2章:ようこそ裏社会へ
15話:顔が良いくせに壁ドンは止めろ
「どうしたのつる、なんか顔色悪いよ」
次の日、俺は何事もないように学校に行き授業を受け、放課後いつものように下校の準備をしていた。
「寝不足なんだよ、そういうお前だって目がやばいし、さっさと帰るぞ」
そう言って露子の質問をいなす。
というか実際、露子の方がやばそうだった。全ての授業で、二秒に一回瞼が閉じてたんだもの。あれで最後のホームルームまで居眠りしないんだから人体ってすごい。
まぁその分、ホームルーム終わった後も全然起きなくて俺は帰るタイミングを逃したわけなんだが……。
教室にはもう俺と露子の二人しか残っていなかった。窓から差し込んだ茜色が、教室全体を古いこたつの中みたいに温かく染め上げていた。
「昨日のチナ様の配信が十一時からでさー、いつもは一時間ぐらいで切り上げるんだけど……昨日はキリが良いところが中々無くて気づいたら二時ぐらいだったんだよ」
「アーカイブで見ればいいだろ」
「リアタイでしか摂取できない栄養があるの!」
それは分かる。
「それに……昨日は……」
「まだなんか見てたのかよ」
「えっと……新人の子の配信も見なきゃだったし」
思わぬ発言に肩が震えそうになるが気合いで抑える。
「新人?」何気ない風を装って会話を続けた。
「ほら昨日、チナ様の配信で……って、つるも知ってるでしょかふりちゃんって子」
知ってるどころの話ではない。だが、言う必要は全くないのでただ頷く。
「可愛かったなー」
「そう……か?」
何言ってんだ俺。
「そうだよ! なんていうか自分の見せ方を分かってるなーって。でも初めてって感じでもなかったんだよね、やっぱり最近は新人でも経験者を採用するのかな」
鋭いなぁ……。そのまま露子のかふりレビューを聞いてみたかったが、いつボロが出るのか分からないので話を切り上げる。
「ってかそれより早く帰るぞ」
「あー、うん……ちょっとお手洗い行ってくるから待ってて」
「分かった。俺だけ帰っていいか?」
「そう言いながら残ってくれるんだよね? つる優しいー」
「自惚れるなよ。……そういえば足の怪我は大丈夫か」
「大丈夫大丈夫、じゃあ待っててねー」
「待たねぇー」
のんびりお手洗いに向かう露子の足を目で追いながらそう言った。どうやら本当に足は大丈夫のようだ。そのまま特に足をかばう様子もなく、露子は廊下に出ていった。
そして、残るのは俺一人だけになった。自分以外、誰もいない教室はなんだかいつもより広く感じた。窓のそばに立ち、外を見ると野球部やサッカー部がグラウンドで走りまわっているのが見えた。露子が戻ってくるまで、昨日のことを振り返る。
あの後、香椎さんにサインを書いていたら突然オカマが屋上に上がってきて、いきなり車に詰め込まれたかと思ったら、家の前に着いていた。漫画で例えると三コマぐらいのスピード感だった。幸運なことに親はまだ帰っておらず、その夜はそのまま風呂入って飯食って寝た。
あまりにもあっけなく終わってしまった非日常は、今朝から再開した当たり前の日常に浸食され、まるで夢を見ていたような錯覚にとらわれそうになる。
スマホを取りだし、YouTubeのアプリで昨日の配信アーカイブを確認する。
『こんばんわー! 柚須かふりでーす!! みなさん初めましてー!』
そこには、俺が昨日演じたVtuber、柚須かふりの姿がしっかりと残っていた。昨日からも登録者数は伸び続けており、今は四万人に届きそうな勢いだ。
これを見て、露子からかふりの話を聞くまで、昨日のことに全く実感が無かった。
……本当に、夢だったんじゃないだろうか、だって俺がやった証拠とか全くないし、たまたま正夢みただけかもしれないし……。
「こんにちはー、和白さん」
……夢じゃなかった。
いつの間にか男装の香椎さんが、教室のドアにもたれかかって俺を見ていた。
えっ、なんで!?
