10話:暴かれた秘密

「柚須……かふり……?」


 なんで? もう配信時間か? なんでこの二人は今これを見てる? ファンか?

 いや違う。そもそもこれは――配信する側の画面だ。


「へぇ、知ってるの。まだデビュー前なのにこういう子にも知られてるってことはかなり期待できるわね」


 俺の呟きが聞こえたのか、感心したようにオカマが言った。


「そりゃ、チナちゃんが宣伝してたからね」


「いちいちうっさいわね……それで、配信時間まであとどれぐらい?」


「三十分、あとちょっと調整必要だけど余裕で間に合うよ」


「よしよし、いいじゃないの、じゃあ調整終わったらテストやるわよ」

 オカマはにやりと笑いながら俺の方を見た。


「お静かに。ね、子猫ちゃん」


「……よし、調整終わったよオッサン」


「じゃ、始めて」


「うん。……よし、ちゃんとついて行ってる……」


 カメラの前でゆらゆらと肩を揺らす香椎さんを、鏡写しで真似するように画面上の柚須かふりが体を動かす。


 まさか、香椎さんが……彼女が柚須かふりの中の人? でも、そんな……。


「動作はオッケーみたいね、次は挨拶よ、ビシッと決めなさい」


「……うん」


 ……なんだ? 一瞬、香椎さん俺の方を見たような……。


 マイクに向かい、緊張をほぐすように深呼吸を始めた香椎さんは、呼吸だけでなく気持ちを整えるように何度も肩をゆっくり上下させる。そして、一際大きく息を吸った後、意を決したように声を放った。


「…………は、はじめましてー柚須かふりでーす」


「……」


 確信した。この子が中の人なわけがない。だって、あまりにも。


「なんか棒読みじゃない?」


 そう、オカマの言うとおりカメラの前での演技がまるっきりできていない。さっきのぎこちない動きといい、声といい、素人と言っていいレベルだ。


 以前、露子が言っていた。


『くじごじって超大手の事務所でね、入るにはオーディションを何回も受ける必要があって、合格するのは数千人に一人ぐらいなんだって』


 倍率数千倍の圧倒的狭き門。その門はこんな素人が通れるほど甘くないだろう。

 じゃあ、なんで彼女達はこんなデータを持っている? チナ様が公開していたのは立ち絵ではなく設定画のイラストだった。本物の立ち絵データを持ってるのは関係者かあるいは……。


 そこで、あることを思い出す。


 香椎さん達は路地裏で女性を誘拐するだけじゃなく、SSDとハードディスクを部屋から持ち出していた。もしかして、あの中にデータが入っていたのか? じゃあ、柚須かふりの本当の中の人は……あの女性?


 香椎さん達は……柚須かふりになりすまそうとしてる? 何のために?


「どうしたのよアンタ、昨日の練習の時はもっと童貞を殺す声出せてたじゃないの」


「そうかな、こんなもんだったと思うよ。……いや待って童貞を殺す声ってなに」


 俺が考えている間も、オカマと香椎さんは呑気に話を続けている。

 なるほど、香椎さんの童貞を殺す声は気になる。って違う!


 予想を遙かに超えた事態のせいで頭がまわらなくなっている。思考を整理しろ!

 今、俺がすべきことは……。彼女達がなにをしようとしているのかじゃなくて、いかり屋ってのが来る前にここから逃げる方法を考えることだ。


 考えろ考えろ考えろ!! 何かないか何かないか。まだ時間はあるはず何か――。


 ヒュポン。

 必死で頭を働かせている最中、出し抜けにオカマのスマホから通知音が鳴った。


「あら、いかり屋思ったより早く着いたみたい。いま下にいるって」


「え? もう着いたのオッサン?」


 もう着いたの? マジ?


