第2話 15歳のトマト

ポモドーロはこの日、図書館がどこかざわざわしているのが気掛かりだった。

図書館というより、とある本棚と本棚の間に設けられた、長机の……1番日当たりのいいところで、本に顔を埋めて寝ている少年に対して職員や利用者が、何よりヒソヒソと話しているのである。

春の日差しが柔らかに降り注いでいて、その少年の、やけに汚れた制服の背中が気持ちよさそうに上下していた。


「ちょっと……あの子、なんでこんなところにいるのかしら?」


「やだわぁ……小さい子もよく来る図書館なのに、あんな不良……」


ポモドーロはすれ違いざまにそんなことを耳にした。

だが、ポモドーロには関係のないことであった。

彼女は今、人を探しているのである。

特徴的な髪色なので、すぐに見つかるはずなのだが……


「おい、見たか?あそこで梅中の統羅威須怒魔斗スライストマトが寝てたぞ!」


……トマト?


「ああ見た見た!竹中の六川むがわ!この前なんか松高の二村にむらをやった不良だろ?もうこの辺じゃ敵ナシだな。絡まれたら困るしさっさと行こうぜ!」


そんな……まさか、ね?


走り去っていく男子生徒を目で追いながら、ポモドーロは困惑しつつ件の長机へと向かって行った。

本に突っ伏しているので顔は見えないが、その短く刈られた短髪は灼熱の赤であった。

ゆっくりと近づいていると、不意にその不良少年がジャーキングしてビクッと跳ね上がり、寝ぼけたまま辺りを見回した。

そんな折に、バッタリと目が合ってしまったのである。


「んあ……志帆?終わったのか?」


「……えっと……三田七実みたななみ君、だよね?」


「あ?志帆……お前何言ってんだ…って……ダレだテメェ!?」


少年の目に鋭さが宿ったかと思うと、バネが解放された時のように椅子を蹴り飛ばして勢いよく立ち上がった。


「ちょ、ちょっと落ち着いてよ!あなた本当に三田七実君なの!?」


「あぁ!?なんで俺の名前知ってんだよ?テメェ……どこの回しもんだ?俺ァ女だからって容赦しねーからな!」


「ちょ、私別に不良じゃないし!」


「その頭でよく言うぜ!寝込み襲うなんていい度胸してるしな、いいぜ……どっからでも……」


辺りは完全に静まり返っていた。

それは静謐せいひつとは言い難い、冷たい空間だった。

しばらくして、場違いな怒声にびっくりしたのか子どもの泣き声が静かに響き始めた。

利用者や職員の、そらしがちではあったが、空気と同じくらい冷たい視線が2人に浴びせられていた。


「……クソ、何見てんだ!……チッ……」


「あっ……ちょっと!」


七実は肩をいからせながら、ドスドスとその場を後にした。

ポモドーロも慌ててその後を追う。

七実は外に出て、自販機のある休憩スペースのところに向かった。

擦り切れて、ほつれた学ランのポケットから七実は煙草の箱とライターを取り出して、おもむろに一本掴んで口に咥えた。


「ちょっと……あなた何してるのよ!?」


ポモドーロは信じられないといった顔で、口元の煙草をひったくる。


「お前……追ってきたのかよ……さっさと返せ!」


「ダメよ!あなたまだ中学生でしょ!?」


「関係ねぇだろ、ほら……返せ!」


「絶対ダメ!」


「うっ……」


ポモドーロの凄みに七実は一瞬怯んでしまった。

それほどまでに……ポモドーロのその声や瞳が、髪と同じくらい燃えていたのである。


「……志帆あいつとおんなじような顔で、おんなじような説教たれてんじゃねーよ……ったく……」


七実はベンチにどっかり腰を下ろして、ぼーっと空を見上げた。


「ほら、これ……」


「…………」


ポモドーロはそばの自販機で買ったカフェオレを差し出して、そっと七実の隣に座った。


「好きでしょ、このメーカーのカフェオレ」


「………マジでなんなんだよ、お前……」


七実は無愛想に受け取って、プルタブを開けると同時に一気にカフェオレをあおった。


「私の名前はポモドーロ。図書館の妖精よ。あなたのことはなんでも知ってる……7年くらい前に会ったの覚えてない?」


「……昨日ブチのめしたやつの顔も覚えてねーんだ、ンなもん覚えてるわけねーだろ…」


七実は早くもカフェオレを飲み切ってしまったようで、簡単にその缶を潰してしまった。

ポモドーロがそっと見てみたその横顔は、傷だらけで、絆創膏やらガーゼやらが貼られている。

相変わらず童顔ではあったが、かつての女の子のような可愛らしさはなりを潜め、細くなった眉と比例するかのようにその瞳はいやにギラついていて鋭かった。


「ねぇ、あなたいつから不良になったの?前はもっと可愛らしいというか……何があったの?」


「……なんでも知ってんだろ?なら話す必要なんてねーよな?」


「うっ…………」


「お前、妖精なんて嘘だろ……小銭持ってるし……」


ポモドーロはそれ以上何も言えず、かといって七実も何も話さないのでしばらく春の風が2人の赤髪を静かに撫でていた。

桜の花びらが幾分か幻想的である。


「あなた、喧嘩強いの?みんな噂してたわよ?」


「おお!俺は強い。誰が相手だろーとこの拳で全員黙らせることができるんだ……最強だろ?……誰も俺に……何も言わねぇんだ……」


そう言う七実の顔はどこか寂しそうだった。

ポモドーロもどこか感傷的な気分になってくる。


「………最初は俺を認めさせたかった。名前も髪もこんなで……みんなバカにするからな。強くなりたかった。でも、気がつくとどいつもこいつも俺を外側からネチネチ見下すようになったんだ…はっ……い、今のはなんでもねー!つ……連れの話だ!」


七実は顔も真っ赤にして、あわてて被りを振る。

その顔が案外子どもっぽくて、以前の面影を残しているようで……ポマドーロも表情を崩して微笑んだ。


「連れって例の……」


「なっちゃゃ――――ん……どこ行ったの――ッッ??」


遠くの方で、少女が誰かの名前を叫んでいるのが聞こえてくる。

それを聞いて七実がやれやれと言ってベンチを離れ、缶をゴミ箱に押し込んだ。


って、キミのこと?」


ポモドーロはクスクス笑った。


「ばっ……ちが……くねーけど、ちげぇんだよっ!志帆のやつが勝手に……」


「分かった分かった……ほら、早く彼女のとこ行ってあげな?」


「彼女なんかじゃねーってば!」


「私はキミのこと、なんでも知ってるんだよ?」


へいへいと言い残して、七実はもと来た道を歩き始めた。


「………今日は悪かったなぁあ!!」


ぶっきらぼうな言い方で、それでいて、照れているのがよく伝わってくるうわずった声。

ポモドーロは最初こそ戸惑ったが、もうおかしくって仕方がなかった。


「あいかわらず……不器用なんだから…」


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