初めての依頼
休み明けの月曜日。
もう何日かすればゴールデンウィークが待っているためかどこか浮ついている教室を出て、俺は部室である地学準備室に向かった。
部屋の中にはすでに羽角の姿があった。俺が男友達と駄弁っている間に、一足早く教室を出たのだろう。
週末に本屋で買った本をズボンのポケットから取り出す。
表紙を一枚捲って今にも読み始めようとしたとき、目の前の羽角がノートに向かって何かを必至に書き出しているのに気づいた。
「何を書いているんだ?」
「活動日誌です」
簡潔な答えが返ってくる。なるほど部活には欠かせないものだ。中学生の頃所属していた部で、当番制で書かされていたのを思い出す。一年も経っていないがずいぶんと昔のことのように思える。
しかし目の前で繰り広げられている鉛筆のシャトルランは、活動日誌にしてはやけに長いようにみえる。軽く覗き込むと、白磁の紙面に文字がびっしりと敷き詰められていた。
これは絶対に俺が想定するようなものではない。
そもそも活動日誌は活動後に書くものではなかろうか。
これ以上邪魔をするのは悪いと思いつつも尋ねる。
「どんな内容なんだ?」
「今後のためにも活動の成果をまとめていた方がいいと思いましたので、まずは手始めに、入学式のことと先日の犬カフェでの出来事を記しています」
わざわざ顔を上げて説明してくれる。その間も手の動きが止まる気配がない。器用だ。
たしかに犬探しを成し遂げたことは、分かりやすい宣伝になるかもしれない。それに今後現れるかもしれない入部希望者に対してもいい指標となるだろう――果たしてそんな人物が現れるかどうかはさておいて
とりあえず見守ることにし、手元の本を顔の前に掲げる。
鉛筆がノートを走る音と紙を捲る音だけが、しばらくの間響き続けた。
四半時を過ぎた頃だろうか、羽角は机に鉛筆を置いて、自分の体を上に伸ばした。達成感が滲む唸り声。どうやら一通り書き終えたらしい。
羽角は俺と視線を合わせ、口を開いた。
「そういえば、八木沢さんも探偵部に入部することにしたらしいですよ」
生徒会を尋ねた日の放課後、そんな話をしていたような気がする。
「生徒会と兼任になるので、顔を出せるか分からないそうですが」
中学時代は生徒会役員だったため、高校でもそうするのは予想できた。ただ兼部してまでここに入ろうとするのは、美味しいところだけつまみ食いしようというアイツの魂胆が透けて見える。
ともかく部員が増えるのは嬉しいことだ。廃部にされる恐れから一歩遠のくことができる。
「アイツも悪いやつじゃないし、変なことにはならないだろさ……あっ」
話しそびれていたことを思い出した俺は、バッグからあるものを取り出した。
「なんですか……それは」
「依頼人からの手紙を入れる箱だ。郵便ポストみたいな役割を果たせればいいなと思ってな」
家の倉庫にあった木箱を加工してそれっぽく仕上げたものだ。ティッシュ箱ぐらいの大きさがある。
「鍵が付いていて、持ち主にしか開けられないようになっている。匿名で依頼したい人に需要があると思ったんだ」
これを部室の前に設置しておけば、そのうち依頼がやってくるかもしれない。気休め程度だが。
正直DIYを名乗るのもおこがましい程の出来だが、羽角は目を輝かせてそれを見つめている。
「これ、渡さんが作ったんですか!?」
「ほとんど既製品のままだけどな」
俺は彼女に断って部室の前に設置しに行った。
扉の横に机を配置し、その上に箱を置く。『依頼箱』と大々的に書かれた説明用紙を貼り付けてあるため、依頼者がここに来れば、すぐに存在に気づくことができるだろう。
人気のない廊下の更に最奥であるため、通行の邪魔になることはほぼないと言っていい。付随効果で匿名性も守られやすい。
