18話:背後でシャワーを浴びる少女VS絶対に振り向いてはいけない男

「私の所に電話がきたのよ」


 オカマの話を聞き漏らさないよう、全神経を耳に集中する。


「うわ……下着までびしょ濡れ……」


 後ろで服を脱いでいる香椎さんの声や衣擦れの音も、もれなく聞こえてくる。

 

 香椎さん! 俺いるから! 青少年がいるから!!

 くそ! 目の前にいるオカマに集中するんだ俺! 消えろ煩悩!

 

 集中しないとオカマが持ってるエアガンが火を噴いて大変なことになる!

 主に俺の下半身がだけど! 


 決して香椎さんが服を一枚一枚、ゆっくり脱いでいく姿を妄想したりなんて……!


「ちょっと、下着脱ぎ散らかすなっていつも言ってるでしょうが!」


「はーい」


 下着!? もうそこまで!?


「もう一発撃つわよ」


「な、なななななにも考えてません!」


「……まぁいいわ。……そいつは、私の知り合いだったわ、名前は……そうね『古賀』とでもしておこうかしら」


 オカマは懐かしそうな目で語り始めた。ただし机の下に伸びる腕は微動だにしていない。いつでもお前のタマを取れる。その腕はそう物語っていた。

 

 身の危険を感じ、否応なしに頭が切り替わる。そのうち、オカマの言葉が頭にするすると入ってくるようになった。人間ってすげぇー。


「話は単刀直入だったわ『匿ってくれ』だったかしら。意味が分からなかったわよね、私はブン屋よ」


「その前に……ブン屋……情報屋って?」


「……そういえばウチの稼業についての話がまだだったわね、その名の通り情報を売ることを生業にしてる稼業よ。取り扱ってる物は個人情報はもちろん、ご近所の悪い噂や企業の恐喝ネタまで、なんでもござれ。いわゆる裏稼業ってやつね。この街にはそういう稼業の人間がたくさんいるわ」


 小説とかドラマでしか聞いたことのない話だ。そもそもそんなのが本当にあるのか疑わしい。


「……証拠は?」


「……綾」


「え?」

 机がギシリと揺れ、香椎さんが大きく息を吸う音が聞こえた。

 彼女の白い手が、視界の片隅に見えた。


「和白弦。十五歳。誕生日十月二日。血液型はB型。趣味はかわいい物集めと女装、そして毎日の女装配信。家族構成は父、母の三人家族。近所に住む小森江露子ちゃんが幼馴染みかつ親友。好きな色は白。好きな食べ物はチョコレートケーキ。身長は一七○、体重は六○キロ。スリーサイズは……」


「待って待って待ってください!」


 視線を前に固定したまま、大声で香椎さんの言葉を止める。全て合っている。

 スリーサイズを測ったことはないがマジの数字を出されそうだった。

 

「なんならアンタの幼馴染みの情報でもよかったんだけど、あの子のスリーサイズとか、結構いいサイズしてるわよ」


「それは別に良いです」

 心の底から思ったことをそのまま言う。


「オッサンのセクハラさいてー」     


「ぐ……ま、これで分かったでしょ、私達にかかれば大抵のことは分かるのよ。そして、綾はさっさと風呂に入りなさい」


「あ、そうだった。オッサン、バスタオルどこ?」


「あーそういえば干しっぱなしだったわね」


「ベランダ? 取ってくるねー」


 素足が床に貼り付く足音を残して、香椎さんの声が遠ざかる。

 ガチャリとドアを開く音がした。


「ちょっと待ちなさい。ってか半裸で動き回るの止めなさいって!」


 半裸!? 

 いまさっき俺の隣にいた香椎さん半裸!?


 反射的に動こうとする首の筋肉を肩と頭で挟み込むようにしてなんとか抑える。

 オカマの目がこちらを向いた。ひぃっ!


