19話:初めて女装をした日


「女装でヤクザの会合に出るなんてアンタが初めてかもね」


 童話の意地悪ばあさんみたいにケラケラとオカマが笑う。

 お前だって女装してるだろ!!

 という言葉が舌の先、一ミリのところまで出かかるが何とか飲み込んだ。俺偉い。


「オッサンだって女装してるじゃん」


 香椎さん、そんなあっさり……。俺の努力は……。


「これは仕事着だからノーカンよ」


「普段からその格好じゃん」


「常在戦場の精神よ」


 戦場で女装するな。……それにしても、どこからこんなに持ってきたんだろう。

 オカマが持ってきた段ボールの中身は全て衣服だった。しかも女物オンリー。

 

 ジャンルは多用で部屋着にもできそうなラフなものから、フォーマルなドレスまでなんでもある。和服もあった。誰が着付けるんだ。


 オカマの説明によるとこれから『くじごじ』の定期会合が開かれ、それに『柚須かふり』が出る必要があるという。


 要するに。


「『柚須かふり』のガワだけじゃくて、中の人まで俺が演じろってことか」


「そうね、最初はアタシがやる予定だったけど……アンタがやる方が都合が良いわ」


 えぇ……。オカマがあの時『貴山はる』のコスプレをしてたのはそういうことだったんだろうか。俺が成り代わってよかった……。


「はい、これが『古賀』のプロフィール。それ見て、最適なコーデをしなさい。ウィッグが必要ならアタシのを貸したげるわ」


 手渡された書類の束に目を落とす。顔写真こそないもの履歴書みたいな形式でズラリと文字が並んでいた。律儀に読んでいると眠ってしまいそうだ。


「写真とかあればそれがいちばんいいんだけど」


「却下よ。逃げたあいつの顔を知る人間は少ないほどいいわ。ブン屋の立場からいわせてもらうとね、情報は知ってるよりも知らない方が強いこともあるのよ」

 

 それはそうか。

 でも……これはこれで……やりがいがある。いつもはその時その時で適当にコーデをしていた。だけど今回はテーマがある。俺の長年の女装魂が燃えさかる。


「着替えはアタシの部屋使いなさい……で、綾」


「え、何!?」


 さっきからずっとそわそわしている香椎さんは声を突然声をかけられて驚いたのかピョンと身体を浮かせて答えた。

 

「アンタそうやってコイツが出てくるまでずっと出待ちするつもり? 今日の分の仕事残ってるでしょ。さっさとやりなさい」


 やれやれと肩を落とすオカマは、宿題をやっていない子供を叱るオカンみたいだ。


「え゛!? 待ってオッサン、会合行ってからでも!」


「待たないわ。一時間で終わらせなさい」


「げぇ! 鬼! 悪魔! 加齢臭!」


 この世の終わりみたいな顔で香椎さんが言いすがる。


「何とでも言いなさい。……というわけでアンタも一時間よ」


 オカマの矛先が俺にもまわってくる。短い。だけど、無理じゃない。


「分かった」


 段ボールを漁り、よさげな服をいくつか見繕って一つにまとめる。

 『オッサン』と書かれたプレートが下がったドアを開けようとしたところで、オカマが声をかけてきた。


「……そういえば、アンタに一つ聞きたいことがあったのよね」


「は?」 


 あれだけ個人情報知ってるのにこれ以上なにを?


「アンタ、なんで女装始めたの」


 ――――――


 オカマの部屋の鏡台は大きく、おかげでメイクがしやすかった。

 ファンデを丹念に肌に馴染ませながら、ついさっきオカマに言われていたことを考える。


『なんで女装始めたの』


 何となく聞いたのかもしれない。だけどその言葉は俺の中心――心臓よりも重要で、そして遙かに柔らかい部分に深々と突き刺さっていた。


「……なんでだっけなぁ」


 小さい頃から可愛い物が好きだった。


 幼稚園の頃、引っ込み思案だった俺はずっと露子にくっついて女の子の遊びをしていた。親や周りの大人はそれを見て「可愛いわねぇ」とか何とか言っていた。遊ぶ女の子はみんな可愛い物が好きで、俺も好きだったから楽しかった。それで良いと思ってた。


