11話:配信準備
俺は香椎さんが座っていた椅子に座り、モニターが置かれた机と向き合う。
机の上にはモニターだけでなく、マイクとカメラが俺を囲むように置かれており、顔出し実況でよく見るようなセッティングがされていた。
部屋や機材の種類がいつもと違うせいか、慣れない雰囲気に心臓のドクドクと脈動するのを感じる。
さぁ、気合い入れろよ俺。
トンと軽く胸を拳で叩く、ワンピースの胸部分にシワが残った。
なお、剥ぎ取られたチョーカーとウィッグは拘束が解かれた後すぐに回収して付け直した。乱れた服もきちんと整えたので万全の状態で配信に臨んでいる。
いや、流石にメイクを直す暇はなかったから八割ぐらいの状態か。わざわざ女装しなおした俺を、オカマが白い目で見ていた気がするがそれは無視する。
まず、OBS(配信用ソフト)の画面を確認する。
灰色をベース色とした画面に、配信画面と設定項目が表示されていた。
いつも配信で使っているソフトだから操作方法は手に取るように分かる。
軽く動作を確認してみると、香椎さんが言ったとおりあらかたの設定は終わっているようだった。
ソフトの設定を確認したら、次はオカマがプリントアウトした台本に目を通す。
配信というものはアマチュアならともかくプロならば大体の流れは台本で決まっている。以前、あるYoutuber事務所の配信者が言っていたことだ。
二人が持ち出したハードディスクの中身を調べたら台本のデータはすぐ見つかった。台本には配信の流れと柚須かふりの詳細なプロフィールが書かれており、大まかな流れはこうだ。
一、挨拶
二、自己紹介
三、フリートーク
と、初配信としてはごくごく普通の流れだ。台本での配信予定時間は約三十分だから、ほとんどは自己紹介で消費することになるだろう。内容はそこまで難しくない。問題は……。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
「自分で言ったくせにそわそわしないでオッサン、みっともないから」
「るっさいわね、アンタこそ貧乏ゆすりしてるじゃないの」
「これは……違うから、いやマジで違うから! そ、それより、いかり屋さんはなんて?」
「別に何も。色々と文句言ってたけどこっちがキャンセル料払うって言ったらコロリと態度変えて帰ったわ。現金な奴よね。……っていうか決めてからこんなこと聞くのもアレだけど、アンタは良かったのあいつに任せて」
「……いいと思うよ、少なくとも私よりかは」
二人の話し声が俺の所まで届いてくる。
配信する間、オカマと香椎さんは部屋の端で待機していた。「配信中、アタシ達の姿や声が入ると邪魔でしょ」とのオカマの意見だ。なんとなく横目で二人の様子を盗み見る。
オカマはダイニングの入口前に陣取るように腕を組んで仁王立ちし、その隣では香椎さんがちょこんと体育座りしていた。そして、二人して俺のことをじっと見ている。
そういえば人前で配信するのって初めてなのに、思ったより緊張してないな。
あれだけのハッタリかました以上、成功しか許されず、そのうえ少しでもヘマをしたら海底行きだというのに。
緊張どころか……胸が高鳴っていた。
いつも配信前に感じる期待や不安だけじゃない。これは……チャンスだ。今まで培ってきた経験と知識、それを披露するための大舞台。
新人が、初回から人気を出すにはどうすればいいか? それは配信者に限らずコンテンツを作り公開する人間にとって最大の問題ともいえる。
公開した活動や作品が初っ端から人気爆発! 満員御礼! なんてことは滅多にない。やがて評価されるような人間でも、最初は泣かず飛ばずで自分の実力と現実を知るのがスタートライン。その後、地道に活動を続けファンを少しずつ増やす。それが王道であり常識だ。
だが、山のように出てくる新人の一部には、そんな常識を軽く覆してしまう例外も確実に存在する。実際、俺が活動している女装配信界隈でも、配信初回からバズった人は何人かいる。
彼等に共通していたこと……それは、『華』だ。
華とも言える強烈な個性。それが出だしから視聴者を強烈に惹きつけ魅了していた。整った顔、あるいは編集の分かりやすさ、あるいは声、性格、体型……。
そんな彼等に、強烈に憧れたし、猛烈に嫉妬もした。
俺が新人だった時は右も左もわからずただカメラに向かうことしか考えられなかった。後悔も失敗もたくさんあった。戻れるならこうすればよかったと何度思ったことか。
