9話:いかり屋

「オッサン、この機材なに?」


「何よ突然、えーと……音量調節するやつ?」


「残念、ボイスチェンジャーでしたー。じゃあ、このドーナツみたいなやつは?」


「それ私が好きなYouTuberの動画で見たことあるわ! って!! 邪魔すんじゃないわよ! こちとら準備中よ!」


 ケラケラ笑う声とギャアギャア喚く声で目が覚めた。

 ここは……どこだ。


 瞬きを繰り返し、薄ぼけた視界をハッキリさせながら周囲の様子を確認する。

 どこかの家のダイニングのようだ。

 オープンキッチンに対面するように置かれた食卓と椅子が見える。

 

 壁にかけてある時計は、八時二十五分を差していた。

 カーテンが閉まり日光も漏れていないため、夜の八時なのだろう。

 

 先ほどの声の方に首を動かす。少女と女が二人で背を向けて何かしていた。

 少女は椅子に座って机に向かい、黙々と手を動かしている。机の下では女が床に置いた段ボールの中を漁っていた。


「あ、起きた」


 目覚めた俺に気づいた学ラン姿の女の子が、顔だけこちらを振り向いてひらひらと手を振ってきた。真っ直ぐ伸びたセミロングの黒髪が星のない夜空みたいでとても綺麗だ。


 ぼんやりした頭で眺めていると、彼女のもう片方の手にショートヘアの黒いウィッグがぶら下がっていることに気づく。

 ……香椎さん? ウィッグしてたのか……気づかなかったな。俺としたことが。


 そうだ。思い出しかけてきた。俺は彼女を追って……。


「あら、意外と早かったわね。出力落ちてたのかしら」


 にこりと笑う香椎さんのそばで、女がスタンガンをまじまじと眺める。いや、女じゃない、あのオカマだ。

 あ、完璧に思い出したわ。

 

 オカマは先ほどのコスプレ衣装から着替えたようで割とマシな格好をしていた。しかし、相変わらず女装ということは変わっていない。

 

 年相応にかさついた茶色のロングヘア、自然に盛られたメイク、こなれ感のあるブラウスにロングスカート。

 

 先ほどの雑なコスプレとは違い、素人が見れば女性と見間違えるぐらいには仕上がっている。


 だが、俺からすると全然見分けがつくレベルだ。……少なくとも正面から見れば。


「でも、オッサン誰かが隠れてるって良く分かったよね」

 香椎さんが手元で何かをカタカタといじりながら言った。


「そりゃ、あそこに猫がいるわけないもの」

 近くの段ボールから黒いケーブルの束を取り出しつつオカマが答える。


「ふーん、なんで?」


「あの建物、猫避け用の機械置いてあるのよ」


「あー……あの蚊が飛んでるみたいな音がする奴」


「そうそれ。だから誰かが隠れてるとは思ってたのよ。ただ下手に近づいて逃げられたら困るからアンタだけ残したってわけ」


「なーる。突然私だけ置いていくとか言い出したときは『何言ってんだこのコスプレ野郎』とか思ったけど流石オッサン」


「けなすのか褒めるのかどっちかにしなさいよ」

 言い終えるとオカマは俺の方を振り返った。


「さて……なんでここにいるのかは、言わなくても分かるわよね子猫ちゃん。手垢がつきまくった手口だけど、声は本物かと思ったわ。ま、大方スマホで猫の動画でも流したんでしょうけど」


「……!」

 俺は言葉を返そうとしたが声が出ない。何かで口が塞がれているようだった。


「オッサン、何か言いたいみたいだよ、口のやつとる?」


「なーに言ってんの、取るわけないでしょ」


「じゃあ手足のやつならいい?」


「いいわけないでしょ」


 そこまで聞いて、両腕と両足が硬い紐のような物で縛られていることに気づいた。

 ……ヤバい! 呑気にしてる場合じゃなかった!


「ったく……いかり屋の奴らに頼むと高くつくのよねぇ……」


「え……ぶ、物騒なこと言わないでよオッサン。私達から口止めだけしとけばいいじゃん、証拠は持ってないみたいだしさ」


「バカね、データだけ写メ? ってやつでどこかに送ってるかもしれないじゃないの。アンタもよくやるでしょ」


「私はクラウドにアップロードしてるの。それに和白さんのスマホ充電して調べてみたけど、メールにもクラウドにもおかしいところはなかったよ」


 え? どうやってロック解除したの?


