17話:明治通りのヤクザ

 

「誘拐なんてしてないわよ」


 明治通りに入ってから何度目かの信号で、オカマがようやく口を開いた。


 あれから、俺と香椎さんは学校の裏に止めてあったオカマの車に乗り込み、昨日俺が配信したあの部屋、香椎さん達の家に向かっていた。


 ちょうど帰宅ラッシュと重なり、道路は渋滞していた。西鉄バスが何台も連なり行列を作っている。

 

 オカマが運転する車は昨日俺が見たのと同じ黒塗りの車。俺と香椎さんは車の後部座席に座り、オカマは俺を監視するようにチラチラとバックミラーを見ていた。

 

 オカマは昨日と同じく、女物の服とメイクで女装。昨晩も被っていた赤茶色の長いウィッグを後ろで結んでいた。バックミラー越しにオカマが続ける。


「昨晩、アンタがどこから見てたか知らないけど、ひどい誤解ね。そもそもアタシ達が女を誘拐したなんていつ言ったのかしら」


「誤解って」

 

 あの状況は十人中十人が誘拐と判断すると思うけど。


「あの時、アンタが見たのはウチの依頼人よ」


「……は!?」


「要するに、あれは誘拐じゃなく逃走の手助けをしてたんだよ。あの後、他の人に依頼人を引き渡して私達の仕事はおしまいだったの」

 

 ショートヘアのウィッグを脱ぎながら、香椎さんが説明を付け加えてくれた。

 いや待って、でも!


「意識無かったけど!?」


「あいつが時間になっても出てこないから部屋入ってみたら酔い潰れて寝てたのよ」


「なんでトランクに!?」


「むかついたからよ!! 何? むかついた奴をトランクに詰め込んじゃいけないって法律でもあんの!?」


「あるんじゃないかなぁ!?」


「つーかそんなことはどうでもいいのよ! アタシが話したいことは他にあんの!! これから……あ?」

 

 オカマが何かを言いかけたまさにその時、助手席側の窓がコンコンと叩かれた。音に気づいたオカマが左の歩道を向く。その動きに合わせるように、俺と香椎さんも窓を見た。

 

 窓の外に厳つい男の顔があった。わかりやすく言うとヤのつく人。それが、こちらをにらみつけていた。気迫に押され、反射的に身体がのけぞる。


「……ち、面倒なのに見つかったわね」


「オッサン、窓開けなくていいの? メッチャ睨んでるけど」


「まぁ待ちなさいよ、外から中は見えてないから。ちょっと女装!」


「……え、俺?」


 バックミラー越しにオカマと目が合った。どうやら俺のことらしい。女装してる奴に女装と言われるとは。


「隠れてなさい。バレたらアンタ死ぬわよ」


 昨日から俺の命があまりにも軽い。

 反論する間もなくオカマが窓を開けようとしたので、慌てて座席の下に身を伏せる。スペースが狭いので香椎さんの膝下と椅子の間に潜り込むような形になった。


「……っ!」


 香椎さんが身を固くしたのが背中ごしに伝わる。

 すみませんすみません! 文句はそこのオカマに言って下さい! 

 頭の中で謝罪を繰り返していると、チカチカとハザードランプの音が鳴り、エンジン音が止まる。車を道の脇に止めたらしい。 


「よぉ、ブン屋」


 車の窓が開く音がして、街の喧噪と男の声が聞こえてくる。顔の割には若い声だ。


「何の用よ、こんな道端で」


「電話したのにそっちが出なかったんだろうが」


「あーら、ごめんなさい。ほかに仕事があったのよ。アンタみたいな下っ端の電話なんていちいち取ってられないわ」


「てめぇ……」


 凄むような男の声で、車内に緊張が走る。だが、オカマの毅然とした声がその張り詰めた空気を打ち消した。


「勘違いしないで欲しいけど、ウチは別にアンタんところの下じゃないのよ。優先して欲しいならそれなりの態度ってもんがあるんじゃないの?」


「……クソが」


「どうも。さっさと本題に入りなさいよ」


「……『柚須かふり』の情報が知りたい」


 ブツンとブレーカーが落ちたみたいに会話が停止した。先ほど、オカマが俺に言った台詞が寒気とともに蘇る。

 

