第12話 月の女神アルテミス

「…… 嘘だろ…… 」


 リビングのソファに座ってた筈なのに。 慌てて廻りを見回すと、どうやら小高い丘に一瞬で転送されたらしい。 ペルさんやハーデスが転送してきたのは何回も見てるが、自分が転送されたのは初めてだ。


 改めて辺りを覗うと、木が一本も見当たらない。 空は白く、まるで霧の中にいるかのよう。 だが視界が悪いわけでもなく、空にはうっすらと金色に輝く大きな月が見える。 違和感というか、不思議な景色だ。


「驚かせてしまったかしら、ごめんなさい 」


「おぅっ!? 」


 さっきまで見当たらなかったのに、いつの間にかアルテミスがそこにいた。


「今の方がビックリしたかな 」


 彼女は笑顔だけど、バカにされている様子はない。


「ここは私の仮想空間よ。 VR空間と言った方があなたには分かりやすいかしら? 」


 VRね…… 神様ってなんでもありなんだろうけど、せめて同意くらい求めて欲しい。

 

「人間界で勝負はできないから。 ここならどんなことでも遠慮しないでやっていいわよ 」


 ゲーム感覚で勝負しようということなのか? ハーデスとは違って良識ある神様でよかった…… だが。


「俺は勝負なんて承諾してませんけど 」


「彼女を守るのでしょう? なら私を退けないと、すぐにでも彼女を連れて帰るわよ? 」


 結局また戦わなきゃならないんですね…… がっくりと肩を落とすと、『心配しないで』とアルテミスは微笑んだ。


「ここは私の精神の中の空間。 あなたの精神だけを反映させているわ。 現実の私達はソファで寝ているから安心して 」


 肉体に影響は出ないってことでいいのか…… でも彼女の精神世界なんだよな?


「それじゃアルテミスさんのやりたい放題ってことになるんじゃない? 力の差も歴然で勝負にすらならないと思うんだけど 」


「用心深いのね…… あなたのルールでいいわ。 どんな勝負をしてくれるのかしら? 」


 なんだか楽しんでません? 彼女はフフっ笑うが、さて…… どうしたものか。 


「そうですね…… 喋ってはダメ、というのはどうでしょう? 」


「えっ?  戦うのではないの? 」


 神々は肉弾戦がお好みらしい。 たがそれでは俺に勝ち目は全くない。 アルテミスは俺のルールで勝負していいと言った。 それなら意表をついて声を上げさせれば俺の勝ち…… でいいはずだ!


「戦いますよ。 それじゃ始めましょうか 」


 すぐにゲームをスタートさせて考える暇など与えない。


「そう…… それじゃ 」


 アルテミスは複雑な表情だったが、ニコッと笑うとゆっくりと宙に舞った。 そのまま宙で一回転し、距離を取って空中で静止する。


(すげぇ、VRみたいだ! )


 危ない危ない! 俺の方が声を出すところだった。 両手で口を押さえて堪えると、彼女は顔を背けて口を押さえる。 笑いたかったら笑えばいいのに!


(ん!? )


 真顔に戻った彼女は左腕をゆっくり前に突き出す。 するとその手に光の帯が収束して大きな弓を形成していく。


(スゲッ! 光の弓だ! )


 その弓を引く動作を取ると、今度は光の矢が形成されていく。 アルテミスの矢…… ギリシャ神話は間違ってはいなかーー


  ボヒュッ!!


 そう考えた瞬間、右耳に熱を感じた。 見るとアルテミスの手に矢はなく、矢が俺の耳をかすめて放たれたのだと理解するのに時間がかかった。


「っ!? 」


 後ろを振り向くと地面に大穴が開いていた。


(おい!! )


 まるで超電磁砲レールガンじゃないか!


「………… 」


 『残念』と聞こえてきそうな表情に加えて、彼女はもみあげの髪をくるくるといじり始めた。 アルテミスはわざと外して威力を見せつけて、声をあげさせたかったのかもしれない。


(それなら…… 受けて立ってやるよ! )


 俺は両手を左右に大きく広げてその場に立ち尽くした。


「!? 」


 ここは障害物の何もない小高い丘の上…… 神話通りの弓の名手であるならば、不用意に逃げても狙い撃ちされるのがオチだ。 


 彼女は再び矢を形成して構える。 今度は脅しじゃないというのが見て取れた。


「…… 」


「…… 」


 風の音すらもない静寂。 構えたまま動かないのは、恐らく俺の出方を窺っているのだ。


 受けて立つ姿勢を見せれば、俺に何か策があるだろうと思わせられる…… 狙い通り彼女はあれこれ思考を巡らせているようで、中々矢を射ってこない。 時折泳ぐ視線が彼女が動揺していることを確信した。


 イケるかもしれない…… 俺は引きつる顔でドヤ顔を見せる。


「……! 」


 俺がニヤリとした瞬間、キッと彼女の目に力が入り矢が放たれた。


 一瞬で視界が真っ白になった。 痛みを感じることもなく、俺の体には大穴が開いていることだろう。


「ばかっ!! 」


 次の瞬間、目の前で光が四方八方に飛散した。


「熱っ!! 」


 頬や額をかすめ、その光の一つが脇腹をえぐる。


「ぐあぁっ!! 」


 痛ぇ!! VR世界だと聞いて安心していたが、痛みはモロに体中を駆け巡る。 堪らず悲鳴を上げてしまったが、声を上げたのはアルテミスの方が先!


 なんて考えてる場合じゃないかも。 全身は痺れて目の前はぼやけてブラックアウトしていく。


 死ぬ? ああ…… 俺、死ぬんだ。 その先はもう何も考えることが出来なかった。 

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