8話:路地裏の誘拐劇
飛び込むように隠れた建物の陰から顔を出し彼女達の様子をうかがう。
細い路地の奥には古びたアパートがひっそりと建っており、アパートの前には車が駐まっていた。車は、いかにも映画のヤクザが乗っていそうな黒塗りの車で車内は暗くて見えない。
オカマは女性を車のトランクに詰め込もうと四苦八苦しており、香椎さんはそれを手伝う様子もなく眺めていた。
香椎さんは別れた時と同じ学ラン姿だ。全身ほっそ! こうやって離れた場所で見るとシルエットが女性だと改めて実感する。ちなみに『なんかわコック』は車内に入れたのか手ぶらだ。
一方、オカマは異形の姿をしていた。
まず髪がエグい。ウィッグでもつけているのか日本人離れしたスカイブルーだ。着ている衣装はごちゃごちゃしておりまとまりがない。ベースはクラシカルなメイド服のようにも見えるが、色は紺と紫だし、首元、手足の露出が多めにアレンジされていてコスプレ感がある。また、ヘッドドレスやエプロンなど、ところどころに星をかたどったきらびやかな装飾がついており、それもコスプレ感を一層際立たせていた。
……何か見たことあると思ったら下校途中に露子から見せられた『貴山はる』ってVtuberのコスプレじゃないか?
え、なんで?
ハテナマークが頭に浮かんだところでバタン!と音がしたので息を潜める。
「よし詰めた。まったく手こずらせてくれたわね……」
車のトランクを力強く閉めたオカマが大きく息を吐いた。体を痛めたのか腰や肩を動かし柔軟をしている。
「オッサンお疲れー」
車の屋根に寄りかかっていた香椎さんの言葉からはオカマを労う気持ちがまるで感じられない。
「アンタってやつは、結局ちっとも微塵もこれっぽっちも手伝わなかったわね」
「だって私の仕事は事前の情報収集と交渉役って言ってたじゃん」
「こんの指示待ちゆとりが……」
「私の頃にはゆとり教育終わってるからオッサン。ところでなんでその格好してるの?」
「アンタが遅刻したからっ! 私が交渉役もやる羽目になったのよっ!!」
「あーね……ごめんて」
ばつが悪そうな顔をして香椎さんが言った。
のんびりと二人で話しているあたり、俺は気づかれていないようだ。
見ていることがバレたら確実にまずいことになる。絶対に気づかれるわけにはいかない。
「オッサン、それでブツはどこにあるの?」
「部屋よ、アンタもそれぐらいは手伝いなさい」
オカマと香椎さんは俺に背を向け、アパートの方へと歩いて行く。
さて、俺がここで取るべき行動はいくつかある。まずは通報だ。俺は自分のスマホを取りだした。……バッテリーが切れていた。
なんで!? あ、そういえばコラボカフェで店の内装を撮影しようとしたときにカメラ起動してそのままだったような……。くそ、じゃあ二人がアパートに行った隙に逃げて、交番まで行くしか……。
「ん? ……アンタは先に行ってなさい、っていうかブツ持ってきなさい」
そう言ってオカマは立ち止まると、ガサゴソとコスプレ衣装をまさぐりはじめた。
やべ、バレたか!? 緊張で、全身が限界まで引っ張ったゴムみたいにびくっと震える。
「どしたのオッサン、またぎっくり腰?」
「電話よ、菓子屋から。ほら行った行った」
「えぇー」
しっしっ、と手を振り香椎さんをアパートの方へと向かわせると、オカマはスマホを取りだした。
「あぁ、私よ。えぇ、身柄は確保したわ、指定の場所で落ち合うわよ。ん、それは大丈夫。ところで……」
やばい。オカマが残ってるせいで下手に動けん。音を立てないように慎重に動かな……。
ブブッ!
「――ッ!!」
ポケットに入れていたなんかわスマートウォッチが突然震えた。緊張しきっていた所を不意に刺激され声にならない声が漏れる。
「ん? ……電話切るわ。また後でね」
電話を切ったオカマがこちらを振り向く。それとほぼ同時に俺は顔を引っ込めた。
見られた!? 気づかれた!?
焦りと緊張を抑え、耳を澄ませる。
空気の揺らめきすら感じないような静寂。そんな中、蚊が飛ぶ音がはっきりと耳に障る。
「……まさか、ね」
オカマが呟くと同時に、地面を叩く靴の音が近づいてくる。
やべぇ! どこか隠れるとこ……!
目の前には駐車違反の車が一台。その下になんとか滑り込む。
靴音がすぐそこまできていた。
必死に息を止め、車の下から外の様子を見ると、車のすぐそばで黒い靴が立ち止まる。
まずいまずい……! そりゃそうだ、こんな隠れ場所すぐにバレる!
どうするどうするどうする!! ……アレだ! 俺の得意技!
俺は音が漏れないよう息を吸い、両手で喉の形を変える。
オカマの片手が地面につき、今にも車の下を覗き込みそうだ。
早く早く――!
何度か微調整をしたあと、整形した響きを繊細に、だけど、思いっきり吐き出す。
「にゃーぉ」
猫。食肉目ネコ科ネコ属。世界中だけでなく、日本中に野良がいる愛され動物。もちろん福岡の繁華街でもその姿は健在だ。
その声を俺は喉からひねり出した。
「…………なんだ……ネコか……」
いけたか!?
