凶剣授与

 奴隷は鼻歌とともに踏み地を刻む。

 羽を持たずとも軽やかに、

 枷を持つから安らかに。


 彼女が幸福なのは、彼に所有されているからだ。

 何の意味も無く、何もできない小娘。

 それが彼の掌上で踊るだけで、世界を良くする一助となれる。

 家族も正義も尊厳も、命惜しさに吐き捨てて、

 今此処に居る意味が有る。

 人の為に、いいや、単なる人間では意味が無い、


 あの皇直哉の為になる。

 なんと、素晴らしいことだろう。


 どれだけ天に祈っても、その上で座す者は応えてはくれない。


 けれど、彼は違う。


 地上の身でありながら、化物を探して殺し、怪異を倒して従え、弾丸ですらものともしない。

 飛躍と剛力で無理を拓く。

 神無き世界で、誰よりも価値ある生。

 いつか読んだコミックの、超人ヒーローのような勇姿。

 そのいしずえとなる物もまた、英雄譚の欠かせない一部。

 どんな偉人も足場が無ければ、歩く事すらできないのだから。


 になれるなんて、

 伝説を作る一個を担えるなんて、

 ああ、なんて、

 恵まれているのだろう。


 呪うべき不運など、彼女の半生には無かったのだ。

 全ての受難には、謂れがあった。

 あの村での惨劇は、殉死だったのだ。

 この場に命を運ぶ為の。

 その事実が、彼女を救ってくれる。


 彼の髪をくしけずった、その感触がまだ残っている。それだけで指先から快感が昇り、薄桃色の多幸感が溜まり、クラクラと陽だまりに酔い痴れる。


 見える、

 聞こえる、

 薫る、

 感じる、

 味わえる。

 

 朝露が砂を打ち、

 泡が虹色に焼け、

 蜘蛛が血肉を浴び、

 電信が控えめにお道化どける。


 何に対しても、怖さを感じない。

 彼に護られたあの日から、彼女の肉は見て見ぬ振りを止めた。

 本来意識に上らぬものも、例外無く主張する。

 洪水の中で悠然と息をして、水圧すらも無きに等しく、


 そうして彼女は、アンテナめいて敏くなっている。


 王を感じる、その快楽に病みついている。

 

 ずっと彼を彫り込み続ける。しなければならないし、そうしたい。

 彼女の筋の一ッ本、爪の一ッ片、血の一ッ滴に至るまで、

 この世で最も有意義なものを覚えている。

 それを忘れぬよう噛み締め、何度も刷り込み、焼き付かせて銘じている。

 骨の欠片しか残らずとも、髪の先だけ滅びを免れれば、

 彼女の部分が有る限り、王は世界に残り続ける。


 その認識が波状に襲い、

 身悶えしながら少女はく。

 自分は正しい道の上。

 疑いなく信じているから、

 歩みを止める事もなく、

 

「ハァイ?アクテちゃん♪」


 肩出しシャツを着てボディラインを出す、“煽情”が顔を持ったその女と、無警戒に会敵してしまう。


「そろそろいらっしゃる頃だと、思っていましたよ?」

「あらあら、虫けらみたいに睨まないデ?ワタシはこんなにアナタのこと好きなのに」

 唾棄すべき軽口。

 寒気がする。

「ナオヤ様の妻という至上の栄誉を賜りながら、その身をあの方の敵に開いている。本来なら万死です。役立たずになった瞬間、ご自慢の顔を潰してくれます」

「ちょっとお?思考が野蛮なんじゃナイ?まったく誰に似たのかしら?」


「あなたの狙いは、なんとなく察しが付きます」


 前置きのじゃれ付きを相手せず、こちらから本題へ移ってやる。

 少女が助命された時から、彼女が何をしたいのかは明瞭だった。

 

「私に、ナオヤ様を殺して欲しいのでしょう?」

——奴隷とは、王を怨むものだから。


「あなたは余程、あの方を怖がっているようですね?」


 笑ってやる。

 程度が知れたと軽視してやる。


「残念でしたね?現在の私は、あの方に心酔しています」


 お前の企みなど、底が浅いのだと。


「うんうん、ソウダネー」

 

 サビーナは我関せずとあしらい、


「困っちゃったなあ~」


 行き詰りを感じさせない様子で言う。


「次の一手を、打たないとなあ~」


 「仕方ないなあ」、嬉々として彼女は、提げていたブランドもののバッグから、何やら紙束を取り出した。


「…………?」


 疑問と警戒。

 考えるまでもなく、「良くないもの」。

 しかしアクテは止まらない。

 自分は王と共に在る。

 二の足は一刻、決断的に進む。

 その資料の概略を即座に把握して、



           「……………………は…………?」

 


 まず背筋が熱され冷たい汗が染みだした。

 首から上に血液を集めようとして、手足の末端が冷え冷えと麻痺して。

 耳の後ろから自分の脈が、ドクドクと戸を叩く音だけが聞こえた。

 以上を纏めれば、「理解を先延ばし・拒絶」していた。


「アナタの故郷、武力衝突のとばっちりで潰れたらしいわネ?」

 当たり前だが、そんな逃げ隠れを許すサビーナではない。

 頭から布団を被る嬰児を、尻から引き出し噛んで含める。

「それまで険悪だったけれど、小康状態を保っていた二つが、丁度あの村で邂逅し、撃ち合いに発展」

 そう。

 、彼女の村で——


「偶然じゃないわヨ?」


 アクテのさとが滅びたのは、


「彼らはどちらも、死の商人との取引をしに来ていた。隣人に一歩先んじようと、後ろ手に武器を握ろうと」

 上手くやった。相手に悟られていない。そう思いながらいざ到着してみれば、そこには宿敵が雁首揃えて。

 「バレた」、だろうか。

 「ハメられた」、かもしれない。

 熟考の猶予も貰えず、成り行き任せで引鉄を引くしかない。

 どちらにとっても、得の無い競り合い。勝ったのは誰か?

「アナタを拾ったのは、彼らが弱り切るのを待っていた、また別の集団」

 その地から二つの境界が消え、大きな一つが現れる。

「アナタなら分かると思うけど、当時のあの辺りでは、似たような事が相次いでいたワ。21世紀の戦国時代は終わって、君臨者は例の如く満足できず、その目は外に、海の向こうにも向いた」

 痛みか暗闇か。それらをバラ撒く群団が興り、この寝惚けた国にも手を掛けてきた。


 ではこれらの流れで、最も得をしたのは誰か?


「そんなヒト、居るのかしらぁ?危険を育てて狂暴化させ、噛みつきに来るようになるまで待つなんて、自分自身を死の淵へ、地道に詰めるような真似。終わらせたいなら、勝手に首でも縊っていればいいのに、ネェ?」

    そんな、

      そんなの、

   そんな言い方、

      特定できてしまう。

        一つ当て嵌まってしまう。


「ここには彼の、彼が仕切っているビズの、その内一つについての記録がある」


 そこに書かれていることが、真相であると解ってしまう。

 屁理屈なら有る。

 少女のかつての主人が、驚く程に有能さと先見性を持っていたとか、

 その付近一帯の公序を乱したい誰かが居たとか、

 誰も何も考えていなかったとか、

 言えないこともない。

 

 けれど、

 嗚呼、だけれども、

 あの男の感情に触れて来た少女だから、それが彼の所業であると、


 断言できる。


「二枚舌を展開していた組織は、アナタの王様の手下達」

 

 これは、皇直哉のやり方だ。

 

「アナタが唯一生き残った。そこに意味があるとは思わない?」


 少女がやるべき事は、

 彼女が果たすべき役割とは、

 サビーナは耳輪じりんにキスするみたいに


「仇を討つの」


 親切ごかして教えてやった。

 運命とはどう流れるのかを。

 吐息めいた艶声えんせいで。


「アナタのような被害者が、これ以上出ない為に」

「私は、私は……、唯一この世で正義である人に……、その人と共に……」

「悪の暴王を、やっつけるノ」

「私、私、だって、それじゃあ私は、ただの——」

「そうよ、アナタは可哀想な子ども。そして天が遣わした、正義の鉄槌」

 

 哀れな仔羊が、

 獣の喉笛を食いちぎる。


「大丈夫。アナタには価値があるわ。アナタの王様と違ってネ?」


 それが善に思われた。それしかない、そう思わされた。

 理性は言う。これは罠だ。少女と男を破滅させ、オイシイところを奪う計略。

 心根は言う。それがどうした。偽りは拭われ空虚が残り、どうなろうと同じ事。

 蜘蛛だ。蜘蛛が潰れている。

 さっきまで巣の中だったのに、誰かが壊してしまったのか。


「アナタが望めば、ワタシは“武器”と“道”を貸し出せるワ」

 傾く、

  左の頬が、コンクリートから昇る冷気で擽られるほど、

   アクテの内心は倒れかかっている、折れかかっている。

    駄目だ。

     こんなのは、意味が無い。

      万が一、直哉の弑逆に成功して、それでどうなる?

     平凡な暴君の末路に収まるだけ。

    そこにアクテである理由が無く、少女が負った罪の重さに釣り合わない。

   よし、大丈夫。

  まだ勘定は出来る。自分の責任を忘れていない。

 友人、仲間、家族、誇り、弱者、敗者…………

 彼らの生きる権利を奪い、そこまでの事をして生きて来た。

 なら彼女は、それに見合う“善き事”を、提示しなければ、

 


 たった一人殺しただけで、

 世界なんて変わらないのだ。

 

 

「あなた、なんかの、思い通りには……」

「別にいいわヨ?数あるプランの一つがダメだったくらい、痛くも痒くもないワ」

 この女がやっているのは、蒔けるだけの種を蒔く事だ。

 大した重みはない。

 これに乗ってはいけない。

 落ち着け。落ち着かないと。


「奥様ぁ…、お話中失礼致しますぅ」


 そこに使者が来た。

 千家だ。

 見知らぬ数人と連れ立っている。

 迎えに来たのか。

 アクテは自分が“お遣い”の途中だったのを思い出す。

 彼からのめいで、レギオンを釣り出すべく目立ってみせる手筈だった。

「すいません、千家さん。ナオヤ様にはまだ達せていないとご報告を」「命令は変更されましたぁ」

「………『変更』?」

「アクテ様、あなたはぁ——」


——、とのことです。




「…………は?」




                       パキリ。

 アクテは空気の微震を感知した。

 先程の蜘蛛にまだ息があったのか、脚の一本を僅かに曲げた折音おりね


 北海道。

 関係も縁もゆかりもないどころか、レギオンが狙っているであろう沖縄とは逆方向。

 直哉が向かう道筋とは正反対。

 つまり彼から、離れることになる。

 誰も来ないのだから、「機を待つ」など問題にもならない。

 これではまるで、


「あーあ、逃げたわネ、アイツ」

 

 逃げた?

 皇直哉が?

 たかが従僕の一人から?


「それは……、それは——」


——それはないでしょう?

——どうして、

 

 


「まあまあアクテちゃん、気を落とさないデ?ワタシがしっかりアシストしてあげるからサ」


 後ろへ仰け反り倒れた相手に、追い討ちをできるだけ入れるべく、

 サビーナが少女の肩に手を置いて



 



 反射がそれを引っ込めた。

 

「……ん?」

 静電気だろうか。僅かな刺痛に爪弾つまはじかれた。

 毒針を疑うが、そういった動きも道具も無い。

 指を摩って確認しても、出血どころか腫れてもいない。

 気のせいか?

 少しの驚きで主導権を落とさぬよう、不思議がるのを顔に出さずに向き直り、


 自分の鈍感さを戒めた。


——あぶないわネ、これ。

 凍傷だ。

 急速冷却され下限へと達した体温。その0ケルビンが棘鎧きょくがいとなって、彼女の皮膚を突きいた。殺気に似た何かを、肌の内から刺し出している。

 今の彼女は、割れた硝子だ。薄く鋭い破片となって、不用意に接せばひきらされる。

 これは面白くなってきた。

 この少女ならやれるかもしれない。

 “討伐”という空言も、その身一つで実現するか。


「サビーナさん、提案があります」


 底冷えする音は、一応は意味を結べている。

 あと少しでも攻撃性が勝れば、金属が擦れ裂けるのと、聞き分けられないだろうと思えた。


「あなたの願った通りに、私は皇直哉に勝利します」


 振り向かない。

 アクテはサビーナを見もしない。

 あれだけ敵視していた彼女を、石ころを蹴り除けるみたいに主題から外した。

 

「力を貸してください。今が買い時ですよ?」


 思った通りになってくれた。

 というのに、この胸騒ぎは何だ?

 何かがおかしい。

 進むべきではないと、臆病風がそう言っているように聞こえる。

 だが、少女の決意は本物だ。

 混じり気無しの純粋な決定だ。

 成功したら万々歳。

 失敗しても、戦力を切り取れる。

 どの道良い事づくめでしかない。

——ここが勝負。

 何かを賭けなければ、女神はピクリとも口角を動かさない。

 不安無き幸福など、全銀河を探しても実在しない。

 一歩前へ。

 彼女は決めた。

「それじゃあ、レギオンが勝利した場合のフローチャートも」「あ、それは必要ありません」

 

 アクテは知識を語るみたいに、

 常識を確認するように、



「皇直哉が勝ちます。それをどう倒すのかが、ここでの問題なんです」



 直哉を信頼する奴隷を翻意させ、鉄砲玉の一つとして装填した。家臣無き彼は怖くない。王無き少女も恐るるに足らない。結合すれば厄介な二つを、分断し衝突させ破壊する。

 完璧な作戦ではないか?そう言えるのに。


 サビーナの胸中では黒い靄が垂れ込め、


 重く深く塞がって、


 何か大事な物を置き忘れ、それが何かすら分からない時に似た、


 焦りと苛立ちが晴れなかった。


 どれだけ話を詰めようと。

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