ」


 簡単に言ってくれるなぁ。多分できるけど。

 女装配信では、心ないコメントやセクハラコメントも沢山くる。そんなのにいちいち反応していたらやってられないのは事実だ。


「挨拶回りがまずは大事ね、今日はとりあえず来る人に挨拶しまくればいいわ、あとちゃんと挨拶した人の顔は覚えておくこと」


 あー……人の顔を覚える……俺がすごい苦手なやつ……。


 げんなりしてると、入り口の向こうから賑やかな声が聞こえてきた。


「来たわね、じゃあ私達は端の方に座ってるから何かあったら言って」 


「は!? ちょ、心の準備が」


「よろしくー」


「え、えぇと……頑張れーかふりさん」


 香椎さんも離れていく!? え、マジ!? 俺オンリー!?


 遠ざかっていく二人の背中と、どんどん声が大きくなってくる入り口とを交互に見る。……えーい! なんとかなれ!!


 勢いよく開いたドアに駆け寄り俺は精一杯声を出す。


「こ、こんにちは! 新人の『柚須かふり』です!!」


 それからはペコペコしっぱなしの時間だった。

 

 サブスク音楽サービスがバグった時みたいに何度も何度も頭を下げては同じフレーズを繰り返す俺。部屋に入ってくる相手は様々だった。


 スーツを来た強面の男性、キャバクラからそのまま来たような煌びやかな服を着た美女、ブランド物に身を固めたどこかの社長らしき男。


 挨拶は八割がた無視されたが、中には好意的に返事をしてくれる人もいた。「配信見たよー」というありがたいコメントをくれる人もいた。そういう人の顔は覚えておこうと思った。めちゃくちゃボディタッチ多かったけど。


 色んな人が来たが、みんな正装というかそれなりの身嗜みをしてるという共通点があった。まるでパーティに出席するみたいに小綺麗な格好だ。


 そんな人達に挨拶してると、なんだか自分の格好が恥ずかしくなる。

 オカマの野郎……なんで何も言わなかったんだよ……!


 だけど……それ以上に気になったことがあった。


 Tシャツ姿の香椎さん。明らかに彼女の格好は場違いだった。

 そして、それを誰も気にしてなかった。

 まるで香椎さんがこの場にいないように、皆、彼女の座る席から視線を外しているように見えた。


 香椎さんの方をぼーっと見ていたせいで、俺は入り口の扉が開いたことに気がつかなかった。


「おや……」


 やっべ! 遅れた!

 反射的に、振り返りそのまま頭をさげて声を張る。


「こんにちは! 新人の『柚須かふり』です!!」


「あぁ……! 君が……」


 その人は、弾んだ声で挨拶に反応してくれた。

 好意的な人だ! ちゃんと顔を覚えておかなきゃ……!

 

 顔を上げると、五十代ぐらいのスーツ姿のおじさんが目の前にいた。

 眼差しがすごく暖かくて、学校に一人はいる生徒皆から好かれる先生みたいだ。

 額に目立つ大きな傷がなければの話だけど。


 そのオジサンの後ろにはズラリと強面の男性が大名行列みたいに並んでいる。みんな俺のことをじろじろみていた。

 

 ……え? この人……何? 


「初めまして、かふりさん。『くじごじ』社長の千早ちはや なだです」

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