第3話 18歳のトマト
「やぁ……また会ったね」
「……あーいつぞやの……」
本棚と本棚の間に設置された長机の……1番日当たりのいいところ。しかし、今日は生憎の曇り空で、冬にふさわしい冷たい風が窓の向こうの裸の木々を震わせている。
そんな机の端の方で、赤髪の男女が向かい合っていた。
少年は、目の前に彼女がいつ座ったのか不思議に思ったが、眼鏡を外して伸びをしながら参考書を閉じた。
「勉強……頑張ってるんだね」
ポモドーロの目に、七実の擦り切れた参考書とその指のタコや絆創膏が映っていた。
「……まぁ…ね。今日は自習室が使えなかったから。久しぶりに来たけど……前見た時と変わらない。ポモドーロは本当に妖精なんだね」
「今度は覚えててくれたんだ…」
「歴代総理大臣だって、そらで言えるぜ」
そう言い合って2人はクスクスと笑いあった。
2人連れ立って、また自販機の方へ向かった。
改装工事がちょうど去年に終わり、外にあった例の自販機は中に設置されていた。
寒い中、外に出なくても良くなったのである。
簡単な椅子や机も設けられ、より立派な休憩スペースに進化していた。
おあつらえ向きに、2人以外に誰もいない。
「はい……ブラック飲める?」
「うん。ありがとう」
七実は暖かい缶コーヒーを2つ買って、先に座っていたポモドーロの横に座った。
「不良になってた時もびっくりしたけど……またどういう風の吹き回しなの?」
「ははは…あの時は本当にどうかしてたよ。……ズズ……言うなれば、挑戦かな。どこまでやれるかなって。志帆のやつは、何故か自分と同じ県内の大学に一緒に行こうって言ってたんだけど……でも……」
そう言う七実の手に、ほんのり力が入っていた。
ポモドーロにはその『でも』の続きがよくわかっていた。
挑戦というのがやはり相応しい。
七実が閉じた、あの真っ赤な参考書の表紙には、この国で1、2を争うであろう難関大の名前が刻まれている。
「……ってことは、あなたもう18歳!?」
「うん?そうだけど……ポモドーロは妖精だから歳取らないもんね」
「アハハハッ……そう、ね……」
ポモドーロの笑みは、なぜか少し引きつっていた。
しばらく、またいつかのように、コーヒーを啜るだけの時間が続いた。
ポモドーロが何も話さないので、七実はそれじゃと言って席を立とうとすると不意にポモドーロがちょっと聞いてくれる?と口を開いた。
「これは……友達の話なんだけど……その子はさ、海外に留学しようとしてるの」
「……妖精って留学すんの?」
「い……いろいろ……勉強することがあるの!妖精の世界にも!……とにかく、留学したいって思ってるんだけど周りの人が心配してあんまりいい顔しなくって。心配してくれるのは嬉しいんだけど……それに引き換えお父さんは、普段勉強しろだのシャンとしろだの口うるさいのに…今回に限って興味なさげに『好きにしろ』って言ってそれ以上何も言わないし!どうするべきなのかなぁって……」
「……友達が?」
「そ、そうっ!友達、友達!」
うーんと唸って、そのやや無造作に伸びた赤い髪をかきながら七実は考え込んだ。
ポモドーロが見るその横顔には
「おれでも……『好きにしろ』っていうかなぁ……」
「………どうして?」
「ああ、興味ないとかじゃないんだけど……なんか、その子の悩みがおれと似てるなって。おれも周りから『やめとけ』とか『お前には無理だ』って言われるんだけど……母ちゃんだけが……おれのやりたいことをやれって言ってくれるんだ。母ちゃんはどんな時だって俺の味方だった。どんな時でも。そんな人に言われたら信じたくなるっていうか……」
七実の内側がじんわりと熱くなっていた。
ポモドーロも何も言わずに、その一言一言に耳をすませている。
「そんな人が言ってくれるから信じられるっていうか……頑張りたくなるっていうか……ごめん、イヤに語りすぎだな。ポモドーロのお父さんがどういう人かは知らないけど……きっと、キミのことを信じてるはずだよ。もし俺がその人だったら、そう思ってると思う」
「……友達の話よ?」
「そうだった。なら、友達にそう伝えておいてくれ」
そっか、とやけにスッキリした顔つきでポモドーロは笑って、軽やかに立ち上がるとくるりと背を向けた。
「ありがとう。いろいろ聞いてくれて。私、そろそろ行くね!」
その時の笑顔が、なんだか数時間前に会った幼馴染の笑顔によく似ていたので、七実は驚いて一瞬反応が遅れてしまう。
「…………あ、ああ。おれも戻って勉強の続きでもするかな…」
「七実クン、話聞くのが上手だね。先生向きだと思うよ!」
「先生?おれが?」
ポモドーロが笑っているのに釣られて、七実もばからしいと笑い飛ばす。
「無理無理。柄じゃないよ。大学だっていけるか分からないし……」
「いや、キミはなるよ。誰もが一目置く大先生に……」
「えっ……」
ポモドーロはそう言いながらどこか深みのある……それでいていたずらっぽい笑みを浮かべて妖精らしい不思議なオーラをまとっていた。
「トマト先生って、呼ばれるかもねっ!」
「………なんだよそれ……」
少年を置いて、図書館の妖精は本棚の中に消えていった。
そんな図書館の妖精には羽がなかった。
光の粉を落としていくわけでも、不思議な魔法が使えるわけでもなかった。
しかし、飛ぶようにヒラヒラと本棚の間を舞っていた。
ゆるやかなターンにつられて、今にも火の粉が出そうな赤髪が揺らめいていた。
その姿は紛れもなく妖精と呼ぶにふさわしかった。
ポモドーロのそんな印象が焼き付いていたのだろうか。
七実は数年後、幼い娘を見て『まるで妖精のようだ』と言って、『なっちゃんそこは天使でしょ?』と妻に笑われるのである。
ポモドーロの青い絆 ミナトマチ @kwt
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