 この男が……いや……ヤクザが……『柚須かふり』を探っている!? 落ち着け……音を立てずに深呼吸しろ……。


 心臓の動きをごまかすように、ゆっくりと鼻で息を吸う。


 ――めっちゃ良い匂いがした。

 

 気づくと俺の上に黒い布がかぶせられていた。しっとりとした裏地が俺の肌を撫でる。その肌触りで、香椎さんが脱いだ学ランで俺の姿を隠そうとしてるのだと分かった。


 香椎さん……! 君はぐえぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 


 無心でかばおうとしているのか、香椎さんは俺を椅子の下に押さえ込むように足を曲げる。ちょうど、香椎さんのふくらはぎと車の椅子に俺の胴体がサンドイッチされる形だ。苦しいぃぃぃぃ!!


「……『柚須』? 誰?」

 そんなこちらの様子をまるで気にせず、オカマが男に言った。


「昨日、うちからデビューした新人だ」


「あぁー、何かそんなのあったわねごめんなさい。私、Vtuberには疎くって。……っていうか、そっちの新人のことをなんでウチに聞くのよ、そんなのそっちで直接……」


「昨日から、姿が見えない」

 

 香椎さんの足がより力強く曲がり、俺の胸を更に圧迫した。 

 っぐえぇぇぇぇぇぇ! 呼吸が! 呼吸が!! このままだと別ルートで死ぬ!


「……ふーん。夜逃げってこと?」


「いや、連絡はつく。つくんだが、会って話そうとするとのらりくらりとかわしやがる。嫌な感じだ」


「あんたが嫌われてるだけじゃないのー? ま、いいわ。で、どんな奴なのそいつ、顔は? 性別は? 背格好は? 好きなホークスの選手は?」


「……それを知らないから調べろって言ってるんだ」


「はぁ?」


「事務所の誰も、柚須かふり本人に会ったことがない。そもそも元々は個人Vだったのを、ウチのカシラが気に入って一本釣りしたから知り合いってわけでもない。面接はWeb会議だったらしい」


「Webだろうが面接したんなら顔ぐらいわかるでしょ」


「その時は機材トラブルとかで音声だけだったそうだ」


「それでよく通したわね」


「ウチはカシラのワンマンなんだよ」


「それじゃ、調べておくけど……。そいつ何かやらかしたの? わざわざウチ使って調べるなんて穏やかじゃないわね」


「……色々あるが、そいつはウチに借金がある、五百万だ」


「……なるほど。一本釣りなんて物は言いようね、どうせ借金のカタにVとしてカタにハメたってとこでしょ、よくやる手よね」


「いいから、情報が入ったらすぐ教えろ」


「あー、はいはい、それより前金ちゃんと振り込んどいてね」


「あぁ、分かってるよ」 


「……っていうかアンタさぁ、鼻どうしたの。何か腫れてるわよ」


「……お前には関係ない」


 話は終わったのかしばらくして、窓が閉まる音がした。喧噪が消え、車が動き出す。

 

「……ふぅー……危なかったね、和白さん。……和白さん?」


 香椎さんの力が抜けて、ごろりと椅子の下に俺の身体が転がる。

 俺は自分の身体が横たわる様子を眼下に見ながら、ふわふわと浮いたような心地になっていた。


 遠くに乳白色の川と鮮やかな花畑が見えた。


「和白さん!? あれちょっと!? 和白さーん!!?」


――――――――――


「……お邪魔しまーす」

  

 一日ぶりにきた香椎さん達の部屋は昨日と比べて片付いていた。

 床に散乱していた段ボールや配信用の機材は姿を消し、部屋の片隅には昨晩、俺が配信したパソコンとデスクセットが置かれている。


 昨日は気づかなかったが、部屋には入り口以外にドアが三つあった。二つの隣り合ったドアは両方とも閉じていて、それぞれ「あや」「オッサン」という札がかかっている。多分、二人の私室なのだろう。残りのドアは脱衣所のようで、洗面台と洗濯機が見えた。


 片付けたついでに掃除をしたのか、良い匂いがする。フローラルな香り。それが生還したばかりの身体に染み渡った。

 