今、それができる絶好の機会だ。作り手としてこんなに胸躍ることはない。
さぁ、戦い方を考えろ。
「……なんかにやにやしてて気持ち悪いわね」
「オッサン、しーっ!」
……あのオカマ、あとで覚えてろよ。
まず、大事なのはこの配信は『くじごじ』新人Vの初配信ということ。
大手の新人Vというのは、無条件でSNSの話題にのぼるものだ。あまりVtuberを見ない俺でさえ、女装アカウントのフォロワーが引用リツイートやらで話に上げているのを何度か見たことがある。
界隈外の人間でも見かける程のニュースならば、ファンの中ではさぞかし話題になっているのは想像に難くない。実際、露子の食いつきようは凄かった。しかも、トップVtuberのチナ様が宣伝しているため事前の注目度はマックスだろう。
これは大きなメリットだ。集客の心配がない。少なくとも視聴者数ゼロで心が折れる、なんてことはない。ならば、次に俺が考えるべきは、配信に何人集まるかの予想。そして集まった人数のうちどれだけの人の興味を惹くことができるか。この二つだ。
時計を確認する。八時四十五分。配信開始まで残り十五分。俺は急いでPCのブラウザを立ち上げて、チナ様のTwitterとYoutubeのアカウントを調べる。
出てきた情報によると、チナ様のSNSフォロワー数とチャンネル登録者数はそれぞれ百万と七十万。やっべぇ……。
チナ様は配信だけじゃなくTwitterでもかふりの宣伝をしていた。ツイートの表示数を見てみると約五十万。『くじごじ』公式の宣伝ツイートも同じような数だ。合計百万。
チナ様の広告効果がどれぐらいかは分からないが、一般的なWeb広告の効果は○.一%程度と聞いたことがある。SNSでの宣伝はそれよりも効果は大きいだろうから、大目に見て一%の人が見に来ると考えた場合、一万人は見に来るだろう。数がエグすぎる……。こちとら千人すら越えたことねぇぞ。
だが、大事なのは初配信の視聴者数ではない。次の配信も見てくれる人の数。いわゆる継続率だ。この人の配信を次も見たい!と見ている人に思ってもらわなければ数字の大きさに意味はない。
継続率を上げるためには、俺が以前憧れた先人のような、視聴者の心に残る強烈な個性が必要だ。しかし、ここで大きな問題が出てくる。
『柚須かふり』のプロフィールにそんな個性は存在しない。
元々このキャラはお菓子をモチーフにしたVtuberらしく、基本的な自己紹介の内容はともかくとして、特技もお菓子作りというひねりのないものだった。
台本や、配信素材には過去につくった料理の紹介を行うための文章や画像なども含まれていたがはっきり言ってインパクト不足だ。
つまり、俺は今から柚須かふりの『華』をイチから作り上げる必要がある。
再び時計を確認する。配信十分前。
……アレならいける。 だが、それをするには俺一人だと人手が足りない。
「……香椎さん!」
唐突に呼びかけられた香椎さんが体育座りの状態からぴょんと跳ねるように立ち上がり、こちらに駆けてくる。
「は、はい!」
「配信中に機材の操作頼めるかな、設定してたし操作もできるよね」
「う、うん。昨日、一通り練習したし、大丈夫だと思うけど」
「あと、俺が合図したら…………をお願い」
「え? ……いいけど、何するの和白さん」
「……秘密」
「……オッケー、任せて」
笑ってそう言うと香椎さんは、カメラから見えない位置に椅子を持ってきて、俺の隣で作業を始めた。
「……ちょっとアタシの出番は無いの?」
放置されていたオカマが、部屋の端から突然声を飛ばしてくる。
「急にどうしたのオッサン、寂しがり屋さんか?」
「誰がよ、ガキが動いてるのに大人のアタシがぼーっと突っ立ってる訳にはいかないでしょ」
「……だってさ、どうする和白さん?」
「え? えーとじゃあ台本持ってカンペ役で」
俺が指示するとオカマは印刷した台本の紙を確認する。
「……これじゃ見にくいでしょ、文字大きくするわ。というわけで綾、お願い」
「いや、自分でやってよオッサン!」
迷惑そうにそう言う香椎さんだが、どこか楽しそうだった。
そして、台本と機材の準備が終わった。まさにその時。
配信が始まった。
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