これは探偵部の部室である地学準備室の数少ない利点だ。
外観を眺めていると、ふと背後から声がかかった。
「あの、探偵部さんですか?」
◇
探偵部の初めての依頼人は同級生の女子生徒二人組だった。
どちらとも女子にしては髪が短めで、スポーティーな印象を受ける。
羽角はメモ用紙とペンと手に持ちつつ口を開いた。
「では依頼内容を教えてください」
現在、テーブルを挟んで依頼者側の二人と、俺と羽角とが向かい合って座っている。
お互いに顔を見合わせた二人は覚悟を決めた表情をつくり、片方がぽつりと語り始めた。
「先週のことなんですが、私たちの所属しているテニス部でラケットが一本紛失したんです」
土日を挟んでも見つけられなかったため、人の手を借りることにしたのだろう。
「これは初めてじゃなくて、もうすでに四回目のことなんです! いままでは翌日には見つけられていたんですが、今回はいつまでも発見できなくて……」
それが人為的なものであるのは話を聞く限り明らかだ。
羽角はさらなる情報を得るため、詳しく聞き出す。
「原因には心当たりがあるんですか?」
「そっそれは……ッ」
彼女は一度言い淀むも、ゆっくりと言葉にしていく。
「先輩から嫌がらせを受けているんです」
それは確信を得ている者の顔だった。
「最初は生徒会長に相談しにいったんです……そうしたら『嫌がらせについては私が後ほど動くよ。でもラケット探しについては適任がいる』と言われ探偵部を紹介されたんです」
生徒会長の含み笑いが頭の中に浮かぶ。
流石に便利屋扱いするために探偵部を許可したわけではないと信じたい。
「……紛失したラケットの特徴を教えてください」
羽角が感情を押し殺しているのはすぐに分かった。純粋無垢な彼女が憤りを感じないはずがない。だが今は聞き取り役に徹している。生徒会長への信頼もあるのだろうが。
「ラケットのフレームは紫ベースのカラーで、ガット……ネットの部分が白色で、グリップは黄色だったと思います」
もう片方の女子が小さく答えた。
口ぶり的に紛失したラケットは彼女のものではないと考えられる。
羽角はメモした内容を復唱して確認を取ると、こちらを向いた。
「渡さん何か聞いておきたいことはありますか?」
「そうだな……今はいいかな」
彼女たちは徹底してラケットの持ち主のことを語らなかった。隠したいと分かるものを尋ねるは野暮というものだ。
そもそも今回の依頼は紛失したラケットを見つけること一点のみである。
不必要に足を踏み入れるわけにはいけない。
「詳しい話は現地に行ってからにしましょう。花田さん豊崎さん案内してくださいますか?」
どうやら羽角の笑顔は心にダイレクトに響くらしい。
すっかり打ち解けた表情で二人は俺たちを現場まで連れて行ってくれた。
グラウンドまでやってくると、運動部の掛け声が間近に聞こえてきた。
「ここが女子テニス部の部室です」
花田さんの立つ背後にあるのが、屋外で活動する部の部室として建てられたプレハブだ。平長い建物が左右に広がっており、区分けされたプレハブの一室が女子テニス部の部室として与えられているという。
今日は女子テニス部の定休日であるらしく、さっき教務室から鍵を借りてきたばかりだ。
「ラケットを最後に見たのがここでよろしいですか?」
「はい。休憩中にラケットから目を離していたすきに見失ってしまったんです」
「ちなみに中を見させていただいても……」
部室を真っ先に確認したくなるのは当然だ。
羽角がお願いすると、花田さんはちらりと俺を見て
「羽角さんはもちろんいいんですが、男子を中に入れるのはちょっと……」
男女差別とかではない。女子テニス部の部室なのだから男子禁制であるのは当たり前だ。
