きっと終わらないカクレンボなんだ
ジェンダー学というより、女性学である。
講義特有のつまらなさと、それだけではない倦怠感が、教室中に漂っていた。
エゴイスティックな口調の教授に対し、春香は少しがっかりしていた。
世の中、「一般的」な女性と、「一般的な」男性だけじゃないだろうに。
結局のところ、春香のような人間は、保護される対象としての「奇特な」だ。
グループワークが始まって、教室が少しざわついてくる。
春香の前に座ったのは、同じクラスの奈々だ。特段話したことはないが、積極的に参加している様子はない。
いつも終了時間ぎりぎりまでミニットペーパーとにらめっこしている春香に比べ、奈々はすぐにそれを提出する。
かかとが高いヒールブーツが、黒色に鳴るのを、授業終わりに荷物を詰めながら、春香は延々と聞いている。
今日のグループワークの課題は、同性婚問題の是非についてである。
この問題の回答は、この教室の中ではすでに決まっている。
単位を取るには、「同意」と「賞賛」があればいい。そういうところも、少なからず春香を苦しめていた。
「気持ち悪いと、そう思うわ」
奈々がそう言い切った。同じグループの残りのメンバーが、困ったような表情をする。
「第一、こうやってわざわざカテゴライズして語られている時点で、世の中は受け入れられていないってみんな自覚しているんでしょう。こんな大層なことをして、限られた空間でも同意を形成しようなんて、気色悪いったらないわ」
「じゃあ、川西さんは同性婚の法制化に反対ってこと?」
「そうは言ってないわ。なんだか、この授業で認めるのは癪なのよね」
机を挟んで、沈黙が流れる。
春香は、奈々の言いたいことが少し分かる気がした。
しかし、そうしている間にも授業終了の時間は刻一刻と迫って来る。
そうして発表資料を作成することができなければ、不利益を被るのは強情な奈々だけでなく、春香を含めグループメンバー全員だ。
「じゃあ川西さんはどう思っているわけ?」
痺れを切らしたメンバーの一人が、奈々に詰め寄る。
このメンバーの名前は覚えていないが、ジェンダー関連の活動に熱心だったことは覚えている。
初めて隣の席になった時に、どうしてこの授業を履修しているのかと再三問われ、春香は笑顔の中に、軽く顔をしかめた。
その時は気付かれなかった微かな気持ちの伝達を、この人がしているという事実が、少し滑稽だ。
「イケメン同士ならいいわ。女同士はちょっと受け入れがたいね」
「そういうのが結局差別なのよ? 結婚だって、もちろんそれだけじゃないけど、みんなに認められる権利なんだから」
「でも私がこうして気持ち悪いなって思う権利だって当然あるわけでしょ。どうしてそれが、同性カップルのあれこれより優先されないの?」
「思うだけなら自由だわ、でもそれを口に出したら、ただでさえ苦しい思いをしている人が、さらに抑圧されるでしょう」
そこまで聞いて、奈々は脚を組みなおした。
長い脚につられて、春香はそれを盗み見る。
奈々と一瞬だけ目があったような感じがして、春香は机に視線を落とした。
「見た目がこぎれいならなんでもいいわよ、同性婚だけじゃないわ、結局世の中、見た目を整えないで気持ち悪がられない権利を主張するの、本当に意味わからないわ。結局みんな、見た目で決めつけて来るくせに」
「そんなことない。それは川西さんが斜に構えて見ているだけじゃない。私だってきれいな見た目をしているわけじゃないけど、困ったことはないわ」
「結局あなたも差別する側と同じってわけね。『抑圧された人々』の声を拾っているふりして、自分の知らない、興味ない問題にはてんで無関心、ってわけ」
口論の相手が口をつぐんだのを見た。
授業の趣旨からは脱線しているが、構造としては同一である。
きっと、奈々はこの整った見た目を得るまでに、いくつかの「抑圧」を体験してきたのだろう。
そこには、見当違いに慰める人間と、貶す人間がいたはずだ。
これは、突き詰めてしまえばこの講義で扱われているだけのジェンダー学などとも関連してくるだろう。
確かに奈々は正しい。
しかし、その態度が春香をはじめグループメンバーに迷惑をかけているという事実は変わらない。
じきにチャイムが鳴る。
春香は、ノートパソコンで資料を開いた。
夜なべして作った、今日のための発表資料である。
奈々がこういう人間であると分かっていた以上、必要な準備であると割り切っていた。
しかし、今日はこの資料を机上に広げることが、大いに憚られた。
いつもの春香ならば、ためらいもなくそうするだろう。
しかし、しこりのような感覚が春香を席巻する。
聞き慣れていたはずだった、『気持ち悪い』のことばを、奈々の口からは聞きたくなかった。
窮屈さの置き場所だけは、一生掴み損ねたままである。
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