発見
「最初の疑問として」
ノアが接触した事物・出来事・概念……、多過ぎる。
彼女は幾つかの著書にその足跡を残していたが、書かれている範囲だけでもべらぼうに広い。
直哉のアプローチとしては、そこに一つの条件を付け足す。
「こいつは研究者でありながら、レギオンの元となる『何か』を公表しなかった」
ジューディーに役立つとも知らないものを、最初から機密扱いした?
「違う。ノア・フステが組織に入ったのは、もっと後になってからだ。それまでは単なる若造に過ぎなかった」
一介の学生レベルの彼女が、その名を響かせるまたとない機会。手に余る代物だったのだとしても、せめて周囲に相談するだろう。そこから情報が流れていく。しかし彼女は、他の人間に一切明かしていない。それは、
「しなかったのではなく、出来なかった?」
他者の力を借りようとする、その素振りすら見つからないところを見ると、もっと基本的な部分で断念している。
——待て。
「『他者の力』?」
そうか。
そういうことか。
「誰かが先に研究していた。ノアが見たのはその成果物だ」
その時は感心して終わり、組織に加入後、それが利用できると思いついた。
これで筋が通る。
「奴の軌跡の中で、研究職との接触をピックアップし、そいつらの研究資料を精査する」
アクテにも手伝わせれば、1日で終わらせられるかもしれない。
が、もう一押し欲しい。
「インターポールから得たヒッポの足取り、これも使う」
秘密を知る人数は、少なければ少ないほどいい。
イケニ・カルテルの中でも、ヘヴンが何処から調達された、どういった物質なのかを知る者は限られる筈。
ジューディーとしては、入手元とのやり取りも、全て一人にやらせたい筈だ。
だから沖縄まで来ていたらしいその男も、取引先特定の材料になる。
「ノアの旅程とヒッポの行動録。この二つを重ね、対象地域を狭めてやればいい」
果たして一致する地域があった。
西方、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の継ぎ目に近い、中東、レバント。
当時から熱心な信徒であったノアは、ゴラン高原の帰属について、シリアの思想家と議論するべく立ち寄っていた。当然イスラエル側として。
その時、彼女は寄り道をしている。
討論相手が所属するダマスカス大学、その電気機械工学部に、珍奇な研究をしている教授を見つけたからだ。
その名前は——
「ナタナエル・コッポ・ジェッペット。こいつか?」
すぐに自前の情報網にその名を流し、自らはデータベースから彼の名で書かれた研究論文を漁る。
能力はあるものの夢想主義的。神や正義を心から信じ、時に暴走へと発展する。ノアの回顧録にもこうある。
彼は「太陽を模写しろ」と言われれば、笑顔を浮かべた橙色の円を、大真面
目に描いて寄越すだろう。もし我々がそれを嘲笑いでもしたら、それが如何
に真っ当な「解釈」であるのかと言うことを、化学・数学・量子力学から人
文学・神学に至るまで、あらゆる理論武装を装着した詭弁で以て、こちらに
説いて聞かせるのだ。
彼がその時やっていた事も、一見すると工学の分野ではなかったが、そこに
は必然性があるのだと、そう主張して譲らなかった。
ナタナエルが連ねた文字列を目で追いかける。
彼が作ろうとしていたのは、「できるだけ簡単に作れる、なるたけ高度な設備」。
手を変え品を変え、その手段を捏ね上げんとする。
密林の奥地だろうが無人の極北だろうが、文明社会と同じ暮らしを提供することが出来る世の中。
誰でも怠惰な“文明人”となる世界。
つまり生活の画一化、差異の平均化、搾取構造に頼らぬ安定。
求道者かく語りき。
今や我々人間は、幾多の相対に覆われ直視を寄せ付けない。
広く繋がり合い意識し合う今こそ、我らは思い出すべきではないのか。各々
に何が根差していたかを。
その為に私は、一つ一つ「相対」を取り除き、人が持つ「絶対」を可視化す
るものである。
「何を言ってるんだこいつ」
机上の空論と評する事すら生温い。支離滅裂である。
けれどもどこかしら、あのニコニコマークが言っていた事と通じる所がある。
「平等」。
見ている方向は、共有されているように見える。
「だがどれだ?工学関係の学者が、どんな研究で微生物学者の興味を掴んだ?」
「工学の分野ではなかった」ものとは、何れか。
「ノアが食いつきそうな表題……、人の脳が関係しそうなもの……、生物…、微生物…、神…、人間…、生体……」