「俺は外を探すから、羽角は中を担当してくれ。これはただの役割分担だ」
「分かりました……」
羽角はトボトボと歩いて、花田さんが開けた扉の中に入っていった。
俺は後方に目をやった。
「豊崎さんは中に行かなくてもいいのか?」
彼女は人間と鉢合わせた小動物のように背筋を震わせた。ハキハキとした物言いの花田さんに比べ、豊崎さんは内気な性格のようだ。
「……お、お願いしている立場なのに放置させられません」
弱々しい口調ながらも確かな信念が感じられる。
せっかくの厚意を無下にするのは憚れる。中に行くように促すよりは、話をした方がいいだろう。
「一回目から三回目までの紛失したラケットが見つかった場所を教えてもらっていいか?」
ほんのりと縦に頷いてくれた。
豊崎さんが答えてくれるのを待つ。
「……一回目はよく探したはずの部室の中で見つかりました。二回目はテニスコートの囲いに立てかけられてあって……三回目は生徒玄関前に放置されていたと思います」
先ほど三回とも翌日には見つかったと言っていたが、たしかにどれも分かりやすいところに置かれていたようだ。嫌がらせと言う他ない。
「ありがとう。とても参考になった」
お礼を言い終えると、扉が開く音がした。プレハブから二人が出てくる。羽角の表情を見る限り、成果はなかったようだ。
こちらに近づいてくるなり、花田さんは急に顔色を変えた。
「ちょっと! とよっち顔が真っ赤だけどどうしたの!!」
花田さんは彼女の肩をつかんで上下に揺さぶる。
「だいじょうぶ!? 変なことされてない??」
豊崎さんはされるがままになっている。
「ねえあなた! ちょっと顔がいいからって、とよっちを口説いたりしてないでしょうね!!」
首だけをこちらに向けて言う。花田さんが何に切れているのか全く検討がつかない。
羽角も彼女の言い分を真に受けたのか知らないが、じっと睨んでくる。訳が分からない。
「ご、誤解です!!」
第三者の方角から叫び声が響く。窄まった喉を無理くりこじ開けて出したような声は豊崎さんのものだった。
「こんな大声初めて聞いたわよ。どうしちゃったの?」
「渡さんを悪く言わないでください。ほんとうに何もありませんから……私が慣れていないのが悪いんです……」
豊崎さんの言葉を聞いた彼女は俺を申し訳なさそうに見た。
「はやとちりしてしまったわ、ごめんなさい」
「わたしも……わたしは渡さんを疑ってはいけない立場だったのに……」
双方から謝罪の言葉が送られた。
豊崎さんの一声で状況がどうにか改善されたようだ。
「何でもいいが、ラケットを探すぞ」
俺は呆れながら言った。
四人で手分けして校庭の周囲を捜索することにした。さっきのこともあり、俺は羽角とペアで動くことになった。
「どうして渡さんは外にあると思ったのですか?」
羽角から質問される。そう、校舎の外を探すのを提案したのは俺だった。
「十中八九ただの嫌がらせなんだろ? 四回目で特別な所に隠したというよりは、四回目に隠した場所が偶然見つけ辛いところにあると考えた方が自然だ」
「これまでの三回とも屋外で、しかも学校の付近見つかったのなら今回もそうであるというわけですね」
俺は続ける。
「ただの予想だが、万が一にでもラケットを壊したり捨てたりということはありないと思っている。イタズラの範疇を超えてしまうからだ。嫌がらせのために犯罪を犯すのはリスクが高すぎる」
「どうしても相手が憎いならありえませんか?」
「理性を失うくらい憎いなら、最初からもっと直接的な嫌がらせに走るだろう」
俺はランニングコースの内側の低木をかき分けながら答えた。
相手を退部させたいのなら適当な理由で罰を押し付けた方が効果的だ。
「わたしには分かりません。どうして同じ部活の仲間に嫌がらせができるのでしょう」