 だけど、小学校に上がって男子の友達ができて、やっと気づいた。

 男の子はカッコイイ物が好きであるべき。という当たり前の常識。


 もちろんカッコイイ物だって俺は好きだ。

 けれどもそれ以上に、可愛い物に心を奪われてしまう。


 少しずつ、周囲と好きな物がズレていくあの感覚。

 自分だけ行き先が違うバスに乗っていたような、どうしようもなさ。


 だから、気づくと俺はまた露子としか遊ばなくなっていた。


 ある日、露子の家に遊びに行った俺は当時彼女がハマっていた『着せ替え遊び』のお人形役になった。


 露子と背格好も同じぐらいだった俺は、彼女の服がぴったり合った。

 最初はTシャツ、次に髪型、アクセサリー。そして、最後はスカート。


 流石にスカートに抵抗はあったが、押しの強い露子に根負けし、俺はスカートを履いた。そして、全身を露子にコーディネートされた俺は、鏡の前に立った。


「つる、かわいいー!」


 その時の気持ちは今でも思い出せる。

 可愛い物に全身が包まれた、ふわふわでわくわくの心地。

 女の子ってずるいって本気で思って、俺はわんわん泣いてしまった。


「えぇっ! つるどうしたの!? やっぱ嫌だった!? ごめん……ごめん……!」


 そのあと、帰ってきた露子のお母さんに『着せ替え遊び』の件がばれ、露子は大目玉を食らっていた。それから『着せ替え遊び』は禁止になった。


 だけど、俺の中に灯ってしまった小さな火はそれからもずっとくすぶり続けていた。 


 小学四年になったとき、俺は人生最大の勇気を出した。


 生まれて初めて自分で買った服は、女の子の服だった。 


 両親は仕事の都合で家にいないことが多かったから、ネット通販で服を買うのは簡単だった。


 包装を解く間、心臓が飛び出てきそうなほど激しく脈打って、身体がガクガクと震えてしまった。


 言うことを聞かない手足を何とか動かし着替えて、鏡の前に一人で立ったとき。

 やっぱり俺は泣いてしまった。


 どうして自分は男の子なんだろう。

 女の子になりたいわけじゃない。男の子が好きなわけでもない。

 そんなんじゃない。

 

 俺はただ可愛い物が大好きなだけなのに。それだけなのに。

 

 それからもネット通販で、服を買い続けてはクローゼットの奥にしまい込んだ。

 洗濯は親がいないときにこっそりした。


 そして、中学生でスマホを買って貰って、女装配信というジャンルがあることを知った俺は女装配信を始めた。アカウント名は『すわん』。


「……よし」


 服も合わせて、化粧も済ませた俺は鏡の前で一人、自分の姿を確かめる。


 毎日持ち歩いているロングヘアーのウィッグ、メイクはいつもよりしっかりと、服は高級感のある黒いワンピース、その上にベージュのトレンチコートを羽織る。


 いつもの女装はどちらかというとガーリーなコーデだが。『古賀』のプロフィールを見る限りだと、彼女は大人っぽく上品な服を好みそうだったのでこんな感じの着こなしにしてみた。


 声も調節して、いつもの『すわん』の声とは少し違うキーにする。


 そして、鏡の前に立つ俺は、俺ではない別の誰かになる。準備完了。行くか。

 椅子から立ち上がり、ドアに向かう。


 そこで、いつものアレが来た。


 突如、足から力が抜け、頭がふらつく。重心のバランスが崩れた俺の身体はそのまま床に倒れ込んだ。間髪入れずに喉の奥からこみ上げてくるものを必死に手で押さえる。


「……きもちわりぃ」


 ――――――


「……さっきは変なこと聞いて悪かったわね」


 部屋を出るなり、オカマが申し訳なさそうな顔で頭を下げてきた。

 何この丁寧な対応……。俺の股間に銃を突きつけてきた奴とは思えないんだが。


「いや、いいけど、なんで……」


「……アタシが気づかないぐらいよくできた女装だったからよ。だから、まぁ? 今後の参考に? ちょっと気になっただけよ」


 恥ずかしそうに首を掻いて、オカマはプイとそっぽを向く。

 やだ、ちょっとかわいい。 

 なんだか、オカマとちょっと仲良くなれた気がした。


「そういうオ……そっちは?」


「アタシはこの仕事始めたときに『男より女の方が情報集めやすいじゃん!』って思ったから始めただけよ」


 ビックリするぐらい浅い理由だった。俺のモノローグはなんだったのか。温度差。

 でもまぁ……そうか……そういう人もいるのか……。


 女装配信界隈で、女装を始めたきっかけを配信で話す人は少なくない。

 というか、聞かれる。俺は言わないけど。

 

 理由はみんな様々だ。ストレス解消だったりそういう趣味の人にモテたかったり。

 俺みたいに幼少期に目覚めたタイプは意外と少数派だ。


 香椎さんは……どうして男装を始めたんだろう。

 ……そういえば、彼女の姿が見えない。


「香椎さんは?」


「まだ出てきてないわ。そろそろ終わるんじゃ……あ、やば。そういえば、アンタが先に終わったら連絡してって言われてたんだったわ」


「連絡?」


 聞き返したところで、隣の部屋のドアがゆっくりと開いて香椎さんがのっそりと出てきた。


「終わったよーオッサン」


「なんでも、心の準備をしないと死ぬからって」


 オカマが言い切った瞬間、香椎さんと俺の目が合った。


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