「……最後に言いたいことがあれば言っておきなさい。それぐらいは許してあげるわ」


 哀れむような声色でオカマが言う。先ほどの冷淡な口調とはうってかわった柔らかい態度と台詞が俺のこれからを予感させた。脊髄反射で俺は声をあげる。


「香椎さ……!」


「……和白さん、船のいかりって分かる?」


 え、突然、何を……。

 呆気にとられていると、香椎さんはそのまま話を続ける。


「いかり屋ってそれから来てるんだよ。つまり、。あ、安心して。痛めつけたりとかそういうことはしない人達だから。……でも和白さんがあんまりうるさくしてると、いかり屋さん達も機嫌悪くなって仕事が大雑把になるかもしれないよ」


 予想していたことが確実になった衝撃で出しかけた言葉が喉の奥に引っ込む。

 全身から血の気が引き、心臓の鼓動が加速するのが分かった。


 もう打つ手がない。


 黙り込んだ俺を慰めるように香椎さんは自らの指を二本、俺の唇にゆっくりとあてがう。そして、ゆっくりと囁いた。


「だから、静かにしてて。私はこの配信を成功させて、絶対に、何が何でも必ず、登録者数五十万人達成しないといけないから」


 は? そんなの絶対――。 


 その瞬間、頭の中でアイデアが弾けた。

 いや、だけどそれは、それだけはマジで無理だ! 他の、他の方法はないか!?

 

 その時。

 ンッ……ポーーン、とわざとリズムを外したようなチャイムの音が部屋に響いた。


「来たみたいね、ちょっと行ってくるわ」


 オカマがそう言って、入口の方へと歩き始める。

 やばい! なんとか引き止めないと!


「ま、待ってそこの……オカマ!」


「ぶはっ!!」

 香椎さんが盛大に吹き出す。俺の台詞がクリーンヒットしたようで口元を押さえプルプルと震えていた。


 だが、肝心のオカマ本人は俺の挑発に乗らなかった。必死に笑いを堪える香椎さんを無視し、オカマは入口に向けて歩き続ける。もう俺に話すことは何もないということなのだろう。


 あれ……このままオカマが部屋から出たら……俺は……海の底? 


 気づいた途端、これまで人生が体の奥から噴水のように湧き出し、脳内に満ちる。

 あぁ、これが走馬灯か。

 家を空けがちな親の顔。物心ついたときからずっとそばにいた幼馴染。

 もう会えない大事な人たちの事を想うと申し訳なさと寂しさで心がいっぱいになる。


 そして、最後に一番大事な記憶が顔を出す。


 俺の部屋。クローゼットの一番奥。俺の一番大事な……。


 待て。

 いや待て……待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待てよ!! 

 このままだと……どうなる!? 

 俺がいなくなる……そうなると当然……ヤバイ!!!


 ――死ねない! 俺はいまこんなところで死ぬわけにはいかない!!

 もう、覚悟を決めるしかない!!


「はは……あははははははははははははははははははははははははははは!!!」


 狂ったような笑い声を、腹に力を込めて部屋中に響かせる。

 甲高い声が耳障りだったのかオカマが顔をしかめ、わずかに俺の方を振り向く。


 かかった!


「登録者数五十万? そんなの絶対に無理だ!! Vtuberがこの世に出てきてから何年経ったと思ってる? 何人Vtuberがいると思ってる? もうVってだけで人気が出る時代はとっくの昔に終わってる!! たとえ大手所属だろうが関係ない! それに、香椎さんみたいな素人がやるならこの配信は絶対に失敗する! 最初の配信で勢いつけられなかった配信者の登録者数なんていいとこ数万で頭打ちだ!! 断言してもいい! 香椎さんじゃ登録者五十万人なんて不可能だ!」


