プロモーション(下)

 彼女を遠ざけようとしたのは、レギオンに利用されるのを防ぐためだ。

 あの悪魔気取りは、少女を見て言った。

——研鑽の果てに、着いたのはあんな狭量な牢。

 あれは、彼女が置かれていた環境を、見知っていたようだった。

 レギオンの端末化、その萌芽は表れていたのだ。

 奴らが目指し、優先して根差していた沖縄に住み、楽土ヘヴンの常用者である女衒とも、接触していた。


 あの植物由来と思われる薬物は、レギオンの身体から出来ていたのだろう。炙られて発生する煙に紛れ、胞子のように細胞を飛ばし、摂取した者を内から喰らっていく。副流煙にも、その効果はあったに違いない。使用者が加速時間を体得できるのは、強制的にレギオンと接続し、処理能力の一端を借り受けていたから。


 条件だけ見れば、彼女の中に奴らが巣食っていて、当然とまで思えてしまう。

 だから直哉は、レギオンからの手出しが無駄なくらい、蚊帳の外へと少女を配置。


 それは実利から?

 それとも情が湧いたから?


 その二つから特定する意味は無い。少女はそれでも、主の人柱となることを選び、王命に逆らってまで彼を追った。それだけだ。

 彼女は分かっていた。彼女の中に、奴らが植えられていたこと。自身がレギオンの、橋頭堡になり得ること。その時何が起きるのかも。

 心底理解していた筈だ。

 彼女は、さかしいのだから。


 その上で、彼女は選んだ。

 皇直哉が勝つと確信し、レギオンの儚い逃走に備え、大きな網を張っていた。

 レギオンの頭脳に成り代わる、その為に。


 併呑へいどん。狙い通り完遂された。


 けれどその手段は、「アクテ」という個と、「レギオン」という群とを掻き混ぜる暴挙。己の“今”を捨て去ることであり、言ってしまえば——


「消えるんだぞ」

 死ぬんだぞ、

 死んだんだぞ、お前?


 彼女は彼を信じ、彼の為に命を使った。

 その行動が王に、「この世の物ではない奇跡」の、その実在へと触れさせた。


 直哉はそれが在るということを知り、


 そして今、失った。



 彼を最初で最後は、失われてしまったのだった。



 後に横たわるは、呪いのみ。


 

 

「ナオヤ様。これからは、私が探します。私の身を餌に、手に入れます」


 皇直哉の言い訳が、彼自身から、「本懐」を攫った。


「あなたの敵。あなたの死地。あなただけの神秘を」


 空高く飛翔しても、地の底まで這いつくばっても、出会えぬ場所まで連れ去ってしまった。


 あったのに。そこに、あったのに。

 もっていたのに。


 物質ではない。

 形もない。

 なのに、みんなが持っている、そう言われ続けてきたもの。


 それの不在を証明し続ける為、直哉はこれまでを費やして来た。

 でも本当は、欲しかった。

 強欲な彼なのだから、持っていない物があれば、欲しがるに決まっている。

 

 そして、ついさっきまで、彼は知らずに——


 知らずに、


 そう、その意図など無かった。少なくとも彼女に対しては、そういったつもりを持ったことは無かった。

 しかし、彼のこれまでの行動が、少女を彼の下へ運び、彼の手中に願いの実現を授け、


 その上で、台無しにした。


 自業自得。

 因果応報。

 運命。


——運命?


