第3話 日常

 一通り家事を試してみた彼女は、今はダイニングテーブルの俺の向かいに座ってバタークッキーと淹れたてのブラックコーヒーに夢中だ。


「お気に召したようで  」


「これは美味うまい!  程よいコクと甘さにサクサクとした食感、そしてこのコーヒーのほろ苦さ…… 幸せだ…… 」


 満面の笑みでクッキーを頬張る彼女は、うっとりする姿もまた美しい。


 家事に関しては全くやったことがないと言うだけあって散々な成果だった。フライパンを丸焦げにしたり掃除機が爆発したり、洗濯洗剤を一箱突っ込んで脱衣所中を泡だらけにしてみたり…… まあ女王なのだから仕方ないと思うしかない。


「冥界ではどんな暮らしをしてたの?  」


「忘れてれてしまった  」


 彼女はコーヒーを啜りながらあっけらかんと言う。


「…… 忘れた?  」


「処罰としてしばらく結界の中に閉じ込められていたものでな。  長い間眠っていると、どんな暮らしをしていたかも忘れるものだ  」


  彼女は再びクッキーを口に放り込む。 忘れるくらい眠っていた……  いやそれよりも、仮にも女王が閉じ込められるってどんな状況なんだ? しかもあまり気にしていないのは、閉じ込められるなんて日常茶飯事なんだろうか。


「そんな目で見てくれるな。 任務失敗のちょっとしたペナルティだ 」


 はは……  もしかしてドジっ子ちゃんなのか?


「 まぁ私の話などどうでも良い。  それにしてもこの辺りは平和だな。  退屈そうだがとても落ち着く  」


 窓の外を眺めて彼女は優しく微笑む。


「それは良かった  」


 笑顔で彼女に答えると、彼女は顎に人差し指を添えて『ふむ』と唸った。 今気付いたが、口元の小さなほくろがセクシーだ。


「思ったのだが、お前の嫁になって私はあれこれ楽しい思いをしている。 が、お前は私を嫁にして何か得になっているのか?  特に私は何をした覚えがない  」


「なってるよ。  ペルセポネという女神を独占してる  」


 彼女はフフッと微笑む。


「本当にそれだけなのだな。  今までの人間のように私の力を欲する訳でもなく、何かを強要するわけでもない。  私にも自由にしていいとお前は言う  」


「女神が自分の奥さんって凄いことだし。  本音を言うと、一度きりの出会いにしたくなかったというかなんというか……  」


 ふーんと彼女は頬杖をついてニヤニヤした。


「私に惚れたのか?  」


  否定はしない…… 昔の言葉で『美人は三日で飽きる』って言うけど、絶対飽きない自信がある! そう思ったら顔が熱くなってきた。


「本当にお前のような奴は初めてだ。  ある程度楽しんだら冥界あちらに戻ろうかと思っていたが……  可愛い男だ  」


 なんと返答していいかわからず、とりあえず苦笑いを一つ。


「アフロディーテやヘラにはよくこんな光景を見るが、私相手に赤くなる男もいるのだな……  フフッ 」


 照れたような困ったような微笑み。  ギリシャ神話における愛と美の女神アフロディーテや婚姻の女神ヘラがどれだけ美しいのかは知らないが、彼女も十分過ぎるほど美しい。


「へぇー…… こっちの神話もあながち作り話ではないんだね  」


「シンワ?  」


「うん、ギリシャって国に伝わる神々の話でさ、ゼウスやハーデスやアテネや……  ペルさんの話もあるよ  」


「ほう、それは興味深い。  どこに行けば見れるのだ?」


「図書館がベストだろうけど…… その服は流石に目立ちすぎるよなぁ  」


 彼女は立ち上がって自分の服装を見回しパチパチと瞬きをする。


「…… これではダメなのか?  」


「いや…… いいんだけど、場に合わないと言うか。 ドレスを着て図書館に行く人はいないよ  」


 『そうか』と彼女は言うと、パチンと指を鳴らした。 と同時に、パンと一瞬でワインレッドのドレスが粉々に弾ける。


「へっ!?  」


 あまりにも突然で、素っ裸の彼女をまじまじと見つめたまま固まってしまった。 一糸纏わぬ姿の彼女は、『うーん』と唸って天井を見上げ目を閉じる。 やがて霧のような薄紫色の光が彼女を包み、その光が弾けた瞬間、彼女はベージュのワンピースに身を包んでいた。


「昨日見たの衣装を真似してみた。  これなら問題ないだろう?  」


 正に神業…… いやそれよりも俺、鼻血出てるかも!





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