相手がどんな人間であろうと等しく接せられる彼女には、天地がひっくり返っても理解できないに違いない。
だが彼女はそれでいいのだ。
昨日俺は自覚した。自分は変わったように思えて結局何も変化していないのだと。
だからこれでいい。
俺たちは休憩を交えながら小一時間動き続けたが、ついに発見に至ることはなかった。
だというのに俺はある種の安堵を覚えていた。これまでが上手く行き過ぎただけで、本来はこんなものであるのだと。
プレハブの前に全員が集まる。
「はぁ~ホントにどこいっちゃったのかしら」
花田はだらしなく両足を伸ばして、健康的な素足を惜しみなく晒した。普段とは異なる筋肉を使ったせいか、運動部の彼女も足腰に応えたらしい。それでも俺たちの倍以上動き回ったのだから、若い人間の体力には驚かされる。
「あなた、それ誰視点よッ」
どうやら老婆目線で感想を語っていたのがバレたようだ。
「落ち着いてください。疲れが溜まってきたようなので一度校舎に戻りましょう」
羽角は彼女をなだめ、学校の中へ入るように促した。俺と豊崎もそれに追従する。
「とっておきの場所に案内するので付いてきてください」
一度部室に戻った羽角は、両手に荷物を下げた格好で俺たちの前に姿を表した。そのまま怪訝な表情をする二人を先導して、階段を登っていく。
予想通り、彼女が向かっているのは屋上のようだ。
極自然に屋上の鍵を開けると、扉を開放させた。
「わぁ~涼しいわね」
「……いい」
運動後で火照った体に吹き抜ける風が心地よい。
初回はただただ鬱陶しいだけだったが、こういう活用の仕方もあるのだと感心する。
それより羽角はいつ生徒会長から屋上の鍵を譲り受けていたのだろう。
「お菓子などの食べ物を持ってきました。ぜひ食べてください」
羽角は手提げ袋から次々と箱を出していった。駅でお土産として売っていそうなものが多数だ。簡易的なティーセットをどこからともなく取り出すと、そこはもう立派な茶室であった。
茶会が佳境に入る頃、羽角は唐突に切り出した。
「もしかして、わたしが理由なしに屋上を選んだと思ってませんか? 実はちゃんと考えがあるんです」
胸を張って立ち上がる。
彼女の行動の突拍子のなさに気が付きつつあるのだろう、二人は特に反応せずそれを目で追った。
「行き詰まったときは、俯瞰するのが大事なんです。このように上から見たら何かが分かるかもしれません」
この学校の屋上は利用するのを想定していないため、柵がないに等しい。膝丈の凹凸が縁を囲んでいるだけだ。
ゆえに膝を付いて真下を覗き込む姿は危なっかしく見える。
「あ」
何かに気づいたのか、羽角は声を上げた。
真っ先に追いかけていった花田も下を見て瞳孔を広げる。
「あっ」
遅れた俺も地上を見下ろすと、すぐに彼女らが見ているものが分かった。
隣では豊崎が両手を口に当てていた。
「ここにあったんですね」
まさに灯台下暗し。プレハブの屋根の上に紫色のラケットが置かれているのを目視できる。二人の反応からして、間違いなく失くなっていたラケットなのだろう。
ひょんなことから依頼は達成されようとしていた。
◇
急ぎ足でプレハブまで戻った俺たちは、思いもよらないところで苦戦していた。
単純に屋根まで手が届かないのだ。
「渡さん、わたしと肩車しましょう!」
あとから考えればいくらでも解決法方はあったように思えるが、このときばかりはラケットを発見した興奮で正常に脳が働いていなかったのだろう。
ともかく俺と羽角は肩車することになり、当然俺は土台であった。
「失礼しますね」
靴を脱いだ羽角は俺の肩に足をかけた。柔らかい物体に頸椎と頬がぎゅうぎゅうに挟み込まれる。
それを左右からテニス部の二人が支えた。