オカマの言葉と同じくして、路地の奥から香椎さんの声が飛んでくる。
「オッサーン! やっぱり運ぶの手伝ってよー! これ意外と重いー!」
「それぐらい自分で持ってきなさーい!」
「うげぇー!」
「ったく……」
静まりかえった路地裏で、大きく息をつくのが聞こえた。
オカマの手が地面から離れる。
「……気のせいかしら」
オカマの呟く声がすると、靴音がコツコツと音を立てて遠ざかっていった。
なんとかなった……。寿命が縮むかと……。あとは……。
慎重に隠れ場所から這い出ると、オカマの後をゆっくりと追う。
絶対に音を立てないように注意して……、よし。
「オッサンお待たせー」
香椎さんの声がしたので俺は再び建物の影に素早く身を隠す。
「少しは私の気持ち分かったでしょ……って、アンタあのクソでかくてクソ重いパソコンはどうしたの」
「んー。置いてきた」
「はぁ? 持ってきなさいって言ったでしょうが、大事なデータが……」
「データなら、はいこれ、あげる」
「……なにこのメタリックな箱どもは」
「ハードディスクとSSDだけ取りだしてきたの、これなら文句ないでしょ」
「本当にデータ入ってるんでしょうね」
「へー、録画予約すらできない昭和の遺物が、電子機器で私に意見するんだー」
「頼んだ予約をすっぽかすようなポンコツがよく言うわ、っと」
「あ、投げんなオッサン!」
香椎さんがそう叫ぶと、直後にバン!と車のドアが閉まる音がした。
おそらく、ハードディスクとSSDを車に投げ入れたのだろう。
「さーて、ターゲットとブツは確保したし、さっさと戻ってこいつを引き渡すわよ」
「はーい……あれ? あれ? ……ない」
「あのでかいテディベアなら車に積んだわよ」
「……時計が、ない」
「は?」
「え、なんで!? おっかしいな……お店出たときはあったのに」
「何、アンタまた物なくしたの」
「いや、オッサンちがくて……! いや落とし物はしたけどそれは嘘で……」
「何言ってんの」
どうやら、香椎さんが時計をなくしたことに気づいたらしい。良かった。後で気づいたら探すの大変だもんな。
……いや、良くねぇ!
「っていうかバカねぇアンタ」オカマが大きくため息をついて続ける。
「無くしてもスマホで探せるって、私にめっちゃ自慢してたじゃないの」
「あ、そっか」
――っ!!
身を伏せ、先ほどの隠れ場所に体を滑り込ませる。その直後。
ブブッ! バイブ音を鳴らして時計が震えた。
「あれ? 近くにあるみたい」
香椎さんの声がこちらに向き、歩いてくる音がし始める。
ザリッ……ザリッと靴裏が地面を擦る音がだんだんと大きくなる。
気づくな気づくな気づくな気づくな――!!
「あ、あったあった」
香椎さんの足音は、俺の隠れ場所から数メートル辺りの所で止まり。その後、遠ざかっていった。
ギリギリだった……。
さっき香椎さんのスマートウォッチが震えたときに考えた。時計を落としたことに香椎さんはいつ気づくだろう。数日後? 数時間後? いや、そんなに後じゃない。最悪、今すぐにでも気づくはず。
なにせ腕時計だ、ひと息ついたり、ふとした時に見るだろう。今までは走ってたり、他のことに気を取られてたりしたから気づいてなかっただけだ。
しかも、『なんかわスマートウォッチ』にはオカマが言ったように位置探索機能もある。もしも今、香椎さんが時計を無くしたことに気づいて、位置を探し始めたらおしまいだ。俺が隠れてることはたちまちバレる。
だから、さっきオカマが背を向けていた時に、時計をこっそり道路に置いておいた。もし、香椎さんが気づいてもやりすごせるように。
「落としてたみたいー」
香椎さんがパタパタと走りながら車の方に向かうのが聞こえた。
「傷はなかったの?」
「なかった!」
「じゃあ、さっさと乗って」
オカマがそう答えたあと、バタン!バタン!と立て続けに車のドアが閉まる音がした。その後、低いうなり声を上げて、車が路地から出ていく音が続く。車の遠ざかる音がやがて消えていき、路地全体が死んだように無音になる。
念のため、俺は息を殺し、なおも身を潜め続ける。……何分過ぎただろうか。路地に人の気配は無いようだった。俺はゆっくりと隠れ場所から這い出す。
「……ふぅー」
服についた土を払い、深く息をついた。
あぁ……おろしたての服とローファーが……『なんかわコック』も砂まみれに……でも、ひとまず安心か、あとは……。
「あれー? 和白さんなんでここにいるの?」
緊張が解けて全身が弛緩した瞬間を見計らったように、背後から声がした。
すくい上げられた金魚みたいに心臓が体内を跳ね回る。
は!?
振り返ると彼女がいた。
俺からわずか数メートルの位置。夜の闇に紛れるように、香椎さんは音もなく影のようにそこに立っていた。
あの漆黒の瞳が俺の全身をじっと捉える。その瞳に、何もかも見透かされているようで身動きができない。
彼女は手の中に何か黒っぽい物を握っていた。その何かから、バチリと音を立てて光がはじけ飛ぶ。
スタンガン。
まずっ――!
そう思ったときには遅かった。
バチンッ!!
雷が落ちたみたいに視界が一瞬真っ白になり、直後、引き裂かれるような鋭い痛みが全身を貫いた。
あ、死んだ。
意識が、遠のく。
激痛とショックで目の前が黒に染まる中、俺は確かに香椎さんの声を聞いた。
「……ごめん」
それは、俺が彼女に言いたくて、結局言えなかった言葉だった。
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