7話:VS転売ヤー

「…………は?」


 突然の発言に返答を絞り出した店員さんは、もはや作り笑顔を止めていた。

 眉間に全力でシワを寄せ、放たれた暴言に対し威嚇の体勢をとっている。


 北天神にある安国寺の仁王像みたいだ。こっわ。

 いやいや待て待て、それよりいま香椎さんなんて言った?


「突然なんですか、お客様」表情を変えずに店員さんが言う。


「四人」


「はい?」


「自分がずっと入口を見て数えた限定商品を持って出ていった人の数。……当選者は五人なのに数が合わないですよね」 


 ずっとって……香椎さんトイレに行ってたじゃん。第一、そんなの……。


「そんなの、最後まで残っている他のお客様が当選していたというだけのことじゃないですか」


 そう、俺たちの他にもまだお客は残っていた、彼女達のうち誰かがまだ買ってないという可能性は大いにある。


「たしかにそうですね。でも他の時間も同じなんですよ」


「他?」


「ずっと見てました。昨日も一昨日もその前も。この店の入口をずっと」


 香椎さんは自分のスマホを取り出し、その画面を店員さんと俺に向けた。

 画面にはこの店の入口周辺を斜め上から撮影した映像が表示されている。


「この階の監視カメラの映像です。今日を含めて数日分見ましたけど、どの予約時間も限定商品を持って出てくる人は毎回四人だけ。確認します?」


 ……なんでそんなものを香椎さんが? ってか、なんでわざわざそんなことを?


「それが転売してるって証拠にはなりませんよ。そもそも、どこからそんな映像を? そっちの方が転売なんかよりよっぽど犯罪ですよね」


「そう、これだけじゃ証拠でもなんでもない」

 店員さんの質問を無視して香椎さんは淡々と話を続ける。


「でも、こっちはどうかな」


 香椎さんは、手に持っていたままのスマートウォッチを顔の横まで掲げると何らかのボタンを操作する。すると、ノイズ混じりの音声がスマートウォッチから流れ始めた。


『――いいもの貰っちゃったー』

『……何それ落とし物?』

『そう、お客がトイレで見つけた他のお客から受け取ったんだって』

『トイレで? 見つけた奴バカだねー』

『ねー、そのまま盗っちゃえばいいのに』

『うわ、待って。調べたらクソ高いじゃんそれ、マジで探しに来られたらやばくない?』

『大丈夫大丈夫、ごねられたら、隠してたのを見つけたって言って渡せばいいだけっしょ』

『悪ぅー!』

『ところでさ、抽選販売用のくじはちゃんと当たりくじ抜いた?』

『大丈夫、ちゃんと1個だけ抜いてる』

『これで5万の儲けか、ぼろいね』


 ブツッと言う音とともに音声は止まった。『なんかわスマートウォッチ』には録音機能がついている。録音された会話には確かに店員さんの声が入っていた。


「……」


 先ほどまで、警戒心をむき出しにしていた店員さんからはすっかり表情が抜けている。その額に、汗が一滴流れていた。


「落とし物したってのは嘘。自分が通りすがりの人に頼んでこれを落とし物として届けてもらったんです。転売するような人間ならこれも懐に入れる可能性は高いと思って。問題はこんなにばっちり証拠が撮れるかどうかですけど……それは心配してなかったです。あなたは口が軽くて、すぐ自分の仕事を他人に自慢する。こっちはそれ、"知ってます"から」


 香椎さんは微笑む。その笑顔はついさっき俺に見せたものとはまるで別物だった。

 その笑みは妖艶で有無を言わせない圧力があった。

 俺も店員さんも気圧されて香椎さんの言葉を黙って聞くことしかできなかった。


「あと、てん屋さんから伝言です『本職舐めるなよ、ガキ』だそうで、ビジネスパートナーとはちゃんと仲良くしないとですね」


 伝言とやらを聞いた瞬間、店員さんの肩が跳ねた。見ると、顔が真っ青になっていた。まるで何かに怯えるように背中を震わせている。


「あ、でも勘違いしてほしくないんですけど、自分は警察に言おうとか炎上させようとか、ましてや業者に突きだそうとか、そういうことじゃないんですよ」


 俺は緊張とヤバさでバクバクと跳ねる心臓を感じながら、香椎さんを見つめる。


「ただ、黙っていてあげる代わりに自分達の分を融通してくれないかなってだけで」


 こいつは、一体何者だ?