「倒れたら承知しないんだからね!」
花田から謎の激励を受け、俺は腰を持ち上げた。曲がりなりにも中学で三年間運動部をやっていたおかげて重さは苦に感じなかった。
しかし全く別の問題が発生することになる。
「きゃっ!」
強風のせいで若干体勢が崩れる。
支えもあり、すぐに安定させられたのだが、俺の視界は謎の黒い布に覆われて塞がれてしまったのだ。
「絶対に目を開けたらだめだからね!」
謎の激励2を受け目蓋を閉じた。
俺はただの土台だ。自分に言い聞かせる。
「右です! 行き過ぎです! そう! そこです!!」
羽角の声だけが頼りだった。俺は指示通りに身体を動かす。
「やっと取れました!!」
報告を聞き、慎重に羽角の身体を下ろしていく。
ようやく地面に降り立つと、羽角はラケットをトロフィーのように掲げた。
「依頼達成です!!」
依頼が達成されたのはいいことだ。今はそれでいいじゃないか。
俺は必要以上に削られた体力を深呼吸で回復させつつ、経過を見守る。
「どうぞ。これが依頼された品です」
事態が急変したのは羽角がラケットを受け渡した直後のことだった。
背後から上級生らしき女子生徒が二人乱入してきたのだ。
「君たち、うちらの部室の前で何してんの?」
明らかに歓迎されていない。不快感を全面に押し出した声色だった。
「……ッ!」
テニス部の二人の顔が強ばる。
祝勝ムードはこの上級生のコンビによって、瞬く間に霧散してしまった。
表情からして彼女らが嫌がらせの主犯格で間違いないだろう。
「てかお前ら一年じゃん。ホントに何やってんだよ」
「部室のお掃除でもしてくれたんじゃないッスかね。知らんけど」
二人の矛先は当然部外者の俺たちにも向けられる。
「人様の部室の前で何やってんの? あ、まさか盗むでも働こうとしてたわけ? あーまじうちらお手柄じゃん、警察に表彰されちゃうかも」
ケタケタと二人は笑う。
「わたしは彼女たちに依頼されて協力していたんです。決して何かを盗んでいたりなんかしていません! 本当です!!」
羽角は身の潔白を証明するため声を張り上げた。嘘偽りのない正直な言葉だ。だがしかしそれはこの場において悪手だった。
「なにこの子、ちょー真面目ちゃんじゃん。ま、そうやっていい子ぶってもうちらは騙せないけどね。あ、そっちの男は騙されたんだろうけど。可哀想に、この子が裏ではビッチなの知らないんだね」
このような手合はまともに相手してはだめだ。いいように扱われてしまう。目をつけられないように距離を取るのが最善策で、次点で無視して逃げるのが良い。
「ごめんなさい!」
「チッ」
謝罪を残して、花田は豊崎の腕を引っ張って行ってしまった。
非情、という言葉は相応しくない。ラケットを守ることが最優先で、その行動は間違ってない。現に俺も逃亡を考えていた最中だった。
この場に長居するのは良くない。
「とりあえず用事は済んだし帰るぞ。ほら、動け」
フリーズしている羽角の背中を押し、二人の横を通り抜けた。
「待てよ」
あからさまな行動を彼女らが許しくれるはずもない。肩を捕まれ、引き戻される。その際に体が半回転し、向かい合う形となった。
「無視すんなし。ところでお前彼氏面しているけど、さっきの話聞いてなかったのか? そいつはビッチなんだよビッチ、意味分かる?」
「許せません!」
対処法を考えていると、後ろから羽角が叫んだ。
「あなた達がわたしを何と言おうと構いません! 嘘であるのは分かりきっていますから。でも――」
羽角の口を塞ぎ、彼女らに淡々と伝える。
「用事があるので俺たちは帰ります。もし部室に用があるようでしたら教務室から鍵を借りてきてください。すでに返却してしまったあとなので」
鍵が開いていないのに盗みを働いたなんて言い草は付けられない。