「適当に座りなさい、さっさと話済ませるわよ、あの子を待つ必要も無いわ」

 

 ここに上がってくる前、オカマはトランクの中の荷物を持って上がってくるよう香椎さんに言っていた。その数、なんとダンボール六箱。俺も手伝おうとしたがオカマに止められた。重要な話があるらしい。

 

 ひとまずオカマに言われたとおり、目の前にあるダイニングセットの椅子に座る。


「まずは昨日の礼を言うわ。ありがとう。むらさき 津辻つつじよ」


 俺の向かいの椅子に腰掛けてオカマが言った。少し考えて名乗られたことに気づき、俺も自己紹介をする。


「俺は……」


和白わじろ つるでしょ。知ってるわ、あの子から聞いてる」


 言う前にオカマが声を被せてきた。 ……たしか香椎さんは俺のこと名字でしか呼んでないはず。


「……なんで下の名前まで」


「ウチがブン屋だからよ」


「ブン屋?」

 

 そういえば、さっきのヤクザもオカマのことをそう呼んでいた。


「まぁ、ウチの業界の隠語よ、こう言いかえた方が伝わるわね、情報屋って」


「……」


「……」


 互いに無言で見つめあう。

 昨日のことがあって、何となく感じていた。そして、さっきヤクザと話している様子から、それはほぼ確信に変わっていた。


 この二人は、日の当たる場所の人間ではない。


「今からあんたに話すことはカタギには秘密の話」


 言いながら、オカマは身体を机の下に手を伸ばした。テープが剥がれたような音がして、オカマの手が机の下から戻ってくる。さっきまで何も無かったその手に何か握られている。


 銃だ。 


 モデルガンかエアガンか、はたまた本物か分からないが、とにかくそれをオカマが持ち、こちらに向けた。


「変なマネをしたらこれを撃つ。スマホを触るのはもちろん、気にくわない動きをしたら、即発砲するわ」


「……本物?」


「さぁね、どっちにしても痛いことには変わりないわよ」


 オカマは銃を構えた手を、なぜか再び机の下に戻す。……何だ?


「……あの」


「気にしないで、照準は合ってるわ」


「……?」

 

「あれは一ヶ月前……」


「終わったぁー!!」


 オカマが話し始めたところで、勢いよくドアを開けて香椎さんが部屋に入ってきた。


 何度も階段を往復して暑いのか、香椎さんは両手でぱたぱたと顔を仰いでいた。汗だくの頬や額に、長い前髪がべったりと張り付いている。濡れたYシャツがうっすら透けて、二の腕のところに肌色が見えた。


 香椎さんはオカマの後ろを通り、そのまま俺の横をすれ違う。向かう先は俺の後ろにある洗面台だろうか。 


「あー、疲れたー。シャワー浴びるねー」

 

 え? 

 香椎さんの言葉に思わず首が動く。


 パァン!!

 一瞬、太ももの間の空気が揺れ、乾いた音が部屋に響いた。

 俺の股下。座っている椅子の縁。それに何か硬いモノが勢いよく当たった音。


 椅子の縁に手を伸ばし、音がした辺りを触ってみる。穴は開いていなかった。その代わり小さい凹みができている。

 どうやら本物じゃなかったらしい。良かったー……。

 

 ……照準どこ向けてんだこのオカマはよぉ!!


「うわ、ビックリした! え、何、どうしたの!?」

 香椎さんの驚いた声が後ろから飛んでくる。


「なんでもないわ、さっさと行きなさい」


「えぇー……、和白さんに変なことしないでよオッサン」


「するわけないでしょ、ねぇ?」


『振り向いたら殺す』とでも言いたげなギラギラと血走った目で、オカマが親しげに言った。俺は口を閉じたままゆっくりと頷く。


「ふーん……じゃあ、入ってくるねー」


 香椎さんの足音がゆっくりと遠ざかる。その様子を俺越しに確認すると、オカマは話を再開した。


「……あれは一ヶ月前のことよ」


「あっついー、ベタベタだよー」


 すぐ後ろで、パサリとシャツを放り投げた音がした。

  

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