――――


「いやぁ良かったね、ぬいぐるみ買えて」


「……そうだね」


 店を出て、パルコの通路を歩く俺たち二人の腕には『なんかわコック』がそれぞれ抱えられていた。


「スタッフさん、良い人だったねぇ『タダで良いです』って、ちゃんと定価払ったけど」


「そうだね」


 俺は、歩きながら香椎さんの言葉に「そうだね」と答えるだけの機械になっていた。だが一方で、脳内では色んな考えが目まぐるしく回っていた。

 

 お前は一体誰だ、何者だ。なんであの店の監視カメラの映像を持っている。いやそもそも転売してるって情報はどこから。 


 違う、違う。本当に聞きたいことはそんなことじゃなくて。


「本当はここまでやるつもりなかったんだけどね」


「……え?」

 思わぬ言葉に立ち止まり、香椎さんの方を見る。


「だって、和白さん本当に欲しそうにしてたから、つい」


 にへら、とふぬけたような顔をして香椎さんは言った。さっきまでの悪寒が走るような雰囲気が嘘みたいに、いつの間にか俺と相席していた時の柔らかくて温かい、俺と意気投合した王子の香椎さんに戻っていた。


「……香椎さ」


「あ、自分、いまからバイトだからこれで」

 俺が言葉を言いかけたところで、香椎さんは唐突に話を切り上げ、頭を下げる。


「え!? ちょ」


「また会えたらいいね!」


「ちょっと待って!」


 思わず、走り去ろうとしていた腕を取る。


「ッギゥッ! ……ど、ど、どうしたの和白さん」


 聞きたいことがあった。一番聞きたいこと。


「……なんで」


「……?」


 気づいたときから胸の奥で温めて、口にしかけて、結局勇気が出なかった言葉。

 たった一言。それを、吐き出す。


「なんで、男子の格好をしてるの?」


「……!」

 驚いたように目を見開いて、香椎さんは俺を見つめ返した。

 広がった瞼の中で、漆黒の瞳が宝石のように煌めいていた。

 何秒間、そうして見つめ合っていただろうか。やがて、香椎さんがゆっくり口を開いた。 


「……初めてバレた」


 顔を赤らめて、はにかむその顔には少女の面影があった。

 そう、香椎さんは、彼女は男装している。


「いつから気づいてたの?」


「……最初から」


「マジ!? うわー……恥ずかしい……」


「質問に答えて」


「いや、他に聞きたいことがあるんじゃ」


「それはまぁ……」

 あるけど。それは割とどうでもよかった。この問いかけの答えが俺にとって一番大事だったから。


「……そりゃあ、楽しいからかな」


「楽しい?」


「うん、自分ではない、何かになるのが」


「……自分じゃない……何か……」

 ……違う、それだけじゃないはずだ。だって。


「……それに」

 彼女が続きを言いかけたまさにその時。


 でーでーでーどでとーどでどー。でーでーでーでーどでーどでどー。


 ……某有名映画に出てくる悪役のテーマ曲が彼女の鞄から流れ始めた。


「げえっ! ……ごめんなさい、呼び出しくらったんでもう行かないと、じゃ!」


「え」 


 そう言って、俺の手を振り払うと香椎さんは猛然と走り出した。

 速っ! デカイぬいぐるみを抱きかかえているとは思えない速度で香椎さんは通路を駆けていき、そのままの勢いであっという間にエスカレーターも駆け下りていった。


「えー……」


 その退場の勢いに、俺はしばらくの間、香椎さんが消えていった方向を呆然と眺めていた。


 ブブブ。

 呆けていたところに、突然バイブ音が聞こえ我に返る。

 