舌打ちと恨みがましい視線を背中に受けながら、部室へと戻った。
「ゆるせないです」
羽角は部室の机の上で突っ伏して、頬を膨らませた。不満げなのは誰が見ても分かるが、ひとまず冷静さは取り戻したようだ。
「だからといって言いがかりを付けるのはよくない」
「でも絶対あの人たちは犯人ですよ!」
彼女は身体を起き上がらせて言った。
後輩のラケット隠す行為が許せないのだろう、珍しく激昂しているようだ。
「根拠なしに言うだけならあいつらと同じだ。探偵部なら探偵らしくその証拠を突き止めてやるんだ。そうだろ?」
羽角ははっとして口を押さえた。
「ごめんなさい……」
肩を落とす彼女に俺は言葉を重ねた。
「思い出してみろ、ラケットを見つけるという依頼は達成できたんだ。生徒会長も動くと言っていた、俺たちのやるべきことは他にあるはずだ」
「はい……」
もう再び彼女らと対面しても冷静さを失うことはないだろう。
おそらくこの問題は一筋縄ではいかない。
高校生になったばかりの個人がどうにかできる範囲を超えている。
準備しておかなければならない。いつか被害者が依頼してくるのに備えて。
◇
二日後の放課後、三人目の部員である八木沢光輝が地学準備室を訪れてきた。
なぜか彼女の
「どうぞ遠慮せず入ってください」
羽角は訪問者を笑顔で歓迎する。何も知らないがゆえの笑顔だ。二井野の本性を知ってしまえば二度と笑えなくなるだろう。
だが彼女の猫被り具合は相当で、一ヶ月足らずでクラスカーストのトップに君臨していた。
「ふーん、悪くないじゃない。何もないところが良いわ」
二井野は我が物顔で室内を歩き回り、率直な感想を言った。
何かを察した光輝が忠告する。
「玲奈、あまり変なことを考えないようにね」
「まさか、あたしがここを物置にしようと考えていると思ったわけじゃないでしょうね」
語るに落ちているのはわざとか。このままだと光輝の彼女権限を使ってここを私物化しかねない。光輝にはしっかり手綱を握ってもらわねば。
二井野は荷物を机の横に置くと、椅子に座って体を伸ばした。
ふと、彼女が持っていた荷物にテニスラケットが含まれていることに気づく。そういえば、こいつもテニス部員だった。
二井野の興味は羽角の手元にあるノートに移った。
「羽角さんそれなに?」
「日々の活動を記録した活動日誌です」
「見てもいいかしら」
羽角にアイコンタクトを取り、テニスラケットに視線を誘導する。どうやら通じたようだ。
「いいですよ。その代わりに二井野さんのラケットを見せてもらえませんか?」
「お安い御用よ、はいコレ」
軽快なやり取りを交わし、机の上でラケットとノートを交換する。
二井野がノートをパラパラと捲っている間に、羽角はラケットをケースから取り出した。
「うーん」
本体の色こそ紫色であるが、ネットは黒でグリップはショッキングピンクという派手で、彼女らしいと言えば彼女らしい配色であった。先日見たものとは別物だ。
そもそも自由奔放の彼女が、嫌がらせを受けている姿と重ならない。
しかし別の方で大きな変化があった。
二井野は初めこそすまし顔で眺めていたが、内容に目を通していく内に頬を吊り上げていったのだ。さながら獲物を見つけた肉食獣のようであった。
「コレあなたが書いたの?」
「そうですけど……きゃあ!」
急に抱きしめられた羽角が悲鳴をあげる。
光輝が俺の方を見て言った。
「どうやら羽角さん、玲奈に気に入られてしまったみたいだね」
ようやく面白くなってきた、と言わんばかりの口ぶりだ。
「私が入ってあげてもいいわ」
二井野は口元を歪めていった。
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