第7話 勝負の行方

 何事もなかったように静まり返ったリビング。 俺の前にはセイレーン族のリーサが座り、祈るようなポーズで優しく微笑みながらアヴェ・マリアを歌っている。 あのキンキン声からは想像できない柔らかな歌声が心地よく、体全体が温かい感覚に包まれているようだった。


 ハーデスとじゃんけん勝負の後、情けないことに俺は腰を抜かしてその場に座り込み、極度の緊張で吐き気を催して動けなくなってしまったのだ。 おまけに少しチビってパンツの前部分が冷たい。


  ― 少しは落ち着きましたか? ―


 頭の中に直接響いてくる声…… 何事かと辺りを見回してみても、誰かがいるような感じはしない。  目の前の彼女に視線を移すと、彼女は歌いながら微笑む。


  ― わたしです。 治癒の歌の途中なので、あなたの心に直接お話してます ― 


「そんなことが出来るんだ。 神ってやっぱり凄いな 」


 彼女は歌うのを止めて突然笑い出す。


「私は神ではありませんし、あれほどの力も持っていません。 それにしても、ハーデス様にケンカを売る人間なんて初めて見ました  」


 究極の三択とは、我ながらうまいことを言ったものだ。 俺が出したのはパー、ハーデスが殴りかかるように勢いよく出したのがグー。 人間が神に勝ったのは史上初かもしれない。


「あんなハーデス様も初めて見ましたけど 」


 ケラケラと彼女は笑う。 じゃんけんに負けたハーデスは自分の拳を見つめたまま固まってしまい、プルプルと肩を震わせた後、『もう一回だ!』と駄々を捏ね始めたのだ。


「俺はペルさんを怒らせたらヤバいと初めて知ったよ 」


  『もう一回だ』と言う申し入れを俺が断ったのが気に入らなかったのか、ハーデスは力任せに俺に掴みかかってきた。 それがペルさんの逆鱗に触れたらしく、彼女はハーデスの鼻っ面をグーで正拳突き。 彼は正座をさせられ散々説教を受けた後、ペルさんが呼び寄せた番犬ケルベロスに首根っこを咥えられて光の魔法陣で強制送還されたのだった。


「気合の勝利といったところでしょうか 」


「じゃんけんにはちょっとしたコツがあるんだ。 急かされると大抵の人は本能的に拳を握る人が多いんだよ。 力んだ時は特にね 」 


 更に挑発する事で頭に血が上ったハーデスは、本能の赴くまま殴るようにグーを出したというわけだ。


「挑発も計算のうちだったんですね! でも負けた時はどうするつもりだったんです? ハーデス様はホントに一万回殺しますよ? 」


「負けた時の事なんて考えてなかったよ。 どうせ冥界の王が相手なんだから何でもありだと思ってさ 」


 気持ちもある程度落ち着いて、足にも力が入るようになってきた。 俺はその場からふらつきながらも立ち上がる。


「もう大丈夫、ありがとう。 嫌な汗いっぱい掻いたからシャワー浴びてくるよ 」


 チビってパンツが気持ち悪いからなんて恥ずかしくて言えない。  そのまま彼女に背を向けて、おぼつかない足でバスルームに向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る