4話:コラボカフェの王子
福岡パルコ新館六階は西部劇の酒場のように殺気立った雰囲気に包まれていた。
原因はこの階にあるカフェだ。普段であれば散り散りになっているはずの客の流れがフロア片隅のカフェ店に集中していた。
「遅かったか……!?」
俺はカフェに並ぶ行列をにらみつける。
視界に入ったポスターにはこう書かれていた。
『世間で超話題の『なんかわコラボカフェ』開催中!』
客の目当てはこのコラボカフェである。もちろん、俺の目的もこれだ。ポスターにかかれている、ネズミともクマともとれるマスコットをじっと見つめる。
…………かわいいぃぃぃ~~~~~~~!!
顔がにやけそうになるのを必死に堪える。
『なんかわ』とは数年前からSNSで連載されているWeb漫画である。その可愛らしいキャラデザとほのぼのした世界観が注目を浴び、今では朝のテレビ番組でも取り上げられるほどの大人気作品だ。
その人気は今や絶頂期。関連書籍は即日品切れ。グッズ展開も幅広く、消しゴムから物干し竿まで多岐にわたる。特にぬいぐるみなどの直に愛でられる物の人気は凄まじく、発売直後に売り切れた品がフリマアプリで即座に高額転売されている始末だ。
ネット通販開始時間に凸したにも関わらずサーバーが激重で商品を選ぶことすらできず、フリマアプリやオークションサイトで高額転売された商品を見て何度涙を飲んだことか……!
転売屋絶対に許さねぇ。
黙々と一人で勝手に恨みを募らせていると、コラボカフェの入口から声が飛んできた。
「人気商品の『コックなんかわデカぬいぐるみ』は抽選販売となりまーす! お求めのお客様は予約チケットをスタッフに見せていただき抽選券を受け取って下さーい!」
は? 抽選販売?
慌ててスマホでコラボカフェの情報を確認する。すると確かに数日前の更新でその情報が載っていた。それならわざわざ急いで走ってくる必要も無かったか……。
息切れしていた呼吸を整えて、額の汗を拭う。
俺の目当てはコラボカフェで食事するだけではない。このコラボカフェの限定商品である『コックなんかわデカぬいぐるみ』、通称『なんかわコック』も目的の一つだ。すでにネット上では定価の倍以上の値段で取引されているこのグッズ、なんとしてもここで手に入れたい。
「予約の方は入場の際にチケットをご提示下さーい」
店員さんの呼び声に応じて、列が動き始めた。
――――――
「こちらの席にどうぞ」
店員さんに案内されるまま俺は席に着いた。
まず、店の内装をじっくりと観察する。店の壁紙はコラボカフェ仕様にアレンジされており、『なんかわ』のキャラクター達が壁一面に転々と描かれていた。
それだけでなく店内の各所には『なんかわ』キャラクターの大型ポップが置かれ、店の入口にはコラボカフェ限定品が陳列されている棚もあり、もはや神々しささえあった。
うむ、かわいい。
そして、見回して気づいたことは他にもあった。やはりというか他のお客の九割以上が女性だ。誰に何かを言われたわけでもないのに突然肩身が狭くなる気分がした。
来る前にトイレで着替えてきてよかった……。いくらなんでもこの空間に
「お客様、客席の都合上相席となりますがご了承下さい」
俺は無言で頷く。
公式サイトにも相席のことは書いてあったので特に驚くことはない。コラボカフェのようなイベントはどうしても混雑してしまうため、相席は珍しくない。俺が座っている席は二人がけの小さいテーブル席なのでもう一人誰かがくるのだろう。
周りの客層から考えるに恐らく女性だろうか。相席相手と作品のことで盛り上がるということもあるらしいが、俺は一人で世界観に浸りたいタイプなので極力話しかけられないようにテーブルの上にあったメニューを開く。
決して女性と話すと緊張してしまうからではない。
まぁ、声をかけられたらかけられたでそっけない返事をしておけば特に踏み込まれることもないだろう。
「こちらの席にどうぞ」
いつのまにか、相席相手を案内してきた店員さんが俺のテーブルの横まで来ていた。顔をメニューに向けながら、目線だけ店員さんの隣に向ける。
一瞬、息が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
王子様みたいに綺麗な子がそこに立っていた。
艶のある濡れ羽色のショートヘア、気品がありつつも柔らかく温かい顔立ち、高すぎもせず低すぎもせず、スラリとした無駄のないスタイル。
それら全てがバランス良く調和し、威厳ある雰囲気を纏っている。
こんな映画だか漫画に出てきそうな奴が目の前に立ってるんだから驚きだ。
だけど、最も驚いたのは……着ている服だ。
そいつはウチの高校の制服を着ていた。しかも――
襟の校章を見るに俺と同じ二年生。
そいつはペコリと頭を下げると、向かいの席に着いた。俺は動揺を抑えつつ、今まで見ていたメニューを無言で渡す。そいつは、手にしていたスマホをテーブルに置き、メニューを受け取ると小さい声で「ありがとう」と言った。
その声を聞いて俺は考える。こいつは誰だ? 目の前に座る奴の顔に俺は覚えがなかった。俺は顔が広い方ではないが一年間通った学校の同学年の生徒だというのに一度も顔を見た記憶がない。こんなに綺麗な子ならなおさら覚えているはずだ。
俺は心の中で向かいの奴に『王子』と仮の名を付けた。
俺が考えに耽っていると、王子は店員さんを呼んで、早速注文を始めた。
「えーと、『なんかわのにっこりパンケーキ』をお願いします」
そう言うと王子は俺の方を向いた。
なんだろうと少し思ったが、目線で俺に注文を促しているのだと分かった。
「……じゃあ、自分は『なんかわのすやすやオムライス』で、あとドリンクは『みんなのクリームソーダ』」
俺がそう言った後、店員さんは注文を繰り返し確認すると、厨房の方へ戻った。
「……」
「……」
なんとなく気まずい沈黙が俺と王子の間に流れる。
お互い、スマホをいじるということもせず、ただ視線だけを宙に浮かべていた。
アイコンタクトとはいえ、一度は意思疎通をした相手と再び無言で向き合うのはわざとらしく他人を装っているような気分だ。いや実際他人なのだけど。……本当に他人か? 少なくともウチの高校の生徒じゃ?