「運命だと?」

「ナオヤ様?平気ですか?」


 レギオンの言う「偶然至上主義」には、片手落ちと言える誤謬があった。

 あれは世界から、人の意思を排除することで、完全なる平等性を目指した。

 けれども、「意思」を世界の例外とする、その論理が無かったのだ。


 人は自然から生まれ、自然の中で育ち、自然を利用して変わり、自然と死ぬ生き物だ。


 人は自然の一部でしかなく、特段の逸脱などできるものではない。


 彼らが偶然を崇めるならば、人の意思もまた、尊い偶然である。

 ジタバタと作り換える必要など、無い。


「だが、俺は違う」

 それはレギオンが考える世界の話だ。皇直哉に適用される法則では——


「『B滑走路』……、なんでB滑走路なんだ………?」


 レギオンと初めて言葉を交わした航空機。自動運転によって、予定通り安全に着陸した。

 そう思っていた。

 しかし、今から考えてみると、あの状況はかなりの危機だ。

 あの時レギオンは、琉解戦のリーダーを乗っ取っていた。つまり、自分の意識と奴の脳を接続する為、外としていたことになる。

 「携帯電話を機内モードに」。お決まりのお小言だが、これは安全管理上重要なルールである。延々と続く青空と雲の中、飛び行く方向を確定させるには、衛星や管制塔からの情報通信が不可欠だ。そこに無関係の電波が干渉してしまえば、たちまちその正確な位置を、見失ってしまうだろう。

 レギオンが仕掛けた“偶然”とは、それも含めてだったのだ。

 あの飛行機は、現在位置も分からず、パイロットは精神的に破綻して、そんな綱渡りの中、無事に到着できるのか。そういった実験だった。


 皇直哉がここにいるのは、


「俺は、信じない……!」


 彼が望んだからではなく、


「認めない………!」


 ただ、運ばれた結果だったとしたら、


「違う、そんなものは何も無い、無いんだ………!」



「大丈夫ですよ、お可哀そうなナオヤ様」



 少女は「よしよし」と、優しく宥める。

 暗闇を怖がる、我が子をあやすように。


「私が、

 あなたの、

 最大の敵となります」


 「あなたは、何も失いません」、そう言う彼女は、システムだった。

 その王がかつて、ある奴隷に語ったような、望ましい展開キルゾーンを、贈呈し続けるプログラム。

 彼が探し物を見つける為に。


 直哉がそれを組み立て、サビーナが実行させてしまった。

 彼ら二人ともが、制御できない機構を。


 そこに居るのは、それだけだ。

 怪物を手に入れた少女か、少女の顔をした怪物か。

 彼女にとっては、どっちでも良いのだろう。

 だから、分かる日も来ないだろう。


 桃源郷の存在を、直哉に信じさせる。

 それだけを為し、アクテはこの世からいなくなった。


 はこれから、その身を千切って捧げて周る、そういう旅に出る。命を惜しまぬ修道へ踏み出し、二度と還ることはない。彼が命じた通り、彼を愉しませる為に。


 皇直哉を愛した少女、それが居たという証すら、彼の手には残らない。

 献身の為に、世界中に配り撒く為に、御前おんまえから下げられる。

 彼に向けられた愛が、行きずり共に体を開く。 

 あらゆる敵と似非えせと奇跡が、彼女をいいように喰い荒らす。

 皇直哉にそうしたように、所有されることで導いて、

 誘い、惑わし、溺れさせ、

 夜道に点ずるパンくずのように、王の許へと辿り着かせる。


 その道行きの中で、逆賊共は生き乍らにして、


 此の世ならぬ幸福を、実感することだろう。


 彼女の深い情愛の器が、淫靡と背徳の坩堝に、

 

 奴隷受け皿に、される。


 それは——




——おれのもの、なのに………!




「それではナオヤ様」


 小さな手が振られ、一抹の寂しさを覚えながら、


「また会いましょう」


 それでも幸せな乙女のような顔をして、


「サヨナラです。また戦場で」


 反射無き目線をくるりと切って、スタスタと“今”から去っていく。


「ま、て………」


 少年は、少年はどこに行った?


「待て、よ………!」


 居ない。あいつも、あの瞳に吸われたのか?


「待ってくれ………!」


 行くな。一人にするな。


「ま、」


 お願いだ。

 俺を見ろ。

 それらは言葉にならず、


「まって」


 それだけ、言った。

 それだけしか、言えなかった。



 少女は夜闇にどろりと溶け消え、


 皇直哉は、


 “ほしいもの”を見失った。

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