画面をスクロールする指が止まった。
『生体発電を利用した広域電力網の構築及び世界規模への拡大計画』。
「これだ」
直感した。
まさに再会したとすら思った。
レギオン。
それを生み出した技術。
詳しい内容を閲覧していく。
長ったらしい序文があるが、要するにこういうことだ。
彼が着目したのは、人体、もっと言えば生物としての身体そのもの。
我々にとって最も近くにあり、我々が見た中で最も精密な機構とは、人体で
ある。
宇宙よりも深海よりも、まず始めに着手すべき深淵とは、我々自身なのでは
ないか。
そのメカニズムを紐解き、彼は着想を得た。
生物の運動とは、電気信号によって成り立っている。繋がったシナプスを微弱な電流が伝わり、出力と受容が繰り返されることで、一貫した「挙動」となる。
そこでナタナエルは考えた。
「これをより強力に発生させ、生活エネルギーへと転用できないだろうか?」と。
生体電気それ自体は、何らかの機器の動力としては、小さくささやかで心もとない。
しかし、それを増幅している生物の例はある。
「発電板」と呼ばれる細胞を多数持ち、一つあたり0.15Vの電圧をほんの一瞬のみ発生させることができる生物。
言うまでもないが、その発生自体は有限である。全生命に含まれるアデノシン三リン酸、放電の度にこれを消費するからだ。
自然界において最も強い電力を、自前で放てる電気ウナギですらその程度。
機械化文明を支えるなど、夢のまた夢であることが一目瞭然。
だが夢を夢で終わらせられないのが、夢追い人の厄介なところだ。
「生体エネルギーの半永久的生成」、及び「増幅機構も含めた当該機構の人体への移植」。
ナタナエルが設定した壁は、その二つ。
それらを超えれば、電気人間が完成する。
他に頼らず一個で完結した生命、
その身一つで、先進技術の動力を賄える生体発電機。
処置の一つで、それに成れる。
自ら発電し飢えることの無い人類。
誰がどれだけ持つか、それを競う理由を剥奪された人間。
それらが満ちている地平こそ、彼が描いた「楽土」だった。
博士が考えていた実用化方法とは、「光合成によるアデノシン三リン酸の自発生成及び貯蔵」、「人体に侵入し受け容れられる寄生生物的特性」、「棲息する細胞を、耐電性を高めたものへ置換していく生態」、エトセトラ。
「そう上手くいくものか」
今時、意識の高い学生風情の方が、まだ多少なりとも現実的である。
飢餓が撲滅されようと、飽食が肥大し喰らい合うなど、火を見るよりも明らかだろうに。
奪うこと、飽くことなく求めること、他とは違う唯一になること。
それらの快感を忘れられない限り、同じことを繰り返すだけだ。
追加の予算が下りなかったのも、当然に過ぎる。
それでも彼は、試してみずにはいられなかったのだろう。
「発電板」に改良を重ね、より完璧な生成装置に近付けていく。
熱水噴出孔に棲む電子細菌は、二酸化炭素と電子によってATPを生成する。それを培養し、生体のみによる電力増幅を実現。
生物学かナノテクノロジーか、様々な分野を行きつ戻りつしている。
その往来の中に、ノアもいたのだろう。意見の一つでも聞いたのだろうか。
それらが接点となり、後の布石となった。
「実際問題、この技術の実現はほぼ不可能。だがそれに、別の使い方を思いついた連中が居た」
電流による情報伝達、筋収縮。
これを強制的に発生させ、疑似的に加速体験を与える細胞。
そこまで意図していたのか、はたまたお手軽スタンガン、
とにかく彼ら——言うまでもなくジューディー——は戦力増強の為に、この研究を利用しようと考えた。
しかしそこには、予期せぬ副産物がくっついてきたのだ。
そのズレが何に由来するのか、それが一つの要点だが——
「恐らく、これだろうな」
この件に関しては、影響が無いと言い切る方が難しい、そんなイベントがある。
「3年前、“ダマスカス核兵器暴発事件”」
起こした変遷と言い、被害範囲と言い、
どうあっても無関係ではいられない。
駄目押しの事実として、
ナタナエルはその事件で、行方不明になっている。
「これだ。この時に何かが曲がったのだろう」
その歪みから出でたるは、
独自の法で動く軍団。
「何が、生まれた?」
そして、何処に行く?
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