……待て、よく見るとコイツ。
あることに気が向いたところで、沈黙に耐えかねたのか王子が口を開いた。
「えっと……きみも『なんかわ』好きなんですか?」
好きなんてもんじゃないが? 何なら最古参を自負しているが?
反射的に取らなくてもいいマウントを取りそうになるがぐっと抑える。
「……まぁ、普通に」
俺は適当に言葉を濁した。
「す、好きじゃなきゃ来ないですよねー……あははは」
絞り出したような早口でそう笑うと王子は口を閉じた。
再び、なんとも言えない空気が俺と王子の間を漂う
変わった奴だなと俺は思った。
学ラン着てこんなとこ来てしかも相席相手に話しかけるぐらい肝が据わっているのにやけにぎこちない態度だ。いや、それよりも気にすべき事は他にあった。
俺は王子から視線を外すと、周りの会話に聞き耳を立てる。
「……学ラン?」
「……高校生かな、かわいー」
この注目度である。そりゃ目立つよね男子制服は。
周囲の全視線が俺たちに集中しているように思えてきて、背中がぞわぞわしてくる。一人でなんかわ世界に浸るつもりがこんなに注目を浴びるなんて。
とんだ邪魔が入ってしまった。
いや、今からでも遅くはない。俺はこれ以上王子と関わらないようにするためワイヤレスイヤホンを取り出した。
これ以上注目を浴びるわけにはいかないし、こいつとはこれ以上話すこともない。
話しかけるなオーラを出しながら、テーブルの向かいを見ると王子と目が合った。
王子の黒い瞳が俺をまっすぐ見据えていた。吸い込まれそうなほどの漆黒が深淵のように俺をのぞき込む。一秒にも満たない時間、その瞳に思わず見惚れそうになっていると突然、ブン!!と音がしそうなほどの勢いで王子が首を横に振った。
こわっ! 急にどうした!?
王子の奇行に少しビビりつつ、なんとなく視線を落とすと王子の手首に巻いてある物が目に入った。その瞬間、心臓がバクンと跳ねた。
まさか。
「それ……」
口から言葉がこぼれ落ちる。
「え……あ、これですか、えーっとこれは」
「なんかわスマートウォッチ!!」
「え」
「マジか! 本物初めて見た!!」
なんかわスマートウォッチ! 超有名IT企業とのコラボ展開で通販限定百個しか販売されなかった伝説の品!! キャラ物とは思えない多機能さで基本的なスマートウォッチの機能以外にも通話、録音、心拍、健康管理、転倒時の通知、無くしたとき用の位置特定機能まで完備している超高級品!!
本物だ! まさかここでお目にかかれようとは!!
「えと」
「どうやってこれを!?」
「し、知り合いが買ってくれた物で」
「マッジで! 販売開始直後に通販サイトのサーバーが落ちて、ほとんどの人が買えなかったシロモノなのに!?」
「たまたま在庫があったとかで」
「運が良すぎる!! こちとら必死にお金かき集めて、学校も休んで平日の昼にPCとスマホ用意して血眼で待機してたのに三十秒も経たずに完売したんだよ!? もうあまりの早さにそもそも本当にあるのかと疑問に思ったもんよ!! 実際Twitterとかインスタでも、写真上げてる人みんなパチモンでさぁ! ああいう人がいるからファンの民度が落ちていくって言うかさ、あぁ違うよね、いやマジすげぇ! えっ、ちょっと触ってみて良いかな、いやダメだよねごめん、待ってマジ無理、じゃあ写真だけでも――」
推しへの迸る愛が、溶けた鉄のように熱となって胸の奥からドロリと流れ出てくる。止めどなく溢れる想いを垂れ流すのはなんともいえない快感だ。露子のことをとやかく言えたもんではない。なんかわについてこんなに話すのはいつぶりだろうか。
と、熱っぽく語る自分を俯瞰しているところで、怒濤のトークに王子が硬直していることにようやく気がついた。
……やってしまった。
パチパチと何度も瞬きしながら、王子はおずおずと口を開く。
「……なんかわ……すっごく好きなんですね……」
「………………はい」
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