「ったく……どうしてあんなふうに育ったんだか……ちょっと前まではかわいかったのに……そもそも、男がいるんだから少しは警戒しなさいっての……話がそれたわね」


 疲れたようにオカマがため息をつく。奔放な香椎さんに振り回される普段の姿が目に浮かぶようだった。なんだか親近感が湧いてくる。


「……要するに、香椎さん達はヤクザの手先ってことか……」


「全然違うわよ」


 あからさまに嫌そうな顔をしてオカマが言った。

 

「あいつらとはまた別。あっちが総合商社なら私達は商品を作る職人ってとこかしら。でも、上下関係があるってわけじゃないわ。もともとあたし達みたいな仕事には、ヤクザなんて関係なく昔からの馴染み客がついてるもんよ、あいつらヤクザは素人と私達を仲介したり、商品を客として欲しがったりするだけ。関係としては対等よ」


 確かに、さっきのヤクザとの会話でもそんなことを話していた。


「……まぁウチの稼業についてはこれぐらいにして、話を戻すわ。電話をかけてきた『古賀』ってやつは個人でVtuberをやっていたわ、名前は『貴山はる』」


「……え?」


 昨日、露子から見せられたあのVtuberの名前。

 目が痛くなるような鋭く青い髪。それを思い出す。


 それからのオカマの話を要約すると、ヤクザの男と話していた内容とおおよそ同じだった。


 個人Vtuber『貴山はる』を演じていた『古賀』はヤクザに借金があったこと。

 借金返済の代わりとして『くじごじ』の新人Vtuber『柚須かふり』として売り出すことになったこと。

 個人Vから事務所所属のVになることを拒んだ『古賀』はヤクザから逃げるため旧知であるオカマ達、ブン屋を頼り、裏稼業の人間の手を借りて逃げる手伝いをして欲しいと依頼したこと。

 そして、その逃走の手伝いの現場にたまたま俺が居合わせたこと。


「……これが、アンタが昨晩見たことよ」

 

 シャワーの音がやけに小さく聞こえる。

 話している間に、ベランダから戻った香椎さんはそのまま風呂に入っていた。 

 彼女がシャワーを浴びている間、俺は無言でオカマの話に集中していた。


「……分からないところがあるんだけど」

 

 ずっと閉じきっていた口を開く。

 意図してなのかどうか分からないが、オカマはいくつか話していないことがある。

 まず……。


「なんで、ヤクザの借金が『くじごじ』の新人Vにつながる?」


「なんでもなにも『くじごじ』はヤクザのフロント企業よ」


 ……さっきのヤクザの発言から推測はできていた。だけど、こうもあっさり言われるとは。


「最近はね、ヤクザも暴対法ってのがあって厳しいのよ。だから一発逆転ホームランを狙った今の組長がVtuber事務所を立ち上げたの。それが『くじごじ』。昔から、芸能界ともつながりがある業界だから、コネだけはあったらしいけど……まさかこんなに大きくなるなんてアタシ達、裏稼業の人間もビックリよ」


「じゃ、じゃあ……」

 

 俺は知っている『くじごじ』所属Vtuberの名前を男女問わず何人か挙げてみた。

 勿論、チナ様の名前も。


「あぁ、そいつら全員組員かその関係者ね」


 うおぉ……。

 煌びやかなアバターの向こうで、厳つい男達が演技している姿が思い浮かぶ。

 露子に言ったら失神しそうだ。いや……むしろ喜ぶか? アイツ、推しならなんでも肯定しそうだし……。


「……なんか変な想像してるみたいだけど、『くじごじ』は『古賀』みたいに借金があったり、トラブルがあったりして表の世界を追われた奴がほとんどよ。それを『くじごじ』が身内や組員として拾ってるの」

 

 あぁ、なるほど。ヤクザ達はあくまで裏方ってことか。

 腑に落ちた俺は、次の、そして一番の疑問をオカマにぶつける。


「でも……逃げるだけなら、香椎さんが『柚須かふり』に成りすます必要なんてないんじゃ」


「……『くじごじ』には、大事なルールがあるのよ」


 オカマは口をつぐみ、煙草を咥えるように自分の指を口に当てた。

 しばし、沈黙をくゆらせ、俺のことを見る。品定めをするような視線。

 俺も無言でそれに応える。


 やがて、オカマが再び口を開いた。


「『登録者五十万人を超えた所属Vには可能な限りの願いを叶える』ってルール。アタシの目的は、それよ。どんな願いなのかは……アンタに言う必要はないって分かるわよね」


「……なんでこの話を俺に」


「察しが悪いわね。ここまで首突っ込んだ以上、アンタも同罪ってことよ。だからせめてもの情けとして、最低限の事情を話してあげたんじゃないの。それともまさかアンタ……今から逃げようなんて考えてんじゃないわよね」