 なんだ? 今の音。

 音の方向、床の方向を見ると、そこには『なんかわスマートウォッチ』が寂しそうにポツンと取り残されていた。


「これ……」


 香椎さんのだ。間違いない。拾ってみると、ベルトの接合部がちぎれていた。俺の手を振り払ったときに偶然取れてしまったようだ。

 

 どうする? 後を追って届けるか? 今ならまだ間に合うはずだ。高い物だし困るだろ。すぐにそう考えたところで、もう一人の俺が囁く。

 

 待て待て、彼女は犯罪まがいのことするような悪人だぞ。大人しく警察に届けとけ。香椎さんが監視カメラの映像を取りだした時の光景が脳裏に蘇る。そうなると彼女がウチの制服を着ていたのも怪しく思えてくる。俺は彼女がそういう趣味の人だと思っていたが実は違うんじゃないか? 

 

 そもそもバイトって合法なバイトなのか?


「……」


 俺はスマートウォッチを近くの交番に届けるために踵を返す。たしか警固公園のところにあったはずだ。


 これ以上、彼女に関わっても危ないだけだ。なんだかんだあったけど目的の物は手に入ったし、後は帰って準備をして、あ、この子を飾る場所も決めないと……。


 腕の中に収まる『なんかわコック』が落ちないように改めて抱きかかえる。ほのかにぬくもりがあった。


 でも、香椎さんがいなかったらこの子は手に入らなかったのか。


『だって、和白さん本当に欲しそうにしてたから、つい』


 ふと、香椎さんの言葉を思いだし、足が止まる。


 とろけてしまいそうな微笑みで彼女は俺にそう言っていた。

 何もかも疑惑だらけだった中で、あの笑顔だけは本物だった。それは間違いない。


 続けて、頭の隅に引っかかっていた言葉が脳内で再生される。


『それに……』


 それに、なんだ? 何を言いたかったんだ?  


 数秒間、熟考した末にやっと結論を出す。


「……間に合え!」


 俺は香椎さんが駆け下りていたエスカレーターに向かって走り出した。

 彼女が何者かどうかなんてどうでもいい。


 だけど、俺はまだあの質問の答えを全部聞ききっていない。


――――

 

 黄昏が街並に影を落としていた。まだまだ明るい茜色の空とは対照的に地上は既に宵闇のように暗い。

 

 天神駅から西に外れた、ビルの隙間の路地。


 「どこだ……?」


 そこで、俺は香椎さんを完全に見失っていた。

 あの後、パルコの一階で彼女の後ろ姿を見つけた俺は、全速力で後を追った。しかし、数分追いかけたところで結局振り切られた。それもそのはず。大事なことを勘定に入れてなかった。

 

 まず第一に俺にはそこまでスタミナがないということ。そして第二に、手に余るぐらい大きなぬいぐるみを抱いたまま走るのは必要以上に体力を消耗するということだった。


「くそ……」


 ぜぇぜぇと息を切らしながら、周囲を見渡す。確かここは一度だけ通ったことがある。多分……大名の辺りか? 昼間でも人通りが全くなく、怖い場所だなと思ったのを覚えている。


 事件にはおあつらえ向きの場所だ。

 そう考えたところで突然、背中を舐められたような悪寒が走った。思わず振り返ると、視界の端を黒い影が横切ったように見えた。


 もしかして、香椎さん? 俺は影の向かった先、路地の奥をのぞき込んだ。

 

 そこで俺は見た。見てしまったのだ。

 香椎さんとオカマが女性を誘拐しようとしているその犯罪を、この目で。

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