「は? どうやってロック解除したのよ?」俺と同じようなことをオカマが聞いた。


「顔認証で一発だったよ。あれって寝ててもまぶた上げちゃえばロック解除できちゃうんだよねー」


「……アンタまさか私のもそうやって覗いてないでしょうね」


「え? まさか、やってないよ」


「ならいいわ」


「パスコード知ってるし」


「何もよくなかったわ。これ終わったら話があるわ」


「冗談だよ、冗談」


「……なんにせよ、もういかり屋には連絡してるから。あと十分ぐらいで着くんじゃないかしら」


 オカマがそう言った瞬間、香椎さんが硬直した。しん……と無音になった空間に重い空気が流れる。


「え……? き、聞いてないよ私」震えた声で香椎さんが言った。


「それアンタに言う必要あるの?」


 二人の話を聞きながら、俺は手足の拘束を解こうと、体をあちこちねじり続けていた。『いかりや』というのが何かは分からないが、香椎さんの反応から見るにろくでもない人達ということは間違いない。


 あと十分以内に、今の状況を脱しないと、俺は、どうなる。


「でもオッサン!」


「綾」


「っ!」


 オカマのやさしい口調に香椎さんが一瞬たじろいだ。綾というのは香椎さんの下の名前だろうか。


「車の中でいきさつは聞いてるし、アンタが一人でこの子をここまで大事に運んできたのもいろいろと察するわ。でもこればかりはダメよ。顔も見られてる名前も知られてる。いや、何より、男装しているアンタを、『香椎綾』を見抜ける奴を放っておくわけにはいかないのよ」


「……」


「恨むなら恨みなさい。考えは変えないから」


 香椎さんは数秒オカマを睨むと、やがて俺の背後に回ってきた。何をするつもりだろうと警戒したが、しばらくすると俺の口にはめられていたボールのような物が外れ、ゴトリと音を立てて床に転がった。


「……じゃあ、これぐらいはいいでしょ」


「……その子が泣きわめいたりしなければ、ね」


 香椎さんは人差し指を口に当て、『お静かに』というジェスチャーをするとさっきまでの作業に戻っていく。


 待って、待ってくれ。ゆっくりと息を吸い喉の調子を整えると、俺は言った。


「香椎さん」


 名前を呼ばれた彼女は振り返ると、口を一文字に結び、真剣な眼差しでこちらを見た。その顔は、何かを我慢してるみたいに悲痛そうな表情だった。


 くそ、なんで、そんな辛そうな顔するんだよ。俺は、ただ……。


「香椎さん……あの時」


「余計な物を見て、今度は余計なことまで聞くつもりかしら、黙ってた方がいいってこと、世の中にはあるわよね」


 オカマが俺の言葉を強引に遮った。この野郎。ん、待て余計な物ってそういえば……。


「あの女の人はどこに……?」


「それ、アンタに言う必要あるの」


 先ほどと同じ台詞。だが、そう思えないほど残酷な鋭さがあった。

 全身が一気に冷える。冷えきったナイフを背中にあてられたみたいだった。


「ちゃんとあの人は業者に引き渡したから安心して」


 香椎さんがにこりと笑って作業に戻る。

 今の言葉のどこに安心する要素があったんだろう。


「ちょっと、綾」


「分かってる。分かってるから、もう余計なこと言わないから怖い顔しないでよオッサン」


「……で、準備できたの」


「もうちょっと……うん、できた」


 ッターンと軽快に何かを叩く音がして香椎さんの動きが止まる。今の音……パソコンのキーボードを叩いた音だ。思わず、彼女達の方に視線を向けるが二人の体が邪魔で何をしてるのかよく分からなかった。


 背筋を伸ばしたり体を伸ばしてみるが、ギリギリ見えない。

 くそ……もうちょっと……いってぇ!


 手足が縛られているのに変に体を動かしたせいでバランスが崩れ、顔ごと床に激突する。だが、倒れて視点が変わったお陰で机上の様子が少しだけ見えた。


「え……」見覚えのある"それ"を見て、無意識に言葉が漏れる。


 パソコンのモニターが画面一杯にあるキャラクターを映していた。


 ショートケーキみたいな女の子だった。

 くりっとした丸い瞳からは可憐さが溢れ、微笑みは愛敬たっぷり。

 肩まで伸びた髪は赤と白のグラデーションで華やかに彩られ、イチゴとクリームを連想させる。

 焼きたてのスポンジケーキみたいな色をしたオフショルダーのセーターは彼女の真っ白な肌に映えて、よく似合っていた。


 柚須かふり。

 数時間前に露子と一緒に見た新人Vtuberが緑色の背景をバックに画面上で静止していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る