「そんなこと……」

 

「別に逃げたきゃ逃げてもいいのよ。でも、こっちの稼業のこと、忘れないでよね」


 ストレートな脅迫だ。確かに俺が逃げたら、両親や露子に危害が及ぶだろう。

 でも……。


「……俺に手を出したら、香椎さんが悲しむんじゃないの」


「舐めないで」

 

 苦し紛れに放った言葉にオカマがぴしゃりと言い返す。

 今までとトーンが違うその声に、はっとして顔を上げた。


「そんなの、アタシはとっくに覚悟してるわ」


 にらむでも、軽蔑するでもない、真っ直ぐな黒い目。

 その目はどこか、香椎さんと似ていた。


 お互いに、何かを見通すように瞳孔を覗き込む。

 オカマの覚悟のようなものが、俺を惹きつけていた。

 無音の部屋で、俺たちは目の奥の何かだけでやりとりを試みようとしていた。


 ……ん? 無音?


 違和感に気づいたところで、後ろからガチャリ、とドアが開く音がした。

 水たまりを叩くような音とともに、ほわっとした温かい気配がズムズムと近づいてくる。


「あー、気持ちよかったー」


「……あ」


「え?」


 オカマの目の動きに合わせて思わず視線がそれた。

 しっとりと濡れた黒い髪が俺の視界に入ってくる。

 華奢な身体に白いバスタオルが巻かれ、なだらかな肩から湯気が立ち上っていた。

  

 そして、ひときわ存在感のある膨らみがたぷんと揺れるのを見た。

 湯上がりでほのかに赤みがかった肌色の北半球。

 露子のにも勝るとも劣らない、大玉のメロンみたいなそれに、考える暇などなく一瞬で目が吸い寄せられる。


 ――でっっっっっっっっっっっ!!!!


 パァン!!


「ぎゃあああああああああああああああああっっっっ!!!」


 後から聞いた話だと、その時の悲痛な叫びはビルの外まで届いていたという。


 ――――――――――――――


「いやー指が滑ったわ、メンゴメンゴ」


「絶対わざとでしょオッサン! ……大丈夫?」


 床にうずくまっていた俺に、香椎さんが優しく声をかけてきた。

 痛みに悶えている間に彼女は着替え終わっていた。


 黒のTシャツに黒のチノパン、彼女の髪の色と相まって全身がカラスみたいに真っ黒だ。男装しているときには隠していたであろうメリハリのある身体がどうしても目に付いてしまい。思わず視線を外す。どうやらアレは幻覚ではなかったらしい。


 良かった……。いや、バスタオル姿が良かったんじゃなくて……あれ以上見なくて良かった……。


 あれ以上見てたらオカマが本気で俺のタマをもぎり取りに来そうだった。

 今も目が笑っていない。殺意がすごい。


「一瞬、女の子になるかと……」


「え、なっちゃうの?」


「なってたまるか!」


 興味深そうに聞いてきた香椎さんに思わず大声で返す。

 俺は女装が好きなんであって女の子になりたいわけじゃない!

 

「さて、話も終わったことだしアンタにも今日から色々手伝って貰うわ、早速仕事よ」


 いつの間にかオカマは段ボールを抱えていた。おそらく香椎さんに持ってこさせたやつだ。


「俺の……仕事……?」


「決まってんでしょ、アンタの仕事は……」


 言いながら、オカマは段ボールを俺のそばに降ろすと梱包を剥がし始める。

 後ろから覗いてみると、中身は意外な物だった。それを見た香椎さんは「わぁ」とハートマークが出そうな声を上げる。


「女装よ」

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