6話:スマートウォッチの紛失
「……残念だったね」
テーブルに突っ伏していた俺に向かって香椎さんの優しい声がグサリと刺さる。
貼り出された紙に俺の番号はなかった。
知ってた。知ってたさ。そう世界は甘くないって。くそぉ……、くっそぉ!
「こっちも外れだった。いいなぁ、あの人達」
顔を上げると、香椎さんが羨ましそうにレジの方を向いていた。
視線の先では当選したであろう整理券を持った人達が何人かで話をしている。
仲間はずれにされたような黒い気持ちが胸の中で渦巻く。
そんな気持ちが表情に出ていたのかもしれない。唐突に、香椎さんが尋ねてきた。
「……そんなに欲しかったの?」
欲しいなんてもんじゃなかった。
あの人形はなんかわの名場面『コック編』を再現した物だ。
俺はあの話を読んだとき、とても勇気をもらったのだ。
自分の自由な姿で、いてもいいのかもしれないと。
だが、そんなことを香椎さんに話してもしょうがない。第一、香椎さんだって外れて悔しいはずだ。だから、俺は精一杯の空元気をだすことにした。
「ん……結構それなりに」
悔しさを誤魔化すように伸びをして答えると、香椎さんは少し微笑みながら「そっか」と言って、そのまま何かを考えるように頬杖をついて再びレジの方を向いた。
気をつかわせてしまったかもしれない。申し訳なさで心の片隅がちくりと痛む。
何となく俺もレジの方を見ると、抽選販売以外のグッズを求める人達がレジ前に行列を作っていた。並んでいる人達はみな各々のグループでわいわいと盛り上がっている。……あぁいう風に同好の士で楽しむのは確かに楽しいだろうなぁ。
というか、俺も欲しいものがあるんだった。早く並ばないと。
そう思い、席を立ち上がろうとすると、香椎さんが声をかけてきた。
「ごめん和白さん、ちょっとお手洗い行くから荷物見てもらってもいい?」
「え、はい」
「ありがとう! すぐ戻るから!」
「ちょ」
反射的に答えると、後悔する間も引き留めるチャンスもなく、香椎さんはダッシュで走り去ってしまった。……まぁ、すぐ戻るって言ってたし大丈夫かな。
――
そして十五分後。
「……おっそいなぁ」
香椎さんはまだ帰ってこない。退店の時間がきてしまいそうだ。
トイレに様子を見に行くわけにもいかないし。困った。
カフェを埋め尽くしていた他のお客さんも八割ぐらいは帰ってしまい店内はまばらな状態になっていた。残っている人達はテーブルで会話を続けたり、店内装飾やポップの写真を撮ったりしている。
折角だし、俺も写真撮っておこうかなぁ。っていうか、このまま帰ってこなかったらどうしようか。向かいの席に置いたままになっている香椎さんの鞄に視線を移す。
我が校指定の真っ黒いリュックだ。ワンポイントで入っている今風なデザインの校章がよく目立つ。こういうのってメルカリとかで買えるんだろうか。
しかし、俺も人のことを言えたものではないが通っていない学校の制服を着るなんてだいぶ変わった趣味だと思う。学校外の場所で、しかも間近で話したから偶然気づけたがもしも香椎さんがそのままウチの学校に来ていたら、誰も部外者とは気づかないだろう。いや、露子は気づくかも。
……冷静に考えるとだいぶやばくない?
「お待たせー!」
そんな俺の考えに対し、まるで見計らったかのようなタイミングで香椎さんが慌ただしく戻ってきた。
「ごめんごめん、思ったより混んでて」
「大丈夫、まだ時間あるから」
俺はそう言って席を立つと、スマホのカメラを起動し店員さんに声をかける。
「すみません、お店の写真撮って良いですか?」
「はい、他のお客様のご迷惑にならないようにお願いいたします」
その様子を見ていた香椎さんも「自分もいいですか?」とスマホを取り出した。
そこで、俺は目を見開いた。
香椎さんの左腕に時計がない。
百万近いプレミアがついている『なんかわスマートウォッチ』が忽然と消えていた。
「香椎さん……時計はどうしたの……?」
「……あれ? あれっ!?」
香椎さんは言われて初めて気づいたようで、顔を真っ青にして辺りを見回す。
「お手洗い行ったとき落としたのかも……すみません! 探してきます!」
「待って!」
俺は、走りだそうとした香椎さんの腕を思わず掴んで引き留める
「探すの……手伝うよ」
「……いいの?」
「うん、もうすぐ時間終わっちゃうから二人で手分けした方が良いと思うし、香椎さんはトイレとか来た道探してみてよ、こっちは店員さんに聞いてみるから」
「……! ありがとうございます!」
香椎さんはぱぁっと笑顔になり、そう言うとトイレの方に駆けていった。
さてと。すぐそばで俺たちのやりとりを見ていた店員さんに俺は向き直る。
「えーと、落とし物とかって届いてないですか?」
――――
「けっこう多いな……」
店員さんに連れてこられたバッグヤードで、俺は落とし物箱に敷き詰められるように置かれているなんかわグッズ達と対面していた。
「意外と忘れ物や落とし物される方多いんですよ……」
店員さんが申し訳なさそうな声で言った。
香椎さんがトイレに向かった後、俺は店員さんにスマートウォッチの特徴を伝え、似たような落とし物が無いか尋ねてみた。だが、店員さんはあまりグッズ類には詳しくないようで俺がバッグヤードまで来て確認することになったわけだ。