彼女は、昨日会った時とおなじくショートの黒いウィッグを被り、我が校の学ランを着ていた。昨日は学外だったから目立っていたが、いま教室にいる姿はまるで違和感が無い。事情を知らない人は、たとえ先生でも、彼女がこの学校の生徒だと思うだろう。
「あれ、女装してないの」
「まだしてないよ!」
出し抜けにそう言われて思わず素で返してしまった。
学校で女装なんてできるわけがない。今の俺は制服姿でウィッグだって被っていない。……女装用の着替えとかメイク道具はいつも通りカバンの中に入れてあるけど。
「まだ?」
「あ、あー……、それよりなんでここが!」
話がまずい方向に行きそうだったため、ごまかすために話を切り替える。多分ごまかしきれてない。
「んー、そこらへんのことは後で話すよ」
言いながら、香椎さんがゆっくりと俺の方に近づいてくる。なぜか、背中がひやりとした。あのバッグヤードで、あの路地裏で見た凄みを再び彼女から感じる。思わず逃げようにも後ろは窓でここは二階、詰んだ。
「だからさ」
気づくと香椎さんは目前に迫っていた。甘い匂いがとろりと香る。
今更だが、顔が良い。ぱっと見はチャラ男だが、よくよく見ると麗人とも言える玉虫色の表情。瞬きする度に男か女か分からなくなる中性的で整った顔がすぐそばまで来ていた。
「ウチ、来てよ」
からかうように俺を見上げた香椎さんはゆっくりと手を伸ばす。
俺の顔のちょうど真横、左耳から数センチの所に彼女の手のひらが置かれ、逃げ場が無くなる。
いわゆる壁ドン状態。自然と喉が鳴り、口の中から水分が消えていく。
「い、いや……ちょっと、今日は都合が……」
視線を外しながら答える。舌が上手くまわらず、言葉が途切れ途切れになっていた。
「なんで? いいじゃん。昨日のこともあるし、和白さんとはもっとちゃんと話さないとって思ってるし」
「ちょっと待……」
「待たない」
言いよどんでいる間に、香椎さんがどんどん近づいてくる。うなじの毛がヒリヒリと逆立ち、背中がむずむずしてくる。
近い! いやなんで今日は初っぱなからこんなに距離詰めてくるの!? 昨日は最後こそ近かったけど、もっと初々しかったじゃん!
昨日と今日で何が変わった!? そこまで考えてようやく気づく。
今日は、俺が女装していない。
彼女はあくまで女装配信者『すわん』のファンであって、和白弦のファンではない。だから、昨日と態度が違う。おそらくこれが彼女の素なのだろう。それにしたって距離感バグってませんか!
「和白さん」
彼女の吐息が首元にかかった。生暖かくて思わず顔を下に向ける。そして、胸元で俺を見上げる彼女と目が合った。
のあああああああああ!! 顔が良い!! かわいい!!
耳の先っぽが瞬間的に煮え立ち、火傷しそうに熱い。ショックで膝が折れそうになるのを必死でこらえる。
「ダメ……」
なんとか目を閉じ、やっとのことで言葉を絞り出す。
「何がダメ?」
暗闇の中で、香椎さんの声が鼓膜をくすぐるように響き、鳥肌が立つ。目を閉じたのは逆効果だったらしい。
「……っ! それは……」
「それは……?」
「……何してるの?」
突然、聞き覚えのある声がして目を見開く。汗が引っ込み、早くなっていたはずの心臓のペースがあっというまに平常に戻った。この声は……!
顔を上げ、声がした方向を確認する。よく知った少女が一人、教室の入り口に立っている。お手洗いから戻ってきたばかりの露子が俺と香椎さんを訝しげに見つめていた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
読者様へ
次回から更新日が月曜、水曜、金曜になります。
間隔があいてしまいますが、これからも読んでいただけるとありがたいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます