3話:トップVtuber『神崎チナ』
「……まぁこれでいいだろ」
「ありがと、つる」
俺達は天神地下街にあるベンチで、露子の足の痛みが治まるまでひと休みすることにした。くじいた部分には湿布を貼ったのでしばらくすれば痛みは引くだろう。
ちなみに湿布を地下街のマツキヨに買いに走り、彼女の足に貼ったのは俺である。
何故か金も俺が持った。手持ちがないなら怪我しないで欲しいなぁ。
「ごめんね、今月ピンチで」申し訳なさそうに露子が言った。
「いいよ別に。でも何で金ないんだよ、ガチャ? 召喚? スカウト?」
「全部一緒じゃんそれ。えーと……推し活だよ」
「なんだ投げ銭か」
「言い方!」
「ごめんごめ……」
「それだとまるで私が風俗店でお姉さんの色気にくらんでお金ばらまく寂しい限界独身中年男性みたいじゃん!」
「言い方!!」
「……にしても本当につるはV見ないよね、面白いから見ようって言ってるのに、確かにお金は使い込んじゃうけど」
「その紹介で見るわけないだろ。ってか使い込みの自覚があるなら控えろよ」
「自覚して止められるものならとっくの昔にしてるわ!」
「それもそうか」
「え、あ、うん」
会話の勢いをそがれてつんのめったのか、露子はそのまま口を閉じた。
そうやって大人しくしてくれれば早く痛みも引くだろう。
このタイムロスは痛いが、まだ時間に余裕はある。早くいつもの所で分かれて走り出したい気持ちを落ち着けるため、俺も黙ることにした。
しばらくすると、露子は突然ハッとした顔をしてスマホを取り出した。つられて何となく俺も横から彼女のスマホをのぞき込む。画面には先ほどと同様Youtubeが表示されていた。しかし、配信者が違っている。
「セーフ! チナ様の配信、見逃すところだった!」
画面の向こうでは可憐な少女が笑っていた。
銀のコサージュと金のロングヘアーが輝くエフェクトと一緒に揺れ動き、画面を彩る。それらと対照的なモノクロのゴスロリファッションに身を包む姿は高級感のあるアンティーク人形みたいだった。容姿も可愛らしく、燃えさかる炎を結晶に固めたような紅い瞳がひときわ印象的に光る。
彼女こそ大手Vtuber事務所トップV、露子の最推し、囚われの姫系Vtuber『チナ様』こと神崎チナだった。何度も露子が話題にしていたのでVを見ない俺でもすっかり名前と顔を覚えてしまい、彼女のことを『チナ様』と呼んでいる。
『視聴者のみなさん、こんばんはー! チナだよー! 帰宅途中の方も多いかな、ごめんねぇ少し早かったかも』
ワイヤレスイヤホンの接続が切れているらしく、スピーカーの音が俺にまで届いていた。音漏れを教えてあげようかと思ったが、のめり込んでいる露子を見ると水を差すのは無粋に思えた。
『今日はねー、チナもがっこ、……じゃなかった、捕虜の仕事が忙しくてー』
「うぇっ、へへぇ、ふひっ」
チナ様の一挙一動に露子は漏らしてはいけない声を漏らし、頬を限界以上に緩ませる。一方、話し続けるチナ様の笑顔はずっと崩れない。それが俺には少し不気味に感じた。
彼か彼女かさえ分からない、画面の向こうの誰か。
その人は、果たして本当にこのキャラと同じ表情をしているのだろうか。
しているのかもしれないし、していないのかもしれない。
どっちにしろ俺に確かめる方法なんてない。
でも、もしも、この子の正体がもしも……。
「……」
最悪の想像をしてしまった俺は、目を伏せ画面から目を離した。
『今日はねぇ、事前に言ってたけど嬉しいお知らせがありまーす』
「うんうん」
チナ様の言葉に露子が相づちを打った。音漏れには気づいていないようだ。
『なんと、私たちのVtuber事務所『くじごじ』に新人が入ることになりましたー』
「うえぇぇっ!!」
露子は大声で驚いた後、ハッとした表情でこちらを見てペコペコと頭を下げる。思わず叫んだことに謝っているのだろう。いや、全部聞こえてるんだけど。
露子が画面に向き直るのを見て、俺も再び横から露子のスマホをのぞき込む。
『なんか、カンコーレーってのがあって、まだ今は全部紹介できないんだけどービジュアルと名前だけはみんなに教えて良いってー……』
チナ様の腕がごそごそと何かをいじくる。おそらく手元で機材を操作しているのだろう。やがて、彼女の背景にキャラクターの設定画のようなものが表示された。
『じゃーん、名前はー『柚須かふり』ちゃんでーす』
「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
トドメをさされたラスボスのような悲鳴がした。
こいつどっからこんな声出してんだろ。
俺は幼馴染みの奇行をスルーして、画面に目を戻す。
ショートケーキみたいな女の子だった。
くりっとした丸い瞳からは可憐さが溢れ、微笑みは愛敬たっぷり。
肩まで伸びた髪は赤と白のグラデーションで華やかに彩られ、イチゴとクリームを連想させる。
焼きたてのスポンジケーキみたいな色をしたオフショルダーのセーターは彼女の真っ白な肌に映えて、よく似合っていた。
不意に、混じりけの無い湧き水のような感情が口からこぼれる。
「……かわいい」
「え?」露子がぐるりと顔をこちらに向けた。
あ、やばい。
何かスイッチが入る音がした。
恐る恐る露子の方を見ると、固まった笑顔の背景にゴゴゴという擬音が湧いている幻覚が見えた。語るべき機を見つけた熱い想いが彼女の中で煮え立っているのがわかった。最大級の警戒警報が脳裏を脱兎のごとく走る。この場から離れなければ。
「つる、チナ様のこと知りた――」
先手を取られた! だがまだ間に合う!
「くないです。さよう――」
「なこといわないで、聞いて!!!!!!」
後の先まで取られた。負けだ。
露子は、立ち上がろうとした俺の腕を絡め取り、足を踏みつけ、捕獲した獲物を逃がさないよう全力で押さえ込んだ。
端から見ると公衆の面前で高校生カップルが体を絡めてイチャついているようにも見えただろう。なんなら通行人から舌打ちも聞こえた。しかし実際は違う。関節キメられてクソ痛ぇ! おいそこの露骨に嫌そうな顔してる奴代われ!
「そうなんだよ、かわいいんだよチナ様は!!」
今までとは五割増しの声量で露子が叫んだ。
「いや、ちょっと待っ」
「まずね、チナ様は『くじごじ』の中でもトップクラスの人気配信者でね」
「露子さ」
「その類い稀なるトークスキルとリアクション芸が絶大な人気を誇っていて、初見の人でも」
「声のボリュームを」
「しかもコレは噂なんだけど実は私たちと同じ高校生って話があってそれもまた推せる要素でとにかく面白くて可愛くて素晴らしくて尊くて」
「人の話を聞けええええぇぇぇぇぇっっ!!!!!!!!!!!」
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