「他のスタッフにも確認してみますね、今日落とし物はないって聞いてますけどすれ違いとかあるかもしれませんし」
「ありがとうございます」
「見終わったら声をかけてください」
店員さんはそう言うとバッグヤードから出て行った。
一人残された俺は、目の前のなんかわグッズの山を見て、寂しい気持ちになる。
こんなに多くのなんかわ達が行き場を失ってしまうなんて可哀想に……。
と、それはそれとして今は香椎さんの時計を探さないと。
これは違う。これも違う。あ、これ高級ブランドとコラボしたやつだ欲しいな……。って違う違う……。
三回ほど総ざらいで調べてみたが、残念ながら時計は見つからなかった。
香椎さんの方はどうなっただろうか。そう思い、なんとなく周囲を見回す。
バッグヤードは、オシャレに整えられていた店内とは対照的に生活感溢れる様子だった。六畳ぐらいの無機質な白い室内は、文房具が散らばった事務机や着替え用のロッカー、段ボールで埋め尽くされているスチールラックが設置されており、それなりに手狭だ。
どんなに趣味が良い店も裏ではこんな感じなんだろうか。
綺麗な表側と雑多な裏側、一体どっちが本当の店の姿なのだろう。
「ん……?」
ふと、スチールラックの最上段に注意が向いた。何か見覚えのある物がある。
「……!!」
そこには俺が熱望していた『なんかわコック』が棚を埋めるように何体も何体も隙間無くぎゅうぎゅう詰めにされていた。今日の分の在庫だろうか? にしてはやけに数が多いような……。
「お客様、お探しの物は見つかりましたか?」
俺が大量の『なんかわコック』にあっけにとられている間にさっきの店員さんが戻ってきていた。隣には香椎さんもいる。
「こっちはダメだった……」
しょんぼりとした顔で香椎さんが言った。心が痛むが俺も自分の状況を報告する。
「こっちも見つからなかったよ」
「そうですか……」
「……お客様、申し訳ありませんが、他で無くされたということはありませんか?」
「いえ、それは絶対に無いです」俺は店員さんに断言する。
「そ、そうなんですか?」
「はい、自分は食事の前に無くした物を確認してます。その後、香椎さんもお手洗いに行く以外で席を立ったりはしてないです。だから、無くしたとしたらこの店の中のはずなんです」
「そ、そうです!」香椎さんも俺に続けるように頷いた。
「っ……なるほど」
店員さんはそう呟くとそのまま黙り込んでしまった。
……ほんの一瞬だけど、「面倒くせぇ」って表情だったな。確かにこの事態はお店の人にとってかなり嫌だろうけどそこまで嫌がらなくても……。
「もう一度、無くされた物の特徴を聞いてもよろしいでしょうか」
出し抜けに店員さんが言ったので、俺は面くらいながらも再びスマートウォッチの特徴を伝える。
「……少々お待ち下さい」
店員さんはそう言うと俺がさっきまで調べていた落とし物箱の中を漁り始めた。
え、いやその中は何度も調べたけど……。思わず口に出そうになったところで店員さんの手が止まった。
「……ありましたよ」
「へぇ?」
アヒルの鳴き声が裏返ったような声が自分の喉から出ていた。慌てて店員さんの手の中にある物を確認する。それは確かにテーブルで見た香椎さんの『なんかわスマートウォッチ』だった。
は? 俺が何度も確認したのに……!? 見逃してた? いやそんなわけは……。
俺が混乱している間に、店員さんは時計を香椎さんに渡し、確認をしてもらっていた。
「あ、ありがとうございます! どうしようかと!!」
手渡された物は確かに本人の時計だったようで、香椎さんはそれを手の中でぎゅっと握りしめる。その光景を見た途端、胸の奥が鷲掴みにされたような息苦しさを覚えた。
……うわぁ、何が「手伝うよ」だよ……、何が「二人で探した方が早いから」だよ俺……。だせぇ……ただの足手まといじゃん……。
「和白さん!」
下を向き、 香椎さんが突然俺の手を握ってきた。
「え」
「和白さんも! ありがとう!」
ほのかに淡い光をはなつ、沈みかけの夕日みたいな温かい笑みで香椎さんは言った。
「あ……いえ、こっちこそ」
沈みそうになった気持ちが引き上げられ、冷たくなりかけた心が笑顔のぬくもりでぽかぽかになる。……結果オーライか。
「……じゃあ、香椎さんのも見つかったし早く出よう、次のお客さんも来るし」
「あ、そうだね。ありがとうございました!」
「いえ……」
香椎さんが元気一杯に感謝を述べると、店員さんはくしゃっとした作り笑顔でそれに答えた。
その笑顔を見て、直感が俺の頭を走る。違和感のある顔だ、と。
まるで、見つかったことが良かったなんて本心から思っていないような……。
訝しげに店員さんを見つめていると、香椎さんが顔を見上げ明後日の方を向いていることに気づいた。その視線の先には、俺がさっき見た『なんかわコック』のすし詰めがある。
どうしたんだろう、香椎さん。あれ、やっぱり欲しかったのかな。
「スタッフさん、最後にひとつだけいいですか」
香椎さんは顔を上げたまま、よく通る声で言った。
「はい、なんでしょうか?」
「――あの限定商品を店ぐるみで転売してるってこと、バレたら困りますよね?」
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