 言い切ったところで、オカマが苦々しいような顔をして俺のすぐそばまで詰め寄ってくる。


「何言ってんのアンタ、そんなのやってみなきゃ……」


「まるで、和白さんなら私よりうまくできるって言いたげだね」


 用意していたような絶好の答えを香椎さんが返す。その答えを聞いて、違和感が頭をよぎった。だが、俺はそれをあえて無視して彼女の言葉に乗る。


「……そうだ」


「はぁ?」オカマが訝しげに眉をひそめた。


「任せてくれればこの配信、絶対に成功させてみせる。登録者数だって稼いでみせる。だから、代われ」


「アンタ、冗談もほどほどに……」


「俺は!!」


 俺の声を聞いたオカマが一瞬ぎょっとするような表情を見せる。

 そりゃそうだ、なんたって今のは“地声”だ。


「……俺は配信者だ。チャンネル名は……『すわんチャンネル』」


「綾、調べて」


 香椎さんは即座にスマホを操作しオカマに手渡した。受け取ったオカマは顔をしかめて俺と画面を見比べる。やがて、スマホを持つ手が小刻みに震え始めた。


「……嘘でしょ」


 そう呟いたオカマは俺の頭を片手で力強く掴む。

 そして、そのまま頭皮を引き剥がす程の勢いで、掴んだ手を思い切り振り抜いた。


 ロングヘアーのウィッグがネットごと頭から剥がれ、地毛の短髪が顔を出した。

 閉じ込められていた熱気が解放され、何時間ぶりかの新鮮な空気が、汗で湿った頭皮を通りぬける。


 あぁ涼しい……。コラボカフェに行く直前から数時間被りっぱなしだったはずだ。そりゃ蒸れるな。


 そんなことを考えながら、俺は荒ぶるオカマのなすがままになっていた。

 

 お気に入りのチョーカーがむしり取られ、隠していた喉仏があらわになる。

 

 おろしたてのワンピの襟を無造作に広げられ、骨張った肩と平坦な胸が晒される。


 そして仕上げとばかりにオカマは俺の顔をゆっくりと手で拭う。

 薄く載せていたメイクが、オカマの手に貼り付き、ピンクと白の斑模様ができた。


 俺の女装が初めてバレた瞬間だった。


「……女だと思ってたわ」

 見破れなかった屈辱なのかゆがんだ表情でオカマが言った。


「誰がそんなこと言った」


 オカマを睨み返す。ビビったら死ぬという確信があった。たとえ自分が今どれだけ滑稽な格好でも関係ない。怖気づいたら負けだ。その威勢がどこまで通じたのか、オカマは俺から顔を背けると香椎さんの方を向いた。


 あ……! そういえば、彼女の存在を忘れていた。


 内心で冷や汗をかきながら香椎さんの様子をうかがう。

 たまたま知り合って意気投合した子が実は女装男だと知った彼女がどういう反応をするのか読めなかったし、何より……怖かった。驚愕? 軽蔑? それとも……。 恐る恐る、俺は香椎さんの方を見た。


 だが、彼女は……驚きも軽蔑もしていなかった。

 まるでタネを知っている手品を見たときのような無表情で、俺をじっと眺めていた。


「ちょっと綾! アンタ……」


「私は知らなかった」


「知らなかった? アンタに限ってそんな……!」


「私は、知らなかった」


「……チッ! じゃあそういうことにしといてあげるわよ」


 ……? どういうことだ……? “アンタに限って”? いやでも確かにあの反応は……。


「……女装配信者『すわん』登録者数……三十五万人……!? な、なるほど、たしかにすごいじゃないの」 


 感心と警戒が混じったようなオカマの声が聞こえ、一旦視線を戻す。オカマは口に手を当て考え込んでいるようだった。ブツブツと漏れている言葉の切れ端を聞き取るため耳を澄ます。


「……最悪、後で始末すれば……」


 くそが! 一番聞きたくない部分だけやけに鮮明に聞こえたぞ!


 発言の意図を測ろうと更に注意深く両耳に意識を集中させた、その時。


 ピポンッ。二度目のインターホンが鳴った。

 いかり屋が痺れを切らしたのだろうか。先程の間延びした音とは一転し、急かすような短い音だった。


「……よし、決めたわ」


 オカマが意を決したように顔を上げた。


「あんた、やってみなさい」


「……タダでやれと?」俺はオカマを睨みつけたまま言った。


「安心なさい。ちゃんとお家には帰したげるわよ」


 オカマはそう言うと香椎さんに何か小声で指示した。それを受けた彼女は無言で俺の後ろに回り込み手足の拘束を外す。


「ただし、あんたがこの配信をちゃんと成功させたらの話だけど。……あんだけ大口叩いたんだもの